浄法寺の漆掻きと浄法寺塗の用具及び製品 — 日本の漆文化を支え続ける北東北の宝

岩手県北部、青森との県境に近い二戸市浄法寺町。古刹・天台寺の門前に広がるこの小さな町は、日本国内で消費される国産漆の約7割を産出する「漆の都」として知られています。この地には漆掻き職人、木地師、塗師という三つの職能が古くから根付き、ウルシの木の樹液採取から木地づくり、漆塗りまでを一貫しておこなう、全国でも稀な産地が形作られてきました。

その営みのすべてを今に伝えるのが、昭和62年(1987年)に国の重要有形民俗文化財に指定された「浄法寺の漆掻きと浄法寺塗の用具及び製品」、3,832点に及ぶ大コレクションです。漆掻き用具752点、木地師用具562点、塗師用具628点、製品1,577点に加え、職人の生活や信仰、販売に関わる道具までを網羅し、浄法寺の漆文化の全貌を語り尽くす民俗資料群となっています。

2300年の時を超えて受け継がれる漆の文化

浄法寺と漆の関係は、私たちが思うよりもはるかに古い時代にさかのぼります。町内の上杉沢遺跡からは、約2,300年前のものと推定される赤漆で彩られた石刀が出土しており、縄文の終わり頃にはすでにこの地で漆が日常の道具に用いられていたことが分かっています。

もっとも広く知られている起源伝承は、神亀5年(728年)にさかのぼります。聖武天皇の勅命を受けた行基が八葉山天台寺を開いた折、中央から派遣された僧侶たちが自家用の什器を作るため漆工の技術を持ち込み、自ら椀や皿に漆を塗ったのが「浄法寺塗」のはじまりとされています。装飾を排し、ひたすら実用と堅牢を旨とするその器は、やがて天台寺に登拝する参詣者にも振る舞われるようになり、地元では飯椀・汁椀・小皿の三ッ椀を「御山御器(おやまごき)」と呼んで親しむ習慣が生まれました。

江戸時代に入ると、漆は南部盛岡藩の重要な産物となり、藩は漆掻奉行を置いて生産を統制し、他領への持ち出しを禁じました。盛岡藩主・南部重直(慶長11年生〜寛文4年没)の黒印文書には「箔椀」の記載があり、17世紀半ばにはすでに組織だった漆掻きと漆塗りの産業が確立していたことが分かります。藩政期には藩全体の漆生産量の約47%を、浄法寺を中心とする二戸地域が担っていたと伝えられています。

明治時代になると、福井県今立地方から「越前衆」と呼ばれる漆掻き職人たちが浄法寺に出稼ぎに来るようになります。彼らは1本のウルシの木から1年で樹液を採り尽くす「殺し掻き」の手法と、それに用いる専用の道具をこの地にもたらしました。それまでの「養生掻き」が、木の命を長く保ちながら樹液と実の両方を採るゆるやかな方法だったのに対し、殺し掻きは産業としての漆生産を一気に押し上げ、用具や仕事のリズムまでをも変えていったのです。

なぜ重要有形民俗文化財に指定されたのか

浄法寺コレクションの国宝級の価値は、特定の名品にあるのではなく、その「網羅性」にあります。全国の漆関連の博物館は数あれど、ウルシの森から食卓までの全工程を、用具・製品・関連資料の3,832点で体系的に押さえたコレクションは他に例がありません。文化庁の指定理由でも、この体系性と完備性が高く評価されました。

収集品の内訳は、漆掻関係用具752点、木地師関係用具562点、塗師関係用具628点、職人生活関係用具141点、製品(椀・膳・盆・酒器・仏具など)1,577点、販売関係用具63点、信仰関係用具24点、その他関係用具85点の8分類にわたります。

