多聞院伊澤家住宅|修験者が暮らした茅葺きの重要文化財住宅

岩手県北上市和賀町岩沢の静かな山里に佇む多聞院伊澤家住宅は、江戸時代に羽黒派修験者(山伏)の住まいとして使われていた貴重な民家建築です。平成2年(1990年)に国の重要文化財に指定されたこの茅葺き屋根の建物は、一般的な農家住宅の形態を保ちながらも、内部に仏堂建築の手法を取り入れた修験道場を有する全国でも極めて稀な遺構です。かつて里人たちの安穏を守った修験者の暮らしと祈りの場を、今日に伝えています。

歴史的背景

多聞院伊澤家は、羽黒派の修験者(里修験)として里に住み着き、仙人権現(現在の久那斗神社)の別当(管理を任された僧職)を代々務めてきた家柄です。仙人権現は、平泉の藤原秀衡が仁平年間(1150年代)に、秋田と平泉を結ぶ秀衡街道の最大の難所であった仙人峠の安全を祈願して、先祖秀忠の霊を祀ったことに始まると伝えられています。

伊澤家の先祖は、天明年間(1781〜1789年)に活躍した修験者・多聞院秀慶と伝えられます。江戸時代中期以降、和賀・沢内地方の15ヶ村では5院の修験者が宗教活動を行っていましたが、多聞院はその中でも最も多い8ヶ村を担当し、地域で大きな勢力を持っていました。修験者として悪霊を祓い、災いを除き、人々の暮らしの安穏を守る存在として里人から深く信頼されていました。

しかし、明治政府が発した神仏分離令と修験禁止令により、修験道はそれまでの活動を続けることができなくなりました。伊澤家は還俗して神職となり、仙人権現も久那斗神社へと改称され、今日に至っています。

重要文化財指定の理由

多聞院伊澤家住宅が平成2年(1990年)9月11日に国の重要文化財に指定された最大の理由は、里修験者の住宅として全国でも数少ない遺構であることです。江戸時代における山伏の住宅の実態はほとんど解明されておらず、修験道場を内包した住宅の現存例は極めて貴重です。

建物は、この地方の一般的な農家の形態である内厩式直ご家(うちまやしきすごや)を基本としながらも、道場空間に仏堂建築の手法を採用している点が高く評価されました。また、母屋の後方に現存する久那斗神社里宮(天明7年・1787年建立)とあわせて、修験者の活動拠点がほぼ完全な形で残されていることも、建築史上・文化史上の大きな価値とされています。

建築の見どころ

主屋は桁行20.4メートル、梁間11.2メートルの木造平屋建てで、寄棟造の茅葺き屋根を持つ堂々たる構えです。間取りは座敷・道場・中間・常居・寝室・庭(土間)・台所・厩(うまや)からなり、この地方の農家住宅の特徴をよく残しています。

修験道場 — 住宅の中の聖なる空間

本住宅の最大の見どころは、上手に設けられた修験道場です。座敷と道場の境には社寺建築に特有の丸柱(円柱)が立てられ、その上に虹のように優美に湾曲した虹梁(こうりょう)が架け渡されています。さらに虹梁の上には大瓶束(たいへいづか)が配され、仏堂に用いられる本格的な構造が住宅内に展開されています。

特に注目すべきは、虹梁上部の壁面に施された「波に竜」の漆喰彫刻の欄間です。白壁に浮かび上がる波涛と龍の意匠は、修験者の霊力と信仰の深さを象徴するかのような力強い造形です。また、道場の内法上の壁にも漆喰彫刻が用いられており、住宅でありながら聖なる空間としての演出が随所に施されています。座敷と道場は仕切りを開放して一室として使用することが可能で、大規模な宗教儀礼の際にはこの空間全体が祈りの場となりました。

久那斗神社里宮

主屋の北西、小さな杉林の中に佇む久那斗神社里宮は、天明7年(1787年)に建立された修験活動の拠点です。神仏分離以前の姿をとどめるこの建物には、木鼻(きばな)や火頭窓(かとうまど)といった社寺建築の意匠が取り入れられています。堂内には十一面観音像、役行者(えんのぎょうじゃ)像、不動明王像が祀られており、修験道の信仰世界を今に伝えています。

里宮は伊澤家住宅とともに重要文化財に指定されており、住居と宗教施設が一体となった里修験の活動空間をほぼ完全な形で残す、全国的にも貴重な文化遺産です。

見学案内

多聞院伊澤家住宅は、JR北上駅から車で約40分の和賀地区に位置しています。公共交通機関でのアクセスは限られるため、レンタカーまたはタクシーの利用が便利です。最寄りのローカル駅はJR北上線の岩沢駅です。

