斜面に並ぶ百基の石積み
熊本市西区池上町、平(たいら)の集落を見下ろす山の斜面に、人頭大の石を積み上げた小さな塔が百基並んでいる。一基は一辺およそ2.4メートルの方形、高さは約0.6メートル。これが東西・南北それぞれ十列、2.4メートル間隔で整然と配置されている。現存するのは九十八基。山中に営まれた古代寺院は各地にあるが、これほどの数の石積みを規則的に並べた例は、ほかに知られていない。
ここは池辺寺(ちへんじ)の跡である。「池辺」の二字は本来なら「いけべ」とも読めるが、この寺については古くからの読みが受け継がれてきた。寺の建物そのものは残らない。標高約130〜140メートルの東向き斜面で発掘調査が掘り出したのは、9世紀から10世紀にかけて機能した寺院の地下に眠る平面と、その背後に広がる石塔群だった。
斜面そのものに名がある。百塚(ひゃくづか)。地名がすでに、長いあいだ手がかりを示し続けていた。
龍の伝説とともに語られてきた寺
発掘の鍬が入る以前、池辺寺はおもに伝承のなかにあった。熊本県立美術館が収蔵する『池辺寺縁起絵巻』は、大和国からやってきた真澄(ますみ)という僧が、味生池(あじうのいけ)という大きな池のほとりに寺を建てたと伝える。池には人々に害をなす悪龍が棲むとされ、真澄はこれを鎮めるために寺を開いたという。
池は実在した。味生池は延暦16年(797年)に成った『続日本紀』に名がみえ、歴史の記録のなかに位置づけられる。池は加藤清正の時代に埋め立てられ、かつて水をたたえた土地は、いまは住宅地に変わっている。
もう一つの史料が、寺の歴史を後世へとつなぐ。跡地の北西、西平山(にしひらやま)の中腹に、建武4年(1337年)建立と伝わる石製の塔婆が立つ。通称を金子塔(かなごのとう)という。その碑文は、池辺寺が和銅年間(708〜715年)の創建で、貞元元年(976年)に焼亡し、のちに別の地へ移し建てられたことを記す。そして、もとの所在地を「百塔」と呼ぶと刻む。長らくこの「百塔」が指す場所は判然としなかった。百塚地区に並ぶ百基の石積みが、その問いに端的に答えている。この斜面を伝説の寺と結びつける、もっとも確かな証拠といえる。
移建や再興の経緯は、なお完全には明らかでない。それでも碑文と発掘成果は肝心の一点で一致する。平安時代初頭、天台の系譜を引く寺院が、たしかにこの地で栄えていた。
発掘が明らかにしたもの
谷の最初の踏査は昭和33年(1958年)。平の集落の上の山中に寺跡が眠るのではないか、と研究者が考えはじめた年である。本格的な発掘は昭和61年(1986年)に始まり、断続的に続けられてきた。地中から二つの大きな遺構が姿を現した。
一つは中心建物群。乱石積み、すなわち加工しない石を積み上げた基壇の上に営まれ、その規模は南北約22メートル、東西約18メートル。基壇上には四棟が建っていた。中央建物は桁行・梁間とも三間、南北棟で、もっとも高い位置を占める。その東・南・北を三棟が囲み、東面の建物と南面・北面の建物とを回廊が結ぶ。基壇は段状をなし、北面・南面の建物は中央より0.35メートル低く、東面建物と回廊はさらに約1メートル低い。中央基壇の上面は、中央の一間四方を除いて塼(せん/焼成した方形のタイル)を敷きつめ、西辺には幅0.7メートル、長さ11.4メートルにわたって凝灰岩の切石が敷かれていた。
もう一つが、この遺跡の性格を決定づける遺構である。建物群のすぐ西、一辺約52メートルのほぼ方形の区画が、南辺と西辺を石塁で、東辺を高さ約1メートルの石垣で画されていた。その内側に百基の石塔が並ぶ。切石を組んだ堅固な塔ではなく、小さな円礫をていねいに積み上げたもので、その夥しい数と、正確な格子状の配置に類例がない。
土に埋もれていた土器と瓦が、ここでの活動の年代を語る。日常の土師器は9世紀前半から10世紀にかけてのもの。瓦には九弁の蓮華文を配した軒丸瓦や、唐草文の軒平瓦が含まれ、9世紀前半を指し示す。石塔群からは、凝灰岩や砂岩でつくられた相輪が出土し、塔の頂を飾っていた宝珠もいくつか見つかっている。
なぜ国の史跡となったのか
山中に営まれた寺院跡は、日本各地に数多い。池辺寺跡が国の保護を受けたのは、それらと姿を異にするからである。文化庁は平成9年(1997年)9月11日、百塚地区の14,534.63平方メートルを国の史跡に指定し、平成14年(2002年)3月19日にさらに3,542.97平方メートルを追加した。
判断の根拠は石塔群にある。石塁で囲まれた石塔の区画と、礫を積んだ建物群とを組み合わせた構成は、指定の評価にいわく、池辺寺独自のものであり、国内に類例をみない。石塔群は厖大な量の礫を費やし、意図的な、儀礼的とさえ呼べる格子の上に配置されている。山中に営まれた古代寺院のなかでも、つくり手が選んだものの独自性において、この寺跡は際立っている。
