河合家住宅主屋とは

河合家住宅主屋は、京都府長岡京市粟生梶ケ前の丹波街道沿いに建つ江戸後期(1751〜1830年)の農家の主屋で、明治中期(1883〜1897年)に増築され、平成23年(2011年)に登録有形文化財に登録された。読みは「かわいけじゅうたくしゅおく」。

河合家住宅主屋は街道の東に敷地を占め、正面を西の街道に向けて建つ。正面の幅は13m、木造平屋建で、建築面積は159㎡ある。河合家住宅の登録5件のうち、住まいとして建てられた建物は河合家住宅主屋だけである。

河合家住宅主屋が登録された理由

河合家住宅主屋の登録基準は「造形の規範となっているもの」である。河合家住宅のほかの4件が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で登録されたのに対し、主屋だけがこの基準による。

文化庁は河合家住宅主屋を、乙訓地方における大型農家の一例と位置づけている。乙訓は、桂川の西、西山の麓に広がる長岡京市・向日市・大山崎町一帯の呼び名である。京都盆地の南西の縁で営まれた大きな農家の型を、平面と外観の両方でよく残している点が評価の核になっている。

河合家住宅主屋の見どころ

外観でまず目を引くのは屋根の構えである。主屋の本体は切妻造・桟瓦葺で、その西・南・東の三方に深い下屋庇をまわす。大きな切妻の屋根の裾に、もう一段低い庇の屋根が回りこむ二段の構成で、平屋ながら量感のある姿になる。

西面の北端には便所などが付設されている。街道に向いた正面の端に水まわりを寄せた配置で、農家の暮らしの組み立てが外観からも読みとれる。

間取りは、居室を北寄りに2列に並べ、北の列に仏間と座敷を置く。座敷の前の庭は河合家住宅の築地塀がL字に囲み、主屋の式台の脇には竹葺の露地門が接して建つ。築地塀は江戸後期、露地門は大正期と年代は異なるが、座敷・庭・塀・門がひと続きになって農家の接客の場を形づくっている。

明治中期の増築がどの部分にあたるかは、文化庁の解説には書かれていない。

河合家住宅主屋の見学

河合家住宅主屋は個人の住まいで、内部は公開されていない(2026年10月時点で公開の案内は見当たらない)。座敷や仏間を見ることはできない。

外観は、街道沿いの表門と高塀の奥に見える。立ち止まるなら門の正面を避け、写真も公道からの外観にとどめたい。屋敷全体の配置と行き方は、河合家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q河合家住宅主屋はいつ建てられましたか?
A江戸後期(1751〜1830年)の建築で、明治中期(1883〜1897年)に増築されています。平成23年(2011年)1月26日に登録有形文化財に登録されました。
Q河合家住宅主屋の大きさと構造は?
A木造平屋建で、正面の幅は13m、建築面積は159㎡です。屋根は切妻造の桟瓦葺で、西・南・東の三方に深い下屋庇をまわしています。
Q河合家住宅主屋の間取りの特徴は?
A居室を北寄りに2列に並べ、北の列に仏間と座敷を置いています。西面の北端には便所などが付設されています。
Q河合家住宅主屋はなぜ登録有形文化財になったのですか?
A「造形の規範となっているもの」として登録されました。文化庁は乙訓地方における大型農家の一例と評価しています。
Q河合家住宅主屋は見学できますか?
A個人の住まいで内部は非公開です。外観は丹波街道沿いの表門と高塀の奥に見えます。

基本情報

名称河合家住宅主屋
所在地京都府長岡京市粟生梶ケ前19
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年2011年1月26日(平成23年)登録
員数1棟
寸法正面13m、建築面積159㎡
所有者個人
公開状況非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)河合家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008508
文化遺産オンライン 河合家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/146794
長岡京市 長岡京市文化財保存活用地域計画 第3章(PDF)
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000013/13098/04_3syou.pdf
長岡京市 長岡京市文化財保存活用地域計画 第4章(PDF)
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000013/13098/05_4syou.pdf

最終更新日: 2026.10.15