細長い敷地の奥に建つ住まい
金沢市石引一丁目、城の東に広がる高台に、間口が狭く奥行きの深い敷地がある。通りに面した側には、かつて診療所が構えられていた。その奥に建てられたのが、家族の住まいである。木造2階建、大正5年(1916年)の竣工。これが上野家住宅主屋で、医療と暮らしをひとつの敷地で営んだ家が、近代という時代のなかで間取りをどう整えていったかを、いまも静かに示している。
建物は桁行5間、梁間6間。建築面積はおよそ119平方メートルで、切妻造、屋根は桟瓦で葺く。外観だけを見れば、金沢の町に数多くあった町家のひとつに見える。注目すべきところは、その内側にある。
「指定」ではなく「登録」であること
上野家住宅主屋は、2006年(平成18年)に登録有形文化財となった。登録番号は17-0158である。「指定」ではなく「登録」という語に、意味がある。日本の建造物の保護には、二つの制度が並び立っている。古くからあるのは国宝や重要文化財を指定する制度で、歴史的・芸術的にもっとも高い格をもつ建物を対象とし、改変にはおおむね国の許可を要する。いっぽう登録の制度は1996年(平成8年)に始まった新しい仕組みで、より緩やかに運用される。明治・大正・昭和初期の膨大な建物が、知られぬまま失われていくのを防ぐために設けられ、所有者は使いながら手を入れ、大きな改変の前に届け出ればよいとされる。
登録の基準は三つある。上野家住宅主屋が満たしたのは「造形の規範となっているもの」、すなわち、ある建築の型をよく示し、よく保たれた一例であるという点だった。記念碑として残されたわけではない。その価値は、ひとつの専門職の家がある時代にどう住まいを構えたかを、そのまま見せている記録性にある。
間取りを読む
1階は、奥行きの深い町家の骨格をよくとどめている。かつてここには通り庭があった。表から奥へと土間が貫き、畳の部屋に上がることなく人も物も行き来できる通路である。台所として、作業の場として、家のなかを縦に結ぶ動線として、長く使われてきた。
この古い仕掛けが、ここでは新しい役目を担った。前に診療所、奥に家族の居室を置けば、患者と住人の動きを分けなければならない。診療の場へ通じる動線と、家族が日々使う動線とが、別々に引かれた。治療に訪れた人が、家族の暮らしを横切ることはない。この意図された分離こそ、調査の現場で取り上げられる点である。機能を分け、人の流れを整え、私生活の領域をあらかじめ設計に組み込む。都市の住宅が近代化していく姿が、ここに表れている。
2階には4室があり、なかには床を備えた座敷がある。掛軸や季節の花を置く床の間をもつ、改まった部屋である。客を迎える座敷を、仕事の場である1階の上、2階へ上げたこと自体が、時代の変化を映している。最も格の高い部屋が、通りの商いの隣にある必要は、もはやなかった。
まわりを歩く
石引という地名は、金沢城を築くための石をこの坂で曳き上げたことに由来すると伝わる。城の東の高台にあたり、市内でも文化施設がもっとも濃く集まる一帯まで、歩いて数分の距離にある。
坂を上れば本多の森。加賀藩の筆頭家老・本多家の屋敷地であった、緑の深い公園である。その周囲には、石川県立美術館、煉瓦造の建物が美しい石川県立歴史博物館、県立能楽堂、そして2020年に東京から移転してきた国立工芸館が、いずれも近い距離に並ぶ。日本三名園のひとつに数えられる兼六園や金沢城公園も、徒歩圏にある。上野家住宅主屋は、こうした文化の森の界隈を歩く一日のなかに、静かに織り込まれる一点として味わうのがよい。
ひとつ、実際的なことを記しておきたい。これは現に人が住まう個人の住宅であり、内部の公開はない。見学の受付も、入館の窓口もない。石引の町並みの一部として、公道から外観を眺めるにとどめ、見学そのものは周囲の美術館や庭園にゆだねるのがよい。
Q&A
- 上野家住宅主屋の内部は見学できますか。
- できません。個人の住宅であり、内部は公開されていません。石引の町並みの一部として公道から外観を眺めることはできますが、内部の見学や入館の受付はありません。
- 「登録有形文化財」と「指定」される文化財は、何が違うのですか。
- 指定(国宝・重要文化財)は古くからの厳格な制度で、最も格の高い建物を対象とし、改変に国の許可を要します。登録は1996年に始まった緩やかな制度で、比較的新しい建物を守るために設けられ、所有者は大きな改変の前に届け出ればよいとされます。
- 通り庭とは何ですか。
- 伝統的な町家で、表から奥へと建物を貫く土間の通路を指します。畳の部屋に上がらずに人や物が行き来でき、台所や作業の場としても使われました。
- 近くに見どころはありますか。
- 本多の森公園と、その周囲に集まる石川県立美術館・石川県立歴史博物館・県立能楽堂・国立工芸館が徒歩圏にあります。兼六園や金沢城公園も歩いて行ける距離です。
- 大正5年という建築年には、どんな意味がありますか。
- 都市の住宅が近代化していった時期にあたります。診療所と家族の動線をはっきり分けた構成は、その変化を映しており、建築の型をよく示す一例として登録された理由にもつながっています。
基本情報
| 名称 | 上野家住宅主屋(うえのけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 石川県金沢市石引1-15-31 |
| 区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録番号 | 17-0158 |
| 登録年月日 | 2006年(平成18年)10月18日 |
| 員数 | 1棟 |
| 建築年 | 大正5年(1916年) |
| 構造 | 木造2階建、切妻造、桟瓦葺、建築面積約119㎡ |
| 登録基準 | 造形の規範となっているもの |
| 公開状況 | 個人住宅・非公開(外観のみ) |
参考文献
最終更新日: 2026.06.20