二代目の庵主が増築した席

対字斎(ついじさい。たいじさいとも読む)は、五棟のうち最も新しく、最も広い一棟で、茶苑の二代目の持ち主が建てた唯一の席である。鈍翁・益田孝が大正11年(1922年)、横浜の生糸貿易で知られ美術品収集家でもあった原富太郎(号は三渓)に茶苑を譲ると、三渓は白雲洞の東にこの席を設けた。文化庁の記録も、山荘が三渓に譲渡された後に建てられたといわれる、と記す。

寄付を介した渡廊下で茶苑の他の建物とつながる。炉を切った八畳の主室、四畳の控え、水屋が柿葺の屋根の下に収まり、建築面積はおよそ44平方メートルと群中で最も大きい。

傾斜地に建てる

文化庁はこの対字斎を、平成13年(2001年)11月20日に登録有形文化財として登録した。古い茶室が地面に低く寄り添うのに対し、この一棟は急な斜面に正面から向き合う。東寄りの部分は掛造りとし、柱を立てて床を斜面の上へ張り出す。山腹に懸かる寺院の堂に用いられるのと同じ技法である。東と南に矩折れ(かねおれ)に広縁を回すため、歩くにつれて外観が移り変わる。

名は外へ向いている。前の広縁からは、近くの山肌に描かれた「大」の字が望まれ、夏の大文字焼で灯される。室に掲げる対字斎の額は鈍翁自らの筆によるもので、茶苑を譲った後も創始者の手跡がこの地に残された。

訪ねて見たいところ

東の広縁に立てば、建物の理屈が見えてくる。高く上げた床、斜面へ落ちていく柱、谷を越えて山へ抜ける切り取られた眺め。ひとつの視線の軸に沿って組み立てられた建築である。

対字斎は箱根強羅公園内の苑路の一部として見学できる。白雲洞や不染庵と併せて読むと、後の茶人が受け継いだ庭と対話しながら、田舎家の調子を保ちつつ高さと広さと計算された眺めを加えた仕事が見えてくる。

Q&A

Q対字斎は誰が建てたのですか。
A茶苑の二代目の持ち主・原三渓が、大正11年(1922年)頃、益田鈍翁から譲り受けた後に建てたとされます。
Q読みは「たいじさい」ですか「ついじさい」ですか。
A文化庁の記録は「ついじさい」と示します。案内では「たいじさい」と表記されることも多く、いずれも同じ建物を指します。
Q広縁からは何が見えますか。
A前の広縁は近くの山肌の「大」の字に向いており、大文字焼で灯されます。この眺めが名の由来です。
Q掛造りとは何ですか。
A斜面の上へ、柱を立てて床を張り出す構法です。ここでは東側の下り斜面に用いられています。

Basic Information

名称白雲洞茶苑対字斎(はくうんどうちゃえんついじさい)
所在地神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300-69(箱根強羅公園内)
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 14-0065
登録年月日平成13年(2001年)11月20日(告示 同年12月4日)
年代大正11年(1922年)
構造木造平屋建、柿葺、一部掛造り、建築面積約44平方メートル
所有者株式会社小田急箱根
公開箱根強羅公園内の苑路で見学

References

国指定文化財等データベース(文化庁) — 白雲洞茶苑対字斎
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002533
箱根強羅公園 — 白雲洞茶苑
https://www.hakonenavi.jp/gorapark/map/tea/
箱根強羅公園 — 登録有形文化財でお抽茶を
https://www.hakonenavi.jp/gorapark/info/3698/

最終更新日: 2026.07.09