明治最後の年に建った数寄屋

増井家住宅茶室は、香川県高松市扇町にある明治45年(1912年)建築の数寄屋造の茶室で、平成21年(2009年)に国の登録有形文化財となった建造物である。

明治45年という年代は幅が狭い。この年号は7月末で終わり、以後は大正元年となる。廃藩置県から始まった時代の最後の数か月に、この建物は完成した。しかも建った場所は、藩主が二世紀半にわたって茶を重んじた城下である。

棟は書院の南に、南北方向の棟として建つ。通りに面する二棟とは直交する向きで、この方位が用途を先に語る。主屋と書院が公道に向かって顔をつくるのに対し、茶室は通りに背を向け、庭に向き直っている。

建築面積は99平方メートル。登録の記載には中潜および待合が附として挙げられており、建物本体だけでなく庭に配された二つの構築物まで含めて登録されていることになる。部屋は北から順に八畳、四畳、六畳の水屋。南西の隅には切妻屋根を独立して架けた四畳の雲門庵が取り付く。

この茶室の性格は、公式の解説文のひと言に凝縮している。襖や窓の意匠を部屋ごとに違えている、という記述である。家の様式をひととおり適用するのではなく、四つの室にそれぞれの扱いを与える。

入る前に通る建築

茶室は、入る建物というより、通り抜ける順序として組まれている。庭の路地は、その先にある座敷と同じだけの仕事をする。

客はまず待合に集まる。腰掛を置いた小さな上屋で、亭主の合図があるまでここで待つ。待つ以外に何も起こらないのだが、それが目的である。到着の速度を落とし、別々に来た人々をひとつの組にまとめる装置なのだ。

次に中潜。外露地と内露地を仕切る低い門で、わざと小さく造られる。頭を下げなければ通れない。くぐる者は望むと望まざるとに関わらず身をかがめ、その先では庭の外の身分が通用しなくなる。人に頭を下げさせることが機能そのものである建築は、日本の庭のなかでもそう多くない。

主棟の屋根は切妻造の桟瓦葺で、庇を張り出す。この選択に注意したい。主屋と書院はどちらも本瓦葺、つまり平瓦と丸瓦を組む重く格の高い葺き方である。桟瓦は軽く安価で、屋根の見え方も薄い。ここでの選択は節約ではなく作法にあたる。数寄屋は農家や庵の語彙を意図して借りる様式であり、茶室に格式ばった屋根を架ければ、その企て自体と矛盾してしまう。

雲門庵の天井

南西の四畳、雲門庵は、公式記録がもっとも詳しく記す室である。西の壁に床(トコ)を構え、天井には網代と掛込を併用する。

網代天井は編んだ天井である。杉の経木や竹などを細く割り、斜めや市松に組んで面をつくり、天井板の代わりに張る。木工というより籠の肌合いで、低い光を受けたときの表情が板張りとは違う。

掛込天井は勾配のある天井を指す。室の全面を水平に張らず、一部を垂木の下面に沿わせて軒の側へ落としていくので、一方が高く一方が低い室になる。茶人はこれを、室の一部を押さえ別の一部を持ち上げる手段として用いた。多くの場合は亭主の働く側の天井を下げ、客の上を高く残す。目で気づく前に体で感じる非対称である。

雲門という名は禅の語彙に由来する。雲門は唐代の禅僧の名で、その法系は中国禅の五家のひとつを成した。茶室の名にこうした語が選ばれるのは珍しくない。茶の美意識そのものが禅と密接に交わりながら育ったからである。ただし増井家がこの名を採った理由を記した資料は、今回参照した範囲では見つからなかった。関連は背景として述べるにとどめ、命名の意図として断定はしない。

明治45年の高松で商家が茶室を構えることには、それなりの土壌があった。千利休の曾孫にあたる一翁宗守が創始した武者小路千家は、高松松平家の茶の指南役を務め、以後の家元は明治維新まで高松藩に仕えたと伝わる。藩主が客をもてなした大茶屋、栗林公園の掬月亭も数キロ先に今も建つ。茶はこの地に外から持ち込まれた趣味ではなかった。

