河合家住宅露地門及び仕切り塀とは

河合家住宅露地門及び仕切り塀は、京都府長岡京市粟生梶ケ前の河合家住宅で主屋と土蔵の間に建つ大正期(1912〜1926年)の門と塀で、昭和前期(1926〜1945年)に改修され、平成23年(2011年)に登録有形文化財に登録された。読みは「かわいけじゅうたくろじもんおよびしきりべい」。

河合家住宅露地門及び仕切り塀は東西に一続きに並び、屋敷の庭を間仕切る。西側の仕切り塀は延長3.0mの練塀で、その東端、主屋の式台の脇に接して露地門が建つ。露地門は間口1.4mの腕木門で、屋根は切妻造である。

河合家住宅露地門及び仕切り塀が登録された理由

河合家住宅露地門及び仕切り塀の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。

文化庁がとくに取り上げるのは露地門の屋根で、孟宗竹を半分に割り、輪違いに並べて葺いた珍しい仕様と評している。河合家住宅の5件のうち、瓦以外の材料で屋根を葺くのは河合家住宅露地門だけである。竹の産地として知られる乙訓の屋敷にふさわしい素材だが、文化庁の解説はその関係には触れていない。

河合家住宅露地門及び仕切り塀の見どころ

見どころは露地門の竹の屋根に尽きる。太い孟宗竹を縦に半割りにすると、雨を受ける樋のような形の材ができる。これを輪違いに並べる、つまり上向きと下向きを交互に組み合わせると、瓦の本瓦葺と同じように、下の竹が雨を受け、上の竹がその継ぎ目を覆う屋根になる。

露地門は間口1.4mと小さい。腕木門は、柱から突き出した腕木で屋根を受ける簡素な門の形式で、主屋の式台の脇という位置からみても、表の玄関とは別に庭へ抜けるための門と読める。

仕切り塀は練った土を積み上げた練塀で、主屋側の露地門から西の土蔵の方へ3.0m延びる。昭和前期の改修がどこに及んだかは、文化庁の解説には書かれていない。

河合家住宅露地門及び仕切り塀の見学

河合家住宅露地門及び仕切り塀は屋敷の内側、主屋と土蔵の間にあり、個人の住まいの一部として公開されていない(2026年10月時点で公開の案内は見当たらない)。

街道から河合家住宅露地門の竹の屋根が見えるかは確認できていない。屋敷全体の配置と行き方は、河合家住宅のページにまとめてある。

Q&A

Q河合家住宅露地門及び仕切り塀はいつ建てられましたか?
A大正期(1912〜1926年)の建築で、昭和前期(1926〜1945年)に改修されています。平成23年(2011年)1月26日に登録有形文化財に登録されました。
Q河合家住宅露地門の屋根は何でできていますか?
A孟宗竹を半割りにして輪違いに並べて葺いた竹の屋根で、文化庁は珍しい仕様としています。屋根の形は切妻造です。
Q河合家住宅露地門及び仕切り塀の大きさは?
A露地門は間口1.4mの腕木門、仕切り塀は延長3.0mの練塀です。
Q河合家住宅露地門及び仕切り塀は屋敷のどこにありますか?
A主屋と土蔵の間に東西に並び、庭を間仕切っています。露地門は東端で主屋の式台の脇に接しています。
Q河合家住宅露地門及び仕切り塀は見学できますか?
A屋敷の内側にあり、個人の住まいの一部として非公開です。

基本情報

名称河合家住宅露地門及び仕切り塀
所在地京都府長岡京市粟生梶ケ前19
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年2011年1月26日(平成23年)登録
員数1棟
寸法露地門 間口1.4m、仕切り塀 延長3.0m
所有者個人
公開状況非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)河合家住宅露地門及び仕切り塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00008511
文化遺産オンライン 河合家住宅露地門及び仕切り塀
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/146997
長岡京市 長岡京市文化財保存活用地域計画 第3章(PDF)
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000013/13098/04_3syou.pdf

最終更新日: 2026.10.15