見学を希望される場合は、事前に北上市教育委員会文化財課(電話:0197-65-0098)にお問い合わせいただき、見学の可否や公開状況をご確認ください。周辺は水田と森に囲まれた静かな山村風景が広がり、四季を通じて美しい自然を楽しむことができます。春には近くの岩沢ミズバショウ群生地で水芭蕉の花が見頃を迎えます。

周辺の見どころ

多聞院伊澤家住宅がある和賀地区には、歴史と自然を満喫できるスポットが点在しています。

  • 秀衡街道(ひでひらかいどう) — 平泉と秋田県横手市を結んだ歴史街道。かつて金が馬の背に載せて運ばれたと伝えられ、仙人峠を越える旧道の一部は現在もハイキングコースとして歩くことができます。
  • 姥杉(うばすぎ) — 久那斗神社登山口付近に聳える推定樹齢約900年の巨木。樹高約30メートル、根本周り11.5メートルを誇り、林野庁の「森の巨人たち百選」に選定されています。
  • 和賀の松島 — 和賀川沿いの松林と岩の景観が宮城県の松島を思わせる景勝地。紅葉の季節が特に美しく、千数百万年前の地層(綱取層)も露出しています。
  • 岩沢ミズバショウ群生地 — 伊澤家住宅の近くにある水芭蕉の自然群生地。早春に白い仏炎苞が一斉に開花し、湿地帯に幻想的な風景が広がります。
  • 北上展勝地(きたかみてんしょうち) — 車で約40分、東北有数の桜の名所。北上川沿いに約2キロメートルにわたって約1万本の桜並木が続き、毎年4月中旬に見頃を迎えます。

Q&A

Q多聞院伊澤家住宅とはどのような建物ですか?
A岩手県北上市和賀町にある、江戸時代後期に建てられた羽黒派修験者(山伏)の住宅です。茅葺き寄棟造りの木造平屋建てで、一般的な農家の形態を保ちながらも、内部に仏堂建築の手法を用いた修験道場を持つ全国的にも稀な遺構として、平成2年(1990年)に国の重要文化財に指定されました。
Q建物の見どころは何ですか?
A最大の見どころは上手に設けられた修験道場です。丸柱の上に架けられた虹梁(こうりょう)や大瓶束(たいへいづか)といった社寺建築の要素、そして虹梁上部に施された「波に竜」の漆喰彫刻の欄間は、住宅建築としては極めて珍しい意匠です。
Q見学するにはどうすればよいですか?
AJR北上駅から車で約40分の場所にあります。公共交通機関でのアクセスは限られるため、レンタカーやタクシーのご利用をおすすめします。見学の際は、事前に北上市教育委員会文化財課(電話:0197-65-0098)にお問い合わせください。
Q久那斗神社とはどのような関係がありますか?
A久那斗神社はもともと「仙人権現」と呼ばれた山の神を祀る神社で、伊澤家はその別当(管理者)を務めていました。主屋の後方に現存する里宮は天明7年(1787年)の建築で、十一面観音像や役行者像などが祀られています。住宅とともに重要文化財に指定されています。
Q周辺にはどのような観光スポットがありますか?
A近くには推定樹齢900年の巨木「姥杉」、宮城の松島を思わせる景勝地「和賀の松島」、水芭蕉の群生地などがあります。また、平泉と秋田を結んだ歴史街道「秀衡街道」のハイキングコースや、東北有数の桜の名所「北上展勝地」(車で約40分)もおすすめです。

基本情報

名称 多聞院伊澤家住宅(たもんいんいさわけじゅうたく)
文化財指定 国指定重要文化財(平成2年〈1990年〉9月11日指定)
建築年代 江戸時代後期(18世紀末~19世紀初頭と推定)
構造 木造平屋建、桁行20.4m・梁間11.2m、寄棟造、茅葺
所在地 〒024-0325 岩手県北上市和賀町岩沢9地割48番地
所有者 北上市/久那斗神社
アクセス JR北上駅から車で約40分
お問い合わせ 北上市教育委員会 文化財課 文化財係 電話:0197-65-0098
附指定 久那斗神社里宮(天明7年〈1787年〉建立、重要文化財)

参考文献

多聞院伊澤家住宅(岩手県和賀郡和賀町) - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/187943
多聞院伊澤家住宅 - いわての文化情報大事典(岩手県)
http://www.bunka.pref.iwate.jp/archive/hist25
多聞院伊澤家住宅 と 久那斗神社(国指定重要文化財) - きたぶら 北上観光コンベンション協会
https://kitakami-kanko.jp/location/tamonnin/
多聞院伊澤家住宅 - 北上市公式ウェブサイト
https://www.city.kitakami.iwate.jp/life/soshikikarasagasu/bunkazaika/bunkazaigakari/sinainobunnkazai/yuukeibunnkazai/5464.html
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/103

最終更新日: 2026.04.13