身を退いた者のための小さな家
やまひら醤油隠居屋は、香川県小豆郡土庄町大部にある大正2年(1913年)建築の隠居屋で、平成16年(2004年)3月2日に国の登録有形文化財(建造物)となった。
隠居屋という建物種別は、家督という制度を前提にしている。当主の座は終身のものではなく、家業を子に譲った父は主屋の座敷を離れ、同じ敷地内に建てた小さな別棟へ移る。声の届く距離に留まりながら、商いの場からは退く。そのために建てられる住まいが隠居屋である。この一棟は、明治中期から大部で醤油を醸してきたやまひら醤油の家に属する。
規模は小さい。石積基礎の上に木造2階建、建築面積はわずか33平方メートル。文化庁のデータベースは桁行3間半、梁行2間半の平面規模と記録する。メートルに直せば6.4メートル×4.5メートル程度である。屋根は入母屋造の桟瓦葺で、棟は東西に通る。
位置の取り方に意図が読める。この建物は敷地西辺の中程、細い小路にじかに接して建つ。醸造の蔵は北の港へ向いているのに対し、隠居屋は海に背を向けて集落の日常の通路に面している。
出隅を廻る肘掛窓
文化庁の解説文がわざわざ挙げている細部は、2階西北の出隅部にある。ここに手摺付の肘掛窓が矩折に廻され、建物の二つの面に連続して開く。
肘掛窓は敷居を低く取った窓である。畳に座った人が肘を載せる高さに合わせてあり、立つ人のためのものではない。それを外側の角で折り曲げて廻すのは、この規模の住宅にとってかなり大きな構造上の判断で、隅柱の扱いに無理をさせることになる。得られるのは、座ったまま小路を二方向へ見下ろせる視界と、寄りかかれる手摺である。
解説文はこの構えを、小路側に「離れ風の開放的な」ものと表現している。離れは客用や茶事のための別棟を指す言葉で、たしかにこの一棟は効率のためではなく居心地のために建てられている。最良の設備が、通りを眺めて座る場所だという建物なのである。
登録有形文化財という区分についても触れておきたい。国宝・重要文化財は「指定」であり、現状変更に国の許可を要する厳格な制度である。これに対し登録有形文化財は平成8年(1996年)の文化財保護法改正で新設された枠組みで、明治以降の膨大な建築が評価される前に姿を消していく事態に対応するために作られた。現状変更は届出で足り、税制上の優遇があり、使い続けることが妨げられない。
この隠居屋の登録番号は37-0202、第41回登録。登録年月日は平成16年3月2日、告示は同年3月29日。適用された登録基準は第一号「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。守られているのは建物単体ではなく大部の小路の景観であり、この一棟はその壁面のひとつという位置づけになる。すぐ南に建つ昭和13年(1938年)の土蔵は同日に37-0203として登録され、解説文でも同じ「敷地西辺沿いの構成要素」と説明される。敷地の海側の角に建つ明治40年(1907年)の諸味蔵が37-0201で、三棟が揃う。
小路から見上げる
この建物は小路から見るように建てられている。道幅が狭いので壁に近い距離で立つことになり、必然的に見上げる姿勢になる。石積の基礎が床を少し持ち上げ、その上に2階の壁が載り、角の窓は数メートル手前から目に入る。
屋根の見え方に注意してほしい。入母屋造は寄棟の面が棟際で小さな妻をつくる形式で、桁行3間半という寸法の建物では全体が凝縮して見える。桟瓦は薄手で軽い。数歩南の土蔵が本瓦葺であることと比べると、両者の意図の違いがはっきりする。一方は住まいの屋根であり、もう一方は蔵の屋根である。
そのまま敷地を一巡りしたい。登録三棟の建築年は明治40年、大正2年、昭和13年と三つの時代にまたがっており、家業が少しずつ設備を整えていった経緯がそのまま残っている。まとまった造営計画で一度に建てられたものではない。
実用の情報。隠居屋は稼働中の醸造場敷地内の私有建築であり、内部公開はない。見学できるのは外観で、西辺の小路は公道である。外観の撮影は自由だが、敷地内や作業場については一声かけてからにしたい。大部港から徒歩1分ほどの工場直売所は9時から17時の営業、日曜定休で観光シーズンは営業とされ、休業日は会社の営業カレンダーに載る。建物について尋ねるなら、この店先が適切な窓口になる。
