京大建築学科をつくった男が設計した図書館
熊本大学医学部山崎記念館(旧熊本医科大学図書館)は、熊本市中央区本荘の熊本大学本荘キャンパスに建つ昭和6年(1931年)竣工の鉄筋コンクリート造建築で、平成10年(1998年)9月に国の登録有形文化財に登録された。
鉄筋コンクリート造2階建、建築面積446平方メートル。設計は武田五一(1872年から1938年)。京都帝国大学に建築学科を創設した建築家で、関西建築界の父と呼ばれる。
武田は明治30年代の欧州留学でアール・ヌーヴォーやセセッションに触れ、それらを日本に紹介した。昭和6年の時点では、すでに両方を通り過ぎている。熊本に建てたのは、箱形のマッスを組み合わせ、水平帯の意匠を全体に走らせて統一を与えた建物である。かつての作品を見分けさせた装飾は消えている。
近づいて見るべき箇所は2階にある。開口部を分ける方立の形。建物のほかの部分に対応するものがなく、文化庁のデータベースはここを設計上の特徴として名指しする。武田が手の跡を残した唯一の場所と言ってよい。
当時の彼は多忙だった。経歴の記録によれば、大正14年から大蔵省営繕管財局技師を兼ね、昭和4年から6年まで同局の営繕課長事務取扱をつとめている。熊本医科大学は官立の学校である。設計の依頼は、彼がすでに働いていた経路を通って届いた。
山崎正董という人物
建物の名は山崎正董(1872年から1950年)にちなむ。熊本医科大学の教授であり学長であった人物で、医学部内では中興の祖と称される。
現在の高知県高岡郡佐川町に生まれ、明治33年(1900年)に東京帝国大学を卒業、翌年に私立熊本医学校の教授となった。明治42年にはミュンヘン大学とボン大学で産婦人科を研究し、翌年帰国。明治44年に私立熊本産婆学校を設立して校長となり、大正2年に医学博士。愛知県立の医学校で校長・大学長をつとめた時期を経て、大正14年に熊本医科大学長および附属病院長として熊本に戻る。この職を昭和7年まで務めた。
図書館が竣工した昭和6年は、その在職中にあたる。退任後も筆を止めず、昭和13年には熊本の政治思想家・横井小楠の伝記を刊行している。没年は昭和25年。
登録は平成10年9月2日、告示は同月25日。登録番号43-0012、第12回の登録である。適用された基準は「造形の規範となっているもの」。登録有形文化財の多くが適用される「国土の歴史的景観に寄与しているもの」とは別の基準で、造形そのものの水準を評価したことになる。
48メートル動いた建物
平成18年(2006年)、大学は本荘キャンパスに中央診療棟を新築することになった。山崎記念館はその位置にあった。
取り壊す代わりに、大学は建物全体を持ち上げ、曳家によって48メートル移動させた。曳家は建物を解体せずそのまま移す日本の工法である。この規模の鉄筋コンクリート造を動かすのは相応の工事になる。もう一方の選択肢は建物を失うことだった。大学は動かすほうを選んだ。
訪問を考える方には、その意味するところをお伝えしておきたい。ここは博物館ではない。開館時間も展示も一般の入口もなく、大学病院の稼働中のキャンパスの中にある。キャンパスミュージアムの施設一覧は問い合わせ先として病院事務部の電話番号096-373-5988を掲げる。見られるのは外観であり、訪問とはそこまでを指す。
外観を目当てに来るなら、中に入れる施設と組み合わせるとよい。同じ本荘キャンパスに肥後医育ミュージアムがある。宝暦6年(1756年)に肥後藩主細川重賢が創設した医療寮「再春館」から現在の医学部までの流れを扱う施設で、開館は10時から17時、入館は16時30分まで、土日祝と年末年始および大学の夏季一斉休業日は休館。熊本駅前からは都市バスで「大学病院前」下車、およそ8分。市電A系統の健軍町行きなら「味噌天神前」下車、徒歩5分ほどである。
北側に離れて建つ黒髪キャンパスには、明治22年(1889年)の第五高等中学校に由来する重要文化財が3件ある。夏目漱石が教師として通った本館もそのひとつ。ふたつのキャンパスを合わせて歩くと、日本の地方大学がどのように建物を積み重ねてきたかが珍しくよく見える。
現時点での注意をひとつ。令和8年7月28日のマグニチュード7.1の地震は市の南方を震源とし、熊本大学病院はその後、被害の大きい病院から患者を受け入れている。この登録建造物についての被害報告は確認されていない。キャンパスへの立入や併設施設の予定にはなお影響が及びうるため、訪問前に確認していただきたい。
Q&A
- 熊本大学医学部山崎記念館の内部に入ることはできますか。
- できません。開館時間も展示も一般の見学入口もなく、大学病院の稼働中の本荘キャンパス内にあります。外観はキャンパス内から見ることができます。問い合わせ先は病院事務部の096-373-5988です。
- 熊本大学医学部山崎記念館の設計者は誰ですか。
- 武田五一(1872年から1938年)です。京都帝国大学に建築学科を創設し、アール・ヌーヴォーやセセッションを日本に紹介した建築家として知られます。昭和6年のこの建物は後年の作風にあたり、箱形のマッスを水平帯の意匠でまとめ、2階開口部の方立に特徴的な形を与えています。
- 熊本大学医学部山崎記念館はなぜ移動したのですか。
- 平成18年(2006年)に同じ場所へ中央診療棟を新築することになったためです。取り壊さずに残すため、大学は曳家の工法で建物全体を48メートル移動させました。曳家は建物を解体せずそのまま移す日本の伝統的な工法です。
- 熊本大学医学部山崎記念館の名の由来である山崎正董とはどのような人物ですか。
- 産婦人科を専門とする医学者で、大正14年から昭和7年まで熊本医科大学長と附属病院長を務めました。明治5年に現在の高知県に生まれ、ミュンヘン大学とボン大学で研究し、明治44年に熊本で産婆学校を設立。のちに横井小楠の伝記を刊行し、昭和25年に没しています。
- 熊本大学医学部山崎記念館の近くで見学できる施設はありますか。
- 同じ本荘キャンパスの肥後医育ミュージアムが平日10時から17時に開いており、宝暦6年の再春館以降の肥後の医学教育を扱っています。北側の黒髪キャンパスには、明治22年の第五高等中学校に由来する重要文化財が3件あります。
基本情報
| 名称 | 熊本大学医学部山崎記念館(旧熊本医科大学図書館) |
|---|---|
| 所在地 | 熊本県熊本市中央区本荘1-1-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号43-0012 |
| 指定年 | 平成10年(1998年)9月2日登録/同月25日告示 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 鉄筋コンクリート造2階建、建築面積446平方メートル |
| 所有者 | 国立大学法人熊本大学 |
| 公開状況 | 一般公開なし。外観のみ見学可。問い合わせ先096-373-5988 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース — 熊本大学医学部山崎記念館(旧熊本医科大学図書館)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00000748
- 文化遺産オンライン — 熊本大学医学部山崎記念館(旧熊本医科大学図書館)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136518
- 熊本大学キャンパスミュージアム — 施設のご案内
- https://museum.kumamoto-u.ac.jp/facility/
- 熊本大学 — 交通案内
- https://www.kumamoto-u.ac.jp/campusjouhou/access
- 東京文化財研究所 — 物故者記事 武田五一
- https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8411.html
最終更新日: 2026.08.08