無試験・無採点・無賞罰の校長に捧げられた碑
横浜国立大学名教自然碑は、神奈川県横浜市保土ケ谷区常盤台の同大学常盤台キャンパスに建つ昭和12年(1937年)建立の石碑で、平成12年(2000年)4月28日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
顕彰の対象は鈴木達治。横浜国立大学理工学部の前身にあたる横浜高等工業学校の初代校長である。碑面に刻まれた「名教自然」の四文字は鈴木自身の造語で、同校長と神奈川県立商工実習学校長を兼務するなかで、自らの教育経験から得た言葉だという。神奈川県立商工高等学校は「すぐれた教育は自然を尊ぶ」の意と説明している。学生が自らの意志で学問に向かうべきだ、という主張である。
鈴木はこれを標語にとどめなかった。同校では無試験・無採点・無賞罰、いわゆる三無主義が教育方針として掲げられ、自由啓発主義の教育が説かれた。戦前の官立高等工業学校としてはかなり思い切った立場である。この碑が建ったのは、同僚と卒業生がその姿勢を石に刻む価値があると考えたからだろう。
「名教自然」の語は現在も理工学部同窓会の名称として使われている。
寒水石の方尖柱 ― 三人の手が入った石
設計は同校建築学科教授の中村順平(1887〜1977)。中村は大正9年(1920年)に渡仏し、翌年パリのエコール・デ・ボザールに入学、短期間で課程を修めて日本人として初めてフランス政府公認建築家資格D.P.L.G.を取得した人物である。帰国後、横浜高等工業学校に開設された建築学科の初代主任教授となり、技術偏重だった当時の日本の建築教育に対して「芸術としての建築」を主張し、ボザール流の指導を実践した。
その中村が造ったのが、高さ6.6メートル、寒水石による方尖柱型の石碑である。文化庁の解説は「端整な比例と素材を生かした造形」「気品のある記念性」と評する。彫刻もレリーフも装飾もない。柱身の比例だけで成立させている。
この一基には三人の手が入っている。正面の「名教自然」四文字は鈴木達治の自筆。裏面には徳富蘇峰の撰文が、原三渓の楷書で彫り込まれている。原三渓は生糸貿易で財を成し三溪園を造った横浜の実業家・美術蒐集家である。大学構内の芝生に立つ一本の石柱としては、なかなか濃い組み合わせといえる。
建立は昭和12年11月。関東大震災からの復興事業として本館が竣工した翌年にあたる。鈴木自身が横浜で震災に遭い、その後の横浜復興に関わり続けた人物であることを踏まえると、この時期の建立には意味がある。登録基準は「再現することが容易でないもの」、登録番号14-0039。
一度だけ動いた碑と、もう一基の「名教自然」
この碑は一度移築されている。当初は横浜高等工業学校の敷地内、現在の南区大岡地区にあり、いまの横浜国立大学教育学部附属横浜中学校の校舎正面に据えられていた。大学が常盤台キャンパスへ統合移転する際に運ばれ、現在は理工学部エリアの中心に立っている。
移築年は資料によって1年ずれる。大学施設部は常盤台キャンパス完成時の昭和53年(1978年)とし、文化庁のデータベースは昭和54年(1979年)とする。どちらも修正されていない。
見学は無料でできる。ただし常盤台は観光施設ではなく稼働中のキャンパスである。実際のところ、平日の通常日であれば構内を歩くこと自体は妨げられていないが、研究棟や教室には入れず、入試日や休業日には立入りが制限される。特別に足を運ぶ場合は大学公式サイトで確認しておきたい。入場料も予約も不要で、屋外での撮影に支障はない。最寄り駅は相鉄本線の和田町駅、横浜市営地下鉄ブルーラインの三ツ沢上町駅など。いずれも坂を上ることになる。
鈴木達治に興味が向いた人への補足をひとつ。「名教自然」の碑は神奈川県立商工高等学校にもある。鈴木が兼務したもう一方の学校の後身である。あちらは四文字が横書き、横浜国大のものは縦書きという違いがあり、商工高校の碑は登録有形文化財ではない。
同じ保土ケ谷区には、平成9年(1997年)登録の西谷浄水場の煉瓦造上屋群があり、令和8年(2026年)7月から一般公開が始まっている。区内の登録建造物をまとめて回るなら組み合わせやすい。
Q&A
- 横浜国立大学名教自然碑は見学できますか。入場料は必要ですか。
- 常盤台キャンパスの屋外に立っており、平日の通常日であれば無料・予約不要で見ることができます。ただし研究棟や教室には入れず、入試日や大学の休業日には立入りが制限されます。事前に大学公式サイトで確認してください。
- 「名教自然」とはどういう意味ですか。
- 横浜高等工業学校初代校長・鈴木達治が自らの教育経験から思いついた言葉で、神奈川県立商工高等学校は「すぐれた教育は自然を尊ぶ」という意味に用いられると説明しています。学生が自発的に学ぶことを重んじる考え方です。
- 横浜国立大学名教自然碑を設計したのは誰ですか。
- 横浜高等工業学校建築学科の初代主任教授・中村順平です。パリのエコール・デ・ボザールに学び、日本人として初めてフランス政府公認建築家資格D.P.L.G.を取得した建築家で、「芸術としての建築」を掲げた教育者でもありました。
- 横浜国立大学名教自然碑には何が刻まれていますか。
- 正面に鈴木達治自筆の「名教自然」の四文字、裏面に徳富蘇峰の撰文が原三渓の楷書で彫り込まれています。原三渓は三溪園を造った横浜の実業家です。
- 横浜国立大学名教自然碑は最初から常盤台にあったのですか。
- いいえ。昭和12年11月に横浜高等工業学校の敷地内(現在の南区大岡地区、附属横浜中学校校舎正面)に建立され、常盤台キャンパスへの統合移転にともなって移築されました。移築年は大学施設部が昭和53年、文化庁データベースが昭和54年としています。
- 横浜国立大学名教自然碑の大きさと材質を教えてください。
- 高さ6.6メートル、寒水石を用いた石造の方尖柱型です。碑文以外に彫刻や装飾はありません。
基本情報
| 名称 | 横浜国立大学名教自然碑 |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県横浜市保土ケ谷区常盤台79-5 |
| 指定区分 | 国登録有形文化財(建造物)/登録番号 14-0039/登録基準「再現することが容易でないもの」 |
| 指定年 | 平成12年(2000年)4月28日登録・同年5月17日告示 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 石造(寒水石)、高さ6.6m、方尖柱型 |
| 所有者 | 国立大学法人横浜国立大学 |
| 公開状況 | 常盤台キャンパス屋外に所在。平日の通常日は無料・予約不要で見学可。入試日・休業日は制限あり |
| 建設年 | 昭和12年(1937年)11月建立/常盤台へ移築(大学施設部=昭和53年、文化庁=昭和54年)。設計=中村順平 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「横浜国立大学名教自然碑」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001567
- 文化遺産オンライン「横浜国立大学名教自然碑」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/114647
- 横浜国立大学施設部「本学の文化財 ― 名教自然の碑」
- https://shisetsu.ynu.ac.jp/gakugai/shisetsu/2campus/bunkazai/yuukei/bunkazai_meikyou.html
- 神奈川県立商工高等学校「名教自然について」
- https://www.pen-kanagawa.ed.jp/shoko-h/gaiyou/meikyousizen.html
- 大阪歴史博物館「建築家・中村順平 ― 芸術としての建築教育」
- https://www.osakamushis.jp/news/2020/tenjigae/200930.html
最終更新日: 2026.08.14