これだけの幅をもつコレクションは、漆掻き職人がウルシの木に登る場面から、木地師がろくろで椀を挽く工程、塗師が刷毛で漆を重ねていく作業、さらには市日での売買、職人たちが行った山の神への信仰儀礼までを、ひとつながりの民俗文化として見せてくれます。戦後の生活様式の変化のなかで急速に失われていった地域産業の全体像を、後世に残すための「最後の証言」として、文化庁はこの収集を高く評価したのです。

コレクションの見どころ

漆掻き職人の道具

もっとも印象的な展示品は、漆掻き職人が用いた小さく湾曲した刃物の数々です。樹皮を整える「鎌」、幹に正確な横溝を刻む特殊な「鉋(カンナ)」、にじみ出た樹液を集める「箆(ヘラ)」、それを運ぶ「樽(タル)」など、どれも職人ひとり一人の手に合わせて誂えられた個性的な道具ばかりです。コレクションには、古くからの南部式と、明治以降に持ち込まれた越前式の両方が含まれており、漆掻きの技術変遷を辿ることができます。

木地師の道具

木地師は安比川流域のブナ林を移動しながら椀の素地を作り続けた職能集団です。コレクションには彼らが用いた携帯式のろくろ、各種の鉋(カンナ)、寸法を測る型板などが残されており、全国に流通する椀の規格を支えた精密な仕事ぶりがうかがえます。

塗師の工房

塗師(ぬし)の用具には、太さの異なる人毛刷毛、研ぎ石、箆、漆を硬化させるための漆室(うるしむろ)に並べる塗師盆などが含まれます。下塗り・中塗り・上塗りそれぞれに専用の刷毛を厳格に使い分けていた様子を伝える、刷毛の完全セットも見ることができます。

御山御器と完成品

1,577点の製品のなかでも、もっとも歴史的に重みがあるのは「御山御器」の系譜を引く椀類です。飯椀・汁椀・小皿の三ッ椀を、無地の朱・黒・溜色で仕上げたこれらの器は、装飾を排して実用と堅牢に徹する浄法寺塗の美意識を端的に伝えています。あわせて、藩政期の優美な箔椀、祭礼用の絵椀、仏具類も展示され、地域の漆工の幅広さを物語っています。

コレクションを訪ねる

本コレクションのおもな展示拠点は、天台寺の参道入口にある「浄法寺歴史民俗資料館」です。コンパクトな館内ですが、漆掻き・木地師・塗師の道具と製品が体系的に展示され、訪問者の口コミでは資料調査員による丁寧な解説が高く評価されています。遠方から訪れる場合は、事前に電話で確認・予約をしてから出かけることをおすすめします。

JR二戸駅(東北新幹線停車駅)からバスで約25分、浄法寺ICからは車で約5分。月曜日、祝日の翌日、年末年始は休館です。資料館見学のあとは、参道を20分ほど登って天台寺まで足を延ばし、町中心部にある現代の浄法寺塗の工房「滴生舎(てきせいしゃ)」も合わせて訪ねるのが、この地域を味わう定番のコースとなっています。

周辺のみどころ

天台寺は、桂清水観音への信仰を起源とする東北屈指の古刹で、本堂は国指定重要文化財。鎌倉から室町時代にかけて作られた舞楽面や、ケヤキ板に拭き漆を施した大絵馬「漆絵立花図」など、漆と寺院文化の深いつながりを物語る工芸品が数多く残されています。長年名誉住職を務めた作家・瀬戸内寂聴ゆかりの瀬戸内寂聴記念館も、歴史民俗資料館のすぐ近くに併設されています。

町中心部の滴生舎では、現代の塗師が浄法寺漆と国産木地のみを用いて器を制作する様子を間近に見学でき、できあがった作品を購入することもできます。さらに、町を取り囲む山あいには漆の植栽地が点在し、6月から10月にかけては漆掻きの最盛期となります。秋には漆の葉が燃えるような紅色に染まり、その年最後の樹液採取が静かに進められます。

県境を越えてすぐの八幡平市には、全国から研修生が集まる安代漆工技術研究センターと安比塗漆器工房があり、浄法寺地域と一体となって日本遺産「"奥南部"漆物語(ストーリー番号085)」を構成しています。漆を訪ねる旅としては、二戸と八幡平を組み合わせて巡るのが充実したコースです。

