文化財になった「塀」
国の文化財の多くは、寺社や城、商家といった建物が占める。飯田家住宅塀は、そのどれでもない。金沢城の南東、小立野台地の住宅地を57メートルにわたって続く一筋の塀である。低いコンクリートの上に植え込みが並ぶだけの、どこにでもありそうな境界に見える。
登録のきっかけになった特徴は、その見た目のなかに隠れている。生垣は塀の内側にも外側にもない。塀の「なか」で育っている。道路側と敷地側に高さ約1.1メートルのコンクリートを二列立ち上げ、その間に土を詰めて植栽の根を張らせる。石と緑がひと続きの構造物になった、いわば生きた塀だ。
築かれたのは昭和3年(1928年)頃。背後の主屋と同じ時期につくられた。西面の中央には門柱が立ち、ここが出入口になっている。
塀の向こうの「医者の家」
この塀は、ひとつの住宅の一部である。主屋は昭和3年頃、旧制金沢医科大学(のちの金沢大学医学部)の2代目学長・須藤憲三の自邸として建てられた。須藤はドイツに学んだ医学者で、その経歴は家のつくりにも表れている。接客の空間と家族の居住空間を中廊下で分け、玄関には水道の蛇口を備えた。帰宅してすぐ手を洗えるようにという、衛生を重んじる医者らしい配慮が、家の入口に組み込まれている。
主屋は赤瓦の大きな切妻屋根の下に、一見すると平屋に見える。小屋裏に2階を設けて収納にあてた。正面はハーフティンバー風の洋風意匠、側面は雨戸を連ねた和風で、装飾を抑えることで両者をひとつの外観にまとめている。昭和11年(1936年)に飯田家が買い受け、いまも住まいとして使われている。
なぜ塀が守られるのか
文化財の建造物には、大きく「指定」と「登録」の二つの仕組みがある。国宝や重要文化財は前者で、厳重に守られる名品だ。後者の登録有形文化財は、まちなみを形づくる店舗や橋、塀といった日常の建物を、ゆるやかに残していくための制度として設けられた。飯田家住宅塀が登録されたのは平成29年(2017年)10月27日、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準による。主屋も同じ日に登録され、令和2年(2020年)には金沢市の指定保存建造物にもなっている。
評価されているのは、塀そのものよりも街路の景観である。この一帯は昭和3年、彦三から県立金沢商業学校が移ってきたのに合わせて宅地が区画された場所だ。主屋・塀・木造の物置が同じ時期に建てられ、いまも一体で使われ続けている。その全体が、近代金沢の住宅地がどう生まれたかを今日に伝えている。
見どころ
人が暮らす家なので、見学は外から眺めるかたちになる。塀が57メートルを通して延びる西面から南面を歩いてみたい。土木的な発想――コンクリートの二重の溝――が、緑というやわらかなものを抱え込んでいる。その取り合わせがこの塀のおもしろさだ。モルタルの風化した具合に、過ぎた年月が読み取れる。
門柱の前で足を止めると、生垣の向こうにハーフティンバーの主屋の正面が重なる。塀が主屋の前景として、両者をひとつの眺めとして設計されていたことがわかる。季節を変えて訪ねれば、植栽が街路の表情ごと変える。
歩道から眺め、住む人の暮らしには立ち入らないこと。中に入る場所はなく、その必要もない。
あわせて歩きたい周辺
小立野台地は、ゆっくり半日を過ごすのに向いている。塀から数分のところに、2022年にこの地で開館した石川県立図書館が立つ。湾曲する書架が幾重にも円を描く巨大な閲覧空間で、本を開かなくても建築として見ごたえがある。
台地は「石引」とも呼ばれる。金沢城の石垣を築く石を、川べりからこの坂道を引き上げたことに由来する地名だ。尾根筋には天徳院をはじめとする寺院が連なり、城へ向かって同じ道を2キロほど下れば兼六園に至る。
Q&A
- 家の中を見学できますか。
- いいえ。飯田家住宅は現在も人が暮らす個人の住宅で、内部は公開されていません。塀は道路に面しているため、公道の歩道から自由に見て、写真に撮ることができます。
- アクセスは。
- JR金沢駅東口から小立野方面の北鉄バス(石川県立図書館を通る系統が便利)に乗り、図書館付近で下車して小立野五丁目へ数分歩きます。
- 見学料はかかりますか。
- かかりません。公道から建造物を眺めるかたちなので、入場券も開館時間もありません。
- 塀がなぜ文化財なのですか。
- 登録有形文化財の制度は、名高い建造物だけでなく、歴史的な街路景観を形づくる建物を守ります。土を詰めて生垣を育てる独特の構造と、昭和3年の主屋とともに残ってきたことが、近代金沢の住宅地の記録として評価されました。
- いつ訪ねるのがよいですか。
- 生垣が主役なので、季節を選びません。晩春からの新緑、夏の濃い緑、冬は葉を落とした疎らな姿と、金沢の鈍色の空にコンクリートの白がよく合います。
基本情報
| 名称 | 飯田家住宅塀(いいだけじゅうたくへい) |
|---|---|
| 所在地 | 石川県金沢市小立野五丁目119他 |
| 区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成29年(2017年)10月27日 |
| 登録基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 年代 | 昭和3年(1928年)頃 |
| 構造・形式 | コンクリート造、総延長57メートル、門柱付/員数1基 |
| 関連物件 | 飯田家住宅主屋(同日登録)/金沢市指定保存建造物(令和2年) |
| 公開 | 公道からの外観見学のみ。住宅内部は非公開 |
References
- 国指定文化財等データベース「飯田家住宅塀」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011936
- 文化遺産オンライン「飯田家住宅主屋」(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/290003
最終更新日: 2026.06.20