38年間、部材のまま眠っていた仏堂

旧燈明寺本堂は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷の三溪園に建つ室町時代前期の仏堂で、大正10年(1921年)4月30日に国の重要文化財に指定された。

指定を受けた当時、この建物はまだ京都府相楽郡加茂町、現在の木津川市加茂町にあり、燈明寺の本堂として使われていた。すでに寺勢は衰えていた。第二次世界大戦直後の台風で堂は大きな被害を受け、昭和24年(1949年)、修理のためにいったん解体される。

ところが工事はそこで止まった。寺内部の事情によって再建の目処が立たず、番号を打たれた部材は保存小屋に格納されたまま30余年が過ぎる。整理して積み上げておけば木材が傷まないわけではない。ふたたび部材が検分されたとき、腐朽はかなりの範囲に及び、資料として不足する部分も少なくなかった。

事態を動かしたのは塔だった。燈明寺の三重塔は大正3年(1914年)にすでに三溪園へ移築されており、その縁から本堂も同園へ寄贈されることになる。所有者の移転を機に部材が横浜へ運ばれ、昭和57年(1982年)10月から昭和62年(1987年)3月にかけて組立工事が行われた。京都の一つの境内に並んでいた塔と本堂が、73年の間を置いて横浜で再び顔を合わせたことになる。丘の上に塔、その下の平地に本堂という配置である。

「移築」ではなく「復原」であること

この工事を単なる移築と呼ぶと実態を取り逃がす。工事の目標に据えられたのは、解体直前の姿ではなく、室町時代前期頃の当初形式だった。

燈明寺は衰退と復興を繰り返す過程で宗派が何度か変わり、そのたびに堂に手が加えられている。江戸中期、寛文年間から寛延年間にあたる1661年から1750年頃には大修理が入り、内部はかなり改変されていた。昭和の工事はこれを巻き戻す方向で進められた。内部の組物と天井、軒廻りと向拝、側廻りおよび内陣の柱間装置が復旧され、縁廻りが整備され、大棟と妻の熨斗積が整えられている。厨子も復旧整備の対象となった。

当初材が失われていた箇所については、安易に新材へ置き換える処置は避けられている。後世の材であっても構造的に使えるものは極力再用され、埋木と矧木を多用し、合成樹脂を併用して形を整えたうえで組み上げられた。根拠となる資料が残らない部分は、同時代の類例を参照して形式を決めている。

文化庁の記録では構造形式を「桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺」とする。修理工事報告に基づく記載ではこれに「向拝一間」が加わり、建物は西面すると記される。年代については文化庁データベース、修理記録ともに室町時代前期(1333〜1392年)で一致しており、三重塔のような年代の食い違いは生じていない。

堂内をどう見るか

正面に立つと、外陣の広さがまず目に入る。この奥行きの堂であれば柱が林立していてもおかしくないところだが、ここでは大虹梁を架け渡すことで入側柱を省略しており、外陣は一室の大きな空間として抜けている。礼拝する俗人のための場を広く確保するという中世密教本堂の平面思想が、この一点に集約されている。

その奥、外陣と内陣は格子戸で仕切られる。内陣には復元された三間厨子が据えられ、祀られている十一面観音像は複製である。

三溪園は堂内の音の響きの良さにも触れている。密閉された展示物として扱うのではなく、演奏会や催事の会場として使われている理由のひとつがここにある。

外に出て、軒先の瓦を見てほしい。「東明寺」と刻まれた瓦がある。中世に天台宗寺院として再興された時期の寺名で、江戸時代に日蓮宗へ改まった際に寺名も「燈明寺」となったが、中世に建てられた本堂と三重塔の瓦には古い表記が残された。丘の上の塔にも同じ銘があり、二棟が同じ境内の建物であることを確かめる手がかりになる。

堂内に入れるかどうかは日によって異なる。三溪園の古建築は原則として内部非公開であり、加えて本堂は有料貸出施設として登録されていて、展示や茶会、演奏会などに使われる。内部の見学が目的であれば、事前に園へ問い合わせておくのが確実である。外観は開園時間中いつでも周囲の芝地から眺められる。

本堂は外苑の平坦地、大池に近い一角にあり、三重塔の丘の登り口からすぐ、待春軒の近くに建つ。開園は9時から17時(入園は16時30分まで)、12月下旬に数日の休園日がある。入園料は大人900円、小・中学生200円だが、料金や開園時間は改定されることがある。JR根岸駅前バスターミナル1番乗り場から本牧方面行きの市営バスで約10分、「本牧」下車、そこから約600メートル、徒歩約10分。横浜駅東口2番乗り場からは8系統・148系統で「三溪園入口」下車、徒歩約5分。個人利用の撮影に制限はないが、営業目的の撮影は事前許可を要する。

Q&A

Q旧燈明寺本堂の内部は見学できますか?
A常時見学できるわけではありません。三溪園の古建築は原則として内部非公開で、本堂は有料貸出施設として展示や催事にも使われています。外観は開園時間中いつでも眺められますので、内部を見たい場合は事前に園へ問い合わせて予定を確認してください。
Q旧燈明寺本堂はなぜ京都ではなく横浜にあるのですか?
A現在の京都府木津川市にあった燈明寺が明治以降衰退し、本堂は戦後の台風被害を受けて昭和24年(1949年)に解体されました。同寺の三重塔がすでに三溪園へ移築されていた縁で本堂も同園に寄贈され、昭和57年から62年にかけて組み立てられています。
Q旧燈明寺本堂は解体・再建されていますが、室町時代の建物と言えるのですか?
A文化財修理の実務では当初材の再用度が判断の基準になります。この工事では後世の材も含めて使える部材を極力再用し、埋木や矧木で補って組み上げました。大正10年の重要文化財指定は移築後も継続しています。
Q旧燈明寺本堂と三溪園の三重塔はどのような関係にあるのですか?
A同じ燈明寺の境内に建っていた二棟です。三重塔は大正3年(1914年)、本堂は昭和62年(1987年)に移築が完了し、73年の間を置いて同じ庭園に揃いました。どちらも軒先の瓦に旧寺名「東明寺」の銘が残っています。
Q旧燈明寺本堂へのアクセスと入園料を教えてください。
A三溪園の外苑にあります。JR根岸駅前バスターミナル1番乗り場から本牧方面行きの市営バスで約10分、「本牧」下車、徒歩約10分です。入園料は大人900円、小・中学生200円、開園時間は9時から17時(入園は16時30分まで)です。

基本情報

名称旧燈明寺本堂(きゅうとうみょうじほんどう)
所在地神奈川県横浜市中区本牧三之谷58番1号 三溪園内
指定区分重要文化財(国指定)
指定年大正10年(1921年)4月30日
員数1棟
寸法桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺(修理工事報告では向拝一間を加え、西面と記載)
所有者公益財団法人三溪園保勝会
公開状況園内から外観を鑑賞可。内部は原則非公開で有料貸出施設として使用されるため、見学可否は催事の予定による

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 旧燈明寺本堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/575
文化遺産オンライン — 旧燈明寺本堂
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/155115
三溪園 — 旧燈明寺本堂
https://www.sankeien.or.jp/learn/facilities/toumyouji_hondou/
文化財建造物保存技術協会 建造物修理アーカイブ — 旧燈明寺本堂
https://www.bunkenkyo.or.jp/archive-site/detail/toumyou/
三溪園 — よくある質問
https://www.sankeien.or.jp/faq/

最終更新日: 2026.08.13