百基の塔が、それを築いた人々にとって何を意味したのかは、まだ十分には解き明かされていない。一基ずつ積み上げられた祈りの所産だったのかもしれない。この遺跡は、答えを示すよりも、そうした問いを訪れる者に投げかけてくる。
いまの池辺寺跡を歩く
百塚地区の整備工事は平成24年度から27年度にかけて行われ、平成28年(2016年)春に完了した。熊本市がとった方針は控えめなものだった。中心建物群では、発掘調査で見つかった礎石と基壇を復元し、掘り出されたときの姿に近いかたちで展示している。石塔群の区画には、地中の遺構が雨で流出するのを防ぐため、土の色に近い擬土舗装をほどこし、出土した本物の石積みをその場で見せている。新材でつくり直したものではない。
詳しい解説板や案内図、復元建物の模型が設けられ、金子塔のレプリカも置かれているため、西平山に登らずとも碑文を読むことができる。塔のあいだを歩く時間は短いが、急がずにたどると味わいが深まる。十列×十列の格子の全体は、斜面の上からこそ一望できる。
訪ねる前に知っておきたいことが一つある。ここは係員のいる博物館ではなく、山の斜面に開かれた史跡である。入場料はなく、開館時間も定められていないが、上部の未舗装の道は、明るい時間帯と乾いた天候のほうがはるかに歩きやすい。
行き方と周辺の見どころ
池辺寺跡は熊本駅の背後の山中にあり、半日の小旅行で訪れられる距離にある。車なら熊本駅から約15分、駐車場は約5台分。ただし終盤の道は狭く、マイクロバスより大きな車両は通行が難しい。車を使わない場合は、桜町バスターミナルから産交バスのU-2・U-3系統で「池の上」へ向かい、そこから徒歩約35分という経路がわかりやすい。健脚なら熊本駅から徒歩約70分でも到達でき、丘陵を登る道のりそのものが心地よい。
地元有志による「池辺寺跡ボランティアガイド」が、考古学の成果と龍の伝説の両方を案内する無料のツアー(標準約1時間)を行っている。利用には、見学予定日の1週間前までに熊本市文化財課への申し込みが必要である。
周辺の土地も、同じ物語を軽やかなかたちで伝えている。味生池展望所からは、伝説の池を埋めた跡に広がる住宅地を見渡せる。池上小学校の外壁には二匹の大きな龍が登り、真澄が鎮めたとされる龍を現代によみがえらせている。一帯は標高665メートルの金峰山の裾に位置し、この山は寺が建つよりずっと前から人の暮らしを形づくってきた。百塚への登り道からは、谷を振り返る広い眺めがひらける。
Q&A
- 入場料は必要ですか。予約はいりますか。
- 入場料はかかりません。山の斜面に開かれた史跡で、開館時間の定めもなく自由に見学できます。予約が必要なのはボランティアガイドを希望する場合のみで、1週間前までの申し込みが求められます。
- 車がなくても行けますか。
- 桜町バスターミナルから産交バスU-2・U-3系統で「池の上」まで行き、徒歩約35分で到達できます。熊本駅から徒歩約70分という経路もあります。
- なぜ「池辺寺」を「ちへんじ」と読むのですか。
- 「いけべ」とも読める字ですが、この寺については縁起や史料を通じて古くからの読み「ちへんじ」が受け継がれてきました。史跡指定でもこの読みが用いられています。
- 石塔が百基あることに意味はあるのですか。
- 正確な目的は確定していません。一基ずつ積まれた祈りの所産であった可能性が考えられます。この数は、建武4年(1337年)の金子塔碑文に記された「百塔」という地名と一致しています。
- 龍の伝説にゆかりのあるものは今も見られますか。
- 龍が棲むとされた味生池は数百年前に埋め立てられ、現在は住宅地で、展望所が設けられています。近くの池上小学校の外壁にある二匹の龍も、同じ伝説にちなんだものです。
基本情報
| 名称 | 池辺寺跡(ちへんじあと) |
|---|---|
| 所在地 | 熊本県熊本市西区池上町 |
| 指定区分 | 国指定史跡 |
| 指定年月日 | 平成9年(1997年)9月11日(平成14年〔2002年〕3月19日に追加指定) |
| 指定面積 | 14,534.63平方メートル(2002年に3,542.97平方メートルを追加) |
| 時代 | 建物群・石塔群は9〜10世紀。寺の創建は伝承では和銅年間(708〜715年) |
| おもな遺構 | 乱石積み基壇の中心建物群、百基の石積み(現存98基) |
| アクセス | JR熊本駅から車で約15分、駐車場約5台分 |
| 見学 | 無料。山の斜面に開かれた史跡で開館時間の定めはなし |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 池辺寺跡
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2843
- 熊本市 国指定史跡「池辺寺跡」へ行こう
- https://www.city.kumamoto.jp/kiji0036906/index.html
最終更新日: 2026.05.22