大部への交通は、対岸の岡山県日生港とのフェリーが令和5年(2023年)12月1日で運航休止となったため、以前より手間が増えた。土庄港から車で三十分前後、福田港から二十分前後。小豆島オリーブバス北廻り福田線の大部向町バス停が醸造場のすぐ前だが便数が少なく、時刻表を先に確認しておくべきだ。東へ少し歩いた浜庄甲3272-1には大森醤油醸造所の麹庫と槽場及び操作場があり、大正初期の建築で、これも平成16年3月の同じ日に登録されている。
Q&A
- やまひら醤油隠居屋の「隠居屋」とはどういう建物ですか。
- 家業を後継者に譲った当主が移り住むために、同じ敷地内に建てられた別棟の住まいです。この一棟は大正2年(1913年)の木造2階建で、やまひら醤油の醸造場敷地の西辺に建っています。
- やまひら醤油隠居屋の内部は見学できますか。
- できません。稼働中の醸造場敷地内の私有建築で、内部公開の告知はありません。敷地西辺の小路は公道なので外観は見学できます。近くの工場直売所は9時から17時まで一般に開いています。
- やまひら醤油隠居屋の見どころはどこですか。
- 2階西北の出隅部を矩折に廻る手摺付の肘掛窓です。畳に座った人の肘の高さに合わせた低い窓で、それを外側の角で折り曲げて二面に連続させています。建築面積33平方メートルの小規模な住宅としては大胆な設計です。
- やまひら醤油隠居屋は重要文化財ですか。
- いいえ、登録有形文化財(建造物)で、登録番号は37-0202、登録年月日は平成16年3月2日です。国宝・重要文化財の「指定」より緩やかな制度で、現状変更が届出で済み、建物を使い続けながら保存することを前提としています。
- やまひら醤油隠居屋がある大部へはどう行きますか。
- 車で土庄港から三十分前後、福田港から二十分前後です。バスは小豆島オリーブバス北廻り福田線の大部向町バス停下車で、醸造場のすぐ前になります。大部港と岡山県日生港を結ぶフェリーは2023年12月1日で運航休止のため利用できません。
基本情報
| 名称 | やまひら醤油隠居屋(やまひらしょうゆいんきょや) |
|---|---|
| 所在地 | 香川県小豆郡土庄町大部字浜庄甲3260 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 37-0202、第41回登録/登録基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 指定年 | 登録年月日 平成16年(2004年)3月2日/登録告示 同年3月29日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、瓦葺、建築面積33平方メートル。桁行3間半、梁行2間半、石積基礎。入母屋造、桟瓦葺。2階西北の出隅部に矩折の手摺付肘掛窓 |
| 所有者 | 国のデータベースに所有者名の記載なし。やまひら醤油(山口醤油有限会社)の敷地内 |
| 公開状況 | 敷地西辺の小路から外観の見学可。内部公開なし。工場直売所は9時から17時、日曜定休(観光シーズンは営業)、休業日は会社の営業カレンダーによる。大部港から徒歩1分ほど |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)やまひら醤油隠居屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004037
- 文化遺産オンライン やまひら醤油隠居屋
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/117117
- 国指定文化財等データベース(文化庁)やまひら醤油土蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004038
- やまひら醤油 会社概要・アクセス
- https://www.yamahira-soy.com/?mode=f1
- 小豆島観光協会 やまひら醤油
- https://shodoshima.or.jp/sightseeing/detail.php?id=259&c=2
最終更新日: 2026.07.29