訪ねる際に

増井家住宅茶室は個人住宅の一部で、一般公開されていない。拝観時間も拝観料もなく、外部の者が参加できる茶会も設定されておらず、内部に入ることはできない。文化庁のデータベースには所有者名も管理団体も公開に関する記載もなく、定期公開の告知も確認できていない。前節で述べた雲門庵や網代天井、待合、中潜は、見学経路ではなく公式記録から知られる内容である。

茶室は書院の背後に立ち、内側の庭園に面するため、通りからはほぼ何も見えない。扇町1丁目58-2で目に入るのは主屋の正面と書院の長い側面である。公道からそれらを静かに眺めるにとどめ、敷地内に立ち入ったり庭をのぞき込んだりしないよう願いたい。公道からの外観撮影は一般に差し支えないが、敷地内や住人にレンズを向ける行為は控えたい。

場所はJR予讃線の昭和町駅から北東へ徒歩10分ほど、JR高松駅からは南西へ約1.3キロ、徒歩20分程度である。

茶室について読むのではなく実際に座ってみたいなら、南へ約4キロの栗林公園がその答えになる。歴代の高松藩主が用いた数寄屋造の掬月亭は、9時から16時30分(最終受付16時)に入亭でき、抹茶と菓子で800円、煎茶と菓子で600円。別に公園入園料が大人500円・小人170円必要で、公園自体は季節により7時から17時の開園である。同じ園内の日暮亭は営業時間が短く、土日祝日を中心とした開亭となっている。扇町の東約1.7キロ、玉藻公園の披雲閣は平成24年(2012年)指定の重要文化財で、告知された期間に一般公開される。いずれも時間や料金は改定されるため、出発前に最新の案内を確認したい。

Q&A

Q増井家住宅茶室は見学できますか。茶会に参加できますか。
Aできません。個人住宅の一部で一般公開されておらず、拝観時間・拝観料の設定も、外部の方が参加できる茶会もありません。書院の背後に建つため通りからも見えません。
Q増井家住宅茶室の雲門庵とはどの部分ですか。
A南西の隅に切妻屋根を独立して架けて取り付く四畳の茶室です。西側に床(トコ)を構え、天井は編んだ網代と勾配のある掛込を組み合わせています。
Q増井家住宅茶室に附として登録された中潜と待合とは何ですか。
Aいずれも露地に設けられた構築物です。待合は亭主の合図を待つための小さな上屋、中潜は外露地と内露地を仕切る低い門で、通る者が身をかがめる高さに造られます。
Q増井家住宅茶室はいつ建てられ、いつ登録されたのですか。
A明治45年(1912年)の建築で、昭和31年(1956年)に増築と改修を受けています。登録は平成21年4月28日、告示は同年5月14日、登録番号は37-0325です。
Q増井家住宅茶室の近くで茶室を体験できる場所はありますか。
A南へ約4キロの栗林公園にある掬月亭が適しています。数寄屋造の大茶屋で、9時から16時30分の入亭、抹茶と菓子800円・煎茶と菓子600円、別途公園入園料が大人500円必要です。

基本データ

名称増井家住宅茶室(ますいけじゅうたくちゃしつ)
所在地香川県高松市扇町1-58-2
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 37-0325/登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年平成21年(2009年)4月28日登録、同年5月14日告示(第63回登録)
員数1棟(中潜及び待合付)
寸法木造、瓦葺、建築面積99平方メートル/八畳・四畳・六畳水屋および四畳の雲門庵/明治45年(1912年)建築、昭和31年(1956年)増築改修
所有者個人(文化庁データベースに所有者名の記載なし)
公開状況非公開。公道からは視認できない

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 増井家住宅茶室
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007697
文化遺産オンライン 増井家住宅茶室
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/198689
国指定文化財等データベース(文化庁) 増井家住宅書院
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007696
国指定文化財等データベース(文化庁) 増井家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007695
料亭二蝶 栗林公園 掬月亭・日暮亭(時間・料金)
https://www.2chou.jp/news/ritsurin-kikugetsu/
国土交通省四国地方整備局 四国八十八景プロジェクト 特別名勝「栗林公園」
https://www.skr.mlit.go.jp/kikaku/88-kei/scenery/79_kagawa.html

最終更新日: 2026.07.30