京都から運ばれてきた塔

旧燈明寺三重塔は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷の三溪園に建つ室町時代の三間三重塔婆で、昭和6年(1931年)12月14日に国の重要文化財に指定された。

もとは京都府相楽郡加茂町、現在の木津川市加茂町にあった燈明寺の境内に建っていた。燈明寺は寺伝によれば天平7年、聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝わり、中世には天台宗の寺院として再興され、江戸時代に日蓮宗へと改まった。荒廃と復興を繰り返した末、明治期には維持が難しい状態に陥る。現在、旧境内には鎮守社であった御霊神社が残るとされる。

この塔を買い取ったのが、生糸貿易で財を築いた横浜の実業家・原富太郎(1868〜1939)、号を三溪という人物だった。解体した部材を横浜まで運ばせ、大正3年(1914年)、自邸の庭園の丘の上に建て直している。三溪園の外苑はすでに明治39年(1906年)に一般公開されていたが、塔が加わったことで庭全体の設計思想が変わった。臨春閣や聴秋閣の室内から塔が絵のように見えるよう、後の建物配置が調整されていく。

運搬にまつわる記録がひとつ残っている。塔の中心を貫く心柱が長すぎて、道路のカーブを曲がりきれなかった。そこでいったん切断して運び、三溪園で組み直す際につなぎ直したという。日本の塔の心柱は屋根の荷重を支える構造材ではないため、こうした処置が可能だったと考えられている。

指定の背景と、塔の様式

関東地方に現存する木造塔として最も古い。三溪園はこの塔を関東最古の重要文化財の塔と説明しており、希少性が評価の出発点にある。畿内には同時代の塔がそれなりの数残るのに対し、関東ではほぼ例がない。

文化庁の記録では構造形式を「三間三重塔婆、本瓦葺」とする。総高は約24メートルと伝えられる。細部の手法は禅宗様ではなく和様でまとめられており、屋根の軒反りは強くなく、初重から三重にかけての逓減率も穏やかだ。上へ伸び上がる印象よりも、地面に据わった重厚さが前に出る姿である。

建立年代については資料が割れている。文化庁の国指定文化財等データベースは「室町前期/1333-1392」と記載する。一方、所有者である三溪園および横浜市の観光資料は康正3年(1457年)の建立と説明しており、同じ室町でもかなり時期が下る。両説が並存したまま公表されている状態で、現地の解説と国のデータベースを見比べると数字が食い違う。

昭和6年の指定は現行の文化財保護法以前の制度によるもので、戦後、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行にともなって重要文化財へ引き継がれた。

二十世紀を無傷で通過したわけではない。昭和20年(1945年)6月10日の横浜空襲では至近弾を受け、爆風と弾片によって損傷している。修理は昭和29年(1954年)から半解体で着手され、翌30年にかけて大がかりな工事となった。もうひとつの修正も戦後に行われた。移築から43年間、塔の正面は南を向いていたのだが、調査によって本来の向きが判明し、昭和31年(1956年)に90度回して東向きに改められた。参道も、新しい正面に合わせて付け替えられている。

見どころと、これから訪れる人への注意

軒の真下に立って見上げてほしい。この塔でいちばん密度が高いのは軒裏である。斗栱が積み上がって深い出の軒を受け、そこから垂木が等間隔に長く突き出す。日中は影に沈んで見えにくいこの部分が、夜間のライトアップでは照明を受けて輪郭を現す。

瓦にも目を向けたい。軒先の瓦には「東明寺」の三文字が刻まれている。中世に天台宗寺院として再興された時期の寺名で、江戸時代に「燈明寺」と改まった後も、中世に建てられた塔と本堂の瓦には古い表記が残った。

現在の塔は素木のままだが、戦後の修繕記録から、当初は全体が丹で赤く塗られ、垂木の小口は黄土色、連子窓は緑青色であった可能性が指摘されている。この彩色を復原するかどうかは決まっていない。

