栄養学者が遺した小立野の住まい

金沢城の南東、小立野台地の一角に、刈り込まれた生垣の奥で大きな赤瓦の屋根を低く広げる住宅がある。昭和3年(1928年)頃、旧制金沢医科大学の第二代学長を務めた須藤憲三が自邸として建てたものである。須藤は生化学を専門とした医学者で、当時「営養」と書かれていた語を、栄えさせるという意味の字を用いて「栄養」と改めるべきだと唱えた人物として記憶されている。現在広く使われる表記は、彼が後押しした側のものにあたる。

須藤はベルリン大学やカイザー・ウィルヘルム研究所で研究した経験を持ち、衛生や合理的な暮らしについての考え方を金沢に持ち帰った。その思想は、彼が建てさせた住まいの間取りそのものに刻まれている。建物は、後に住み継いだ家にちなんで飯田家住宅主屋として登録されている。

正面に立つと、淡い漆喰を背に濃い色の木材を見せるハーフティンバー風の意匠が目に入る。側面へ回ると印象は変わり、雨戸を並べた和風の壁面が続く。洋と和という二つの語法が一つの屋根の下で衝突しないのは、全体を通して装飾を控えめに抑えているからである。

「指定」ではなく「登録」――この区分が意味するもの

平成29年(2017年)10月、この住宅は国の登録有形文化財となった。ここでの「登録」は、国宝や重要文化財を生む「指定」とは別の、より緩やかな枠組みである。登録制度は平成8年(1996年)に設けられたもので、おおむね近代以降の建築、すなわち市街地の変化のなかで失われやすい比較的新しい建物を保護対象とする。所有者はその建物に住み、使い続けながら、大きな改変の前に届け出ることを約束する。飯田家住宅主屋は、造形の規範となっているものという基準で登録された。さらに令和2年(2020年)には、金沢市が外観を対象とする独自の指定保存建造物にも加えている。

登録原簿の記載は、木造2階建、瓦葺、建築面積234平方メートルとなっている。外見は明らかに平家建に見えるため、この「2階建」という数字は訪れる者を一瞬とまどわせる。答えは屋根の内側にある。上階は切妻の勾配のなかに収められた小屋裏の収納空間であり、外からは低く落ち着いた平家の姿を保ちながら、目に触れない位置に二階分の空間を得ているのである。

見どころ

この住宅が最もよく示しているのは、その間取りである。居住の空間と来客を迎える空間は中廊下を境にはっきりと分けられている。中廊下形式は、家庭が私的な生活と公的な接客とを区別し始めた大正から昭和初期にかけて、中流住宅へ広まった配置である。ここではその区分が明確で、洋風にまとめた玄関と応接間が客を受け、廊下の左右に開く和室が家族の場となる。

細部にも、ゆっくり眺めるだけの値打ちがある。玄関に設けられた水道の蛇口は、昭和3年当時としては最新の給水設備であり、清潔を重んじる医学者らしい配慮でもあった。意匠の抑制そのものも見どころのひとつである。彫り込んだ持送りや付加的な装飾は見られず、正面と側面の対比、そして赤瓦の切妻が描く落ち着いた面だけが建物を構成している。

当初の屋敷まわりも一部が残る。主屋と同じ時期につくられたコンクリート造の花壇や木造平家建の物置が今も敷地に建ち、この一画は孤立した一棟ではなく、小さなまとまりとして読み取ることができる。

周辺をめぐる

土地そのものには、住宅よりも古い来歴がある。藩政期、この小立野の一角は加賀八家のひとつ横山家の下屋敷地や畠地であった。崖下へ下る鶴間坂は眺めのよさで知られ、詩歌や俳諧を好む文人が訪れた場所でもある。今日の街区の骨格ができたのは昭和3年で、県立金沢商業学校がこの地へ移ってきたのに伴い、飯田家の区画を含む敷地まわりの割地が整えられた。

訪れる際にひとつ留意したい点がある。ここは現在も人が暮らす個人の住まいであり、内部を見学することはできない。歴史ある街並みの一要素として、公道から外観を眺めるにとどめ、居住者の私生活への配慮をお願いしたい。

台地は徒歩でめぐる半日の散策に向いている。西の端には日本三名園のひとつ兼六園が広がり、その隣に金沢城公園が続く。南西の本多町・出羽町の界隈には、鈴木大拙館、石川県立美術館、国立工芸館が集まり、一度の散歩に無理なく組み込める。

Q&A

Q建物の中に入れますか。
A入れません。現在も居住者がいる個人の住まいで、内部の公開はありません。小立野の街並みの一部として公道から外観を眺めることはできますが、敷地には立ち入らず、居住者への配慮をお願いします。
Q平家ですか、二階建てですか。
Aどちらの答えも正しい面があります。国の登録原簿では木造2階建とされますが、上階は屋根のなかに収めた小屋裏の収納で、外からは大きな切妻の下の低い平家のように見えます。
Q登録文化財と指定文化財はどう違うのですか。
A重要文化財や国宝を生む「指定」が古くからの厳格な制度です。一方「登録」は平成8年に始まった緩やかな保護で、主に近代の建築を対象とし、所有者が使い続けながら大きな改変の前に届け出る仕組みです。この住宅は登録有形文化財であり、別途、金沢市の指定保存建造物でもあります。
Q建てた人物はどなたですか。
A須藤憲三という医学者で、旧制金沢医科大学の第二代学長を大正13年から昭和7年まで務めました。ドイツに留学した生化学者であり、現在の「栄養」という語の表記を後押ししたことで知られます。飯田家の名は、後に住み継いだ家に由来します。
Q近くに見どころはありますか。
A同じ台地の西端に兼六園と金沢城公園があり、南西の本多町には鈴木大拙館をはじめとする美術館が集まります。いずれも歩いて回れる範囲です。

基本情報

名称飯田家住宅主屋(いいだけじゅうたくしゅおく)
所在地石川県金沢市小立野五丁目119
保護の区分登録有形文化財(建造物)/登録年月日 平成29年(2017年)10月27日(登録番号17-269)。あわせて金沢市指定保存建造物(令和2年〈2020年〉3月23日指定、外観)。
時代昭和前期、昭和3年(1928年)頃
構造木造2階建(上階は小屋裏)、瓦葺、建築面積234平方メートル
員数1棟
登録基準造形の規範となっているもの
公開状況個人の住まい。公道からの外観鑑賞のみ。内部は非公開。

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「飯田家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011935
文化遺産オンライン(国立文化財機構)「飯田家住宅主屋」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/290003
金沢市文化財保護課「飯田家住宅(指定保存建造物)」
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/3/1/1/hozontaisyoubutu/hozontaisyoubutu/5981.html

最終更新日: 2026.06.20