敷地でいちばん古い建物
増井家住宅書院は、香川県高松市扇町にある江戸末期建築の座敷棟で、平成21年(2009年)に国の登録有形文化財となった建造物である。
年代は西暦1830年から1867年の間とされ、この敷地の三棟のなかで最も古い。隣の主屋は明治40年(1907年)、南の茶室は明治45年(1912年)の建築だから、書院はそれらより四十年以上先に建っていたことになる。明治になって前面を建て替えたとき、増井家は祖父母の代が使っていた座敷を残し、新しい主屋をそこへ取り付けた。
棟は主屋の東へ連続し、同じ通りに面して間口15メートルの正面をつくる。屋根は切妻造の本瓦葺で、正面には下屋庇を通し、一部は後に金属板で葺き替えられている。建築面積は166平方メートルで、登録三棟のうち最も大きい。棟全体が昭和31年(1956年)に改修を受けた。
内部の構成は素直である。主屋に接する北側に八畳、庭園に向く南側に十畳。格式の場は南の十畳で、こちらには書院座敷の道具立てが揃う。
床・天袋・平書院 ―― 座敷の文法
書院という語は、もともと僧房の読書のための出張り窓を指した。それが室町以降、座敷全体の様式名へと広がっていく。江戸時代の正式な座敷には決まった設備の組み合わせが期待され、その配置が客の座る位置と家の格を示した。増井家の十畳はその条件を満たしている。
まず床(トコ)。掛軸と花を飾る一段の窪みで、上客はここを背にして座る。座の順序を空間そのものが決めてしまう仕掛けである。床脇の上部には天袋が付く。天井近くに設けた小さな戸棚で、軸箱や香の道具を納めた。そして平書院。外壁に沿って設けられる書き物のための構えで、付書院が机板と低い窓を伴って外へ張り出すのに対し、平書院は壁面と同じ面に納まる。派手さを避けた選択と言ってよい。武家の様式語彙を借りながら、声を張らない。町家の座敷としてはこの控え方が似合う。
襖の上には欄間が抜ける。襖を閉てたままでも光と空気が隣室へ通う開口で、記録によれば欄間も襖も装飾を伴う。文化庁の解説はこの座敷を「瀟洒」と評している。豪奢ではなく、整って嫌味がないという意味の言葉である。
南の庭園側には低い切目縁が延びる。縁板を建物と直交させて張り、木口を庭へ向ける形式で、板を壁と平行に流す榑縁とは見え方が違う。大工の細目のようだが、視線の動きは実際に変わる。板の線が外へ向かって伸びるので、目は縁の上にとどまらず植栽の方へ引かれていく。
街並みへの寄与という登録理由
登録有形文化財の制度は、平成8年(1996年)の文化財保護法改正で設けられた。重要文化財への指定より規制が緩く、所有者は建物を使い続けながら、外観を大きく変える際に届け出をする。税の軽減と修理への支援が伴う。制度が想定していたのは、ほかでもなくこうした事例だった。十九世紀から二十世紀初頭の個人住宅で、今も人が住んでおり、国宝候補にはならないが失われれば街の一角が薄くなる建物である。
増井家の三棟はいずれも平成21年4月28日に登録、5月14日に告示された。第63回登録で、書院の登録番号は37-0324。隣の二棟と異なるのは、挙げられた登録基準である。主屋と茶室は「造形の規範となっているもの」、つまり形や細部の質と典型性を評価する区分で登録された。書院だけは「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という別の区分にあたる。
間口15メートルという数字と並べれば、その理由は見えてくる。通りを受け持っているのはこの棟なのだ。半街区分ほどの長さで続く瓦屋根と、その下を一直線に通る下屋庇。扇町の景観に対して座敷の細工ができないことを、この外形が果たしている。登録基準が見ているのは、室内ではなく建物の外側だった。
訪ねる際に
書院は個人住宅の一部であり、一般公開されていない。拝観時間も拝観料もなく、内部に入ることはできない。文化庁のデータベースには所有者名も管理団体も公開に関する記載もなく、定期公開の告知も確認できていない。前節で述べた十畳の床や平書院、切目縁は、公開されている見学経路ではなく公式記録から知られる内容である。
見ることができるのは長い正面外観で、瓦の切妻屋根、通しの下屋庇、そして主屋の線を東へ引き継いでいく構えである。所在地は扇町1丁目58-2。公道から静かに眺めるにとどめ、敷地内へ立ち入ったり南側の庭をのぞき込んだりしないよう願いたい。公道からの外観撮影は一般に差し支えないが、屋内や住人にレンズを向ける行為は避けたい。
JR予讃線の昭和町駅から南西へ徒歩10分ほど。JR高松駅からは北東へ約1.3キロ、徒歩20分程度。扇町は伝統的建造物群保存地区ではなく現役の市街地なので、案内板もないまま後代の建物に混じって建っている。