Q&A

Qこの文化財はどのようなものを指しているのですか。
A岩手県二戸市浄法寺町を中心に収集された、漆掻き・木地師・塗師の3職種の用具752点・562点・628点と、椀・膳・盆・酒器・仏具などの製品1,577点、職人生活用具141点、販売関係用具63点、信仰関係用具24点、その他85点、合計3,832点からなる民俗資料の集合体です。浄法寺歴史民俗資料館に収蔵・展示されています。
Qなぜ浄法寺漆はそれほど評価が高いのですか。
A浄法寺漆は主成分ウルシオールの含有量が約70〜75%と国産漆のなかでも特に高く、硬化後の塗膜が極めて丈夫で、深い艶が長く保たれます。中尊寺金色堂、京都の金閣寺、日光東照宮など、日本を代表する国宝建造物の修理・修復にも用いられてきました。
Q漆掻きはどのように行われるのですか。
A6月から10月下旬にかけて、漆掻き職人がウルシの幹に専用の鉋で浅い横溝を順に刻み、数日おきににじみ出る樹液を箆で掻き取って集めます。樹齢15年ほどの1本の木から1シーズンに採れる漆は、わずか200グラム前後(牛乳瓶1本分)に過ぎません。
Q天台寺との関係はどのようなものですか。
A伝承では、728年に行基が天台寺を開いた折、僧侶たちが自家用の什器に漆を塗ったのが浄法寺塗の起源とされています。地元で「御山御器」と呼ばれる飯椀・汁椀・小皿の三ッ椀がその直接の後継であり、寺と漆の長い縁を今に伝えています。
Q浄法寺塗は今でも購入できますか。
Aはい。平成7年(1995年)に開設された浄法寺漆芸の殿堂「滴生舎」では、国産木地と浄法寺漆だけを用いた現代の浄法寺塗を制作・販売しており、塗りの工程を見学することもできます。市内・近隣には独立した塗師の工房も複数あり、それぞれの作品を求めることができます。

基本情報

名称 浄法寺の漆掻きと浄法寺塗の用具及び製品(じょうほうじのうるしかきとじょうほうじぬりのようぐおよびせいひん)
種別 重要有形民俗文化財
指定年月日 昭和62年(1987年)3月3日
員数 3,832点(漆掻関係用具752点/木地師関係用具562点/塗師関係用具628点/職人生活関係用具141点/製品1,577点/販売関係用具63点/信仰関係用具24点/その他関係用具85点)
所有者 二戸市
所在地 (1)岩手県二戸市浄法寺町御山久保35
(2)岩手県二戸市浄法寺町御山久保25-1
主な展示施設 浄法寺歴史民俗資料館(電話: 0195-38-3464)
開館時間 9:00〜16:30
休館日 月曜日、祝日の翌日、年末年始(12月29日〜1月3日)
入館料 大人210円、小・中・高校生110円
アクセス JR二戸駅・IGR二戸駅からバスで約25分、浄法寺ICから車で約5分

参考文献

文化遺産オンライン「浄法寺の漆掻きと浄法寺塗の用具及び製品」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/207980
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/301/15
日本遺産ポータルサイト「"奥南部"漆物語」(ストーリー番号085)
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story085/
うるしの國・浄法寺「うるしの國の物語」
https://urushi-joboji.com/joboji
二戸市立浄法寺歴史民俗資料館
http://www.edu.city.ninohe.iwate.jp/~maibun/j-index.html
いわての文化情報大事典「浄法寺の漆掻きと浄法寺塗の用具及び製品」
http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/hist83
Highlighting Japan「浄法寺漆と浄法寺塗」(2022年5月号)
https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202205/202205_05_jp.html
Wikipedia「浄法寺漆」
https://ja.wikipedia.org/wiki/浄法寺漆

最終更新日: 2026.05.12