内部は公開されていない。三溪園の古建築は原則として内部非公開で、一部の建物がイベント時に限って開かれる。塔については外観の鑑賞のみとなる。

逆に、外から眺める機会は園内のいたるところにある。正門を入ってすぐの大池沿いの園路から対岸の丘を見上げる構図が定番で、季節の花と重ねて撮る人が多い。丘の上へは短いが急な階段と坂を登る。塔の脇には展望所があり、大池と旧燈明寺本堂の方角が見渡せる。園外でも、湾岸の高速道路や本牧山頂公園から塔の姿を認めることができる。

ただし、この塔を目当てに訪れるなら時期を確かめてから出かけたほうがよい。5年計画の保存プロジェクトが進行中である。令和8年(2026年)1月に耐震診断、同年4月から補強案の策定と実施設計、令和9年(2027年)頃から仮設工事と解体工事、令和10年(2028年)頃から補修・組立・補強、令和11年度(2029年度)の完了が予定されている。三溪園は、修繕工事により2027年頃から塔が見られなくなると告知している。前回の大規模修繕から約70年が経過し、荷重の集中する箇所では部材の割れや折れが確認され、基壇も不規則に沈下して塔全体が捻じれながら傾いている状態だという。

開園は9時から17時(入園は16時30分まで)、12月下旬に数日の休園日がある。入園料は大人900円、小・中学生200円。料金や開園時間は改定されることがあるため、訪問前に公式サイトで確認しておきたい。JR根岸線根岸駅前バスターミナル1番乗り場から本牧方面行きの市営バスで約10分、「本牧」下車、徒歩約10分。横浜駅東口2番乗り場からは8系統・148系統で「三溪園入口」下車、徒歩約5分。個人利用の撮影は自由だが、営業目的の撮影は事前許可が必要で、ドローンの持ち込みは認められていない。園内を一周する目安は約2時間である。

Q&A

Q旧燈明寺三重塔はなぜ京都ではなく横浜の三溪園に建っているのですか?
Aもとは現在の京都府木津川市にあった燈明寺の塔ですが、同寺は明治期に衰退しました。横浜の実業家・原富太郎(三溪)がこれを買い取り、解体・運搬したうえで大正3年(1914年)に自邸の庭園へ建て直しています。燈明寺そのものは現在廃寺となっています。
Q旧燈明寺三重塔の内部は見学できますか?
Aできません。三溪園の古建築は原則として内部非公開で、三重塔は外観のみの鑑賞となります。園内の一部の建物はイベント時に公開されることがありますが、三重塔は通常その対象に含まれていません。
Q旧燈明寺三重塔はいつ建てられ、いつ指定されたのですか?
A文化庁のデータベースは室町前期(1333〜1392年)とし、三溪園は康正3年(1457年)の建立と説明しています。指定は昭和6年(1931年)12月14日で、戦前の制度による指定が昭和25年の文化財保護法施行にともない重要文化財へ引き継がれました。
Q旧燈明寺三重塔は修理工事で見られなくなりますか?
A2027年以降に訪れる場合はその可能性が高くなります。5年計画の保存プロジェクトが2026年に始動しており、仮設工事と解体工事が始まる2027年頃から塔は見られなくなる見込みで、完了予定は2029年度です。
Q旧燈明寺三重塔へのアクセスと入園料を教えてください。
A三溪園の園内にあります。JR根岸駅前バスターミナル1番乗り場から本牧方面行き市営バスで約10分、「本牧」下車、徒歩約10分です。入園料は大人900円、小・中学生200円、開園時間は9時から17時(入園は16時30分まで)です。

基本情報

名称旧燈明寺三重塔(きゅうとうみょうじさんじゅうのとう)
所在地神奈川県横浜市中区本牧三之谷58番1号 三溪園内
指定区分重要文化財(国指定)
指定年昭和6年(1931年)12月14日
員数1基
寸法三間三重塔婆、本瓦葺。総高は約24メートルと伝わる
所有者公益財団法人三溪園保勝会
公開状況園内から外観を鑑賞可。内部は非公開。2027年頃から2029年度頃まで保存修理工事のため見学が制限される見込み

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 旧燈明寺三重塔
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/584
文化遺産オンライン — 旧燈明寺三重塔
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/121394
三溪園 — 旧燈明寺三重塔
https://www.sankeien.or.jp/learn/facilities/toumyouji_sanju/
三溪園 — ご利用案内
https://www.sankeien.or.jp/price-service/

最終更新日: 2026.08.13