実際に上がれる書院座敷を見たいなら、高松市内に候補がある。約1.7キロ東の史跡高松城跡(玉藻公園)に建つ披雲閣(旧松平家高松別邸)は大正6年(1917年)竣工の近代和風建築で、平成24年(2012年)に重要文化財に指定された。正統的な書院造を大規模に展開した建物だが、運用は主に貸館で、一般公開は告知された期間に限られるため、高松市の案内を事前に確認したい。栗林公園の掬月亭は9時から16時30分(受付16時まで)の入亭で、抹茶800円・煎茶600円(菓子付)、別に公園入園料が大人500円・小人170円。料金や時間は改定されるので出発前に最新情報を確かめるとよい。
Q&A
- 増井家住宅書院の内部は見学できますか。
- できません。個人住宅の一部で一般公開されておらず、拝観時間や拝観料の設定もありません。見学できるのは公道から望む通りに面した外観のみです。
- 増井家住宅書院は主屋と比べてどれくらい古いのですか。
- 書院は江戸末期(1830年から1867年の間)の建築で、主屋は明治40年(1907年)、茶室は明治45年(1912年)です。書院は登録三棟のうち最も古く、他の二棟より四十年以上先行します。
- 増井家住宅書院はなぜ主屋と登録基準が違うのですか。
- 主屋と茶室は「造形の規範となっているもの」として登録されましたが、書院は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」にあたります。間口15メートルの正面と長い瓦屋根が通りの景観を形づくっている点が評価されています。
- 増井家住宅書院の十畳にはどのような設備がありますか。
- 公式記録によれば、床(トコ)、その脇の高所に設けた天袋、壁面と同面に納まる平書院を備え、欄間や襖に装飾が施されます。南の庭園側には低い切目縁が付きます。
- 増井家住宅書院へのアクセスを教えてください。
- 所在地は高松市扇町1丁目58-2です。JR昭和町駅から南西へ徒歩約10分、JR高松駅からは約1.3キロで徒歩20分ほどの位置にあたります。
基本データ
| 名称 | 増井家住宅書院(ますいけじゅうたくしょいん) |
|---|---|
| 所在地 | 香川県高松市扇町1-58-2 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 37-0324/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 |
| 指定年 | 平成21年(2009年)4月28日登録、同年5月14日告示(第63回登録) |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造、瓦葺一部金属板葺、建築面積166平方メートル/間口15メートル/江戸末期(1830年から1867年)建築、昭和31年(1956年)改修 |
| 所有者 | 個人(文化庁データベースに所有者名の記載なし) |
| 公開状況 | 非公開。外観のみ公道から見学可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 増井家住宅書院
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007696
- 文化遺産オンライン 増井家住宅書院
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/143458
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 増井家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007695
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 増井家住宅茶室
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00007697
- 香川県教育委員会 香川県内の登録有形文化財
- https://www.pref.kagawa.lg.jp/kenkyoui/shogaigakushu/bunkazai/culturalassets/culturalassets_16.html
- 高松市 重要文化財 披雲閣(旧松平家高松別邸)利用案内
- https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kurashi/shisetsu/park/tamamo/bunzai2018080716.html
最終更新日: 2026.07.30