妙法院庫裏とは

妙法院庫裏は、京都府京都市東山区妙法院前側町の妙法院にある桃山時代の庫裏で、昭和32年(1957年)6月18日に国宝に指定された。読みは「みょうほういんくり」。大正3年(1914年)に旧法で指定され、文化財保護法のもとで国宝となった。

文化庁の記録では、桁行21.8メートル、梁間23.7メートル、一重の入母屋造、妻入で、正面に一間の唐破風造の玄関を付け、屋根は本瓦葺である。京都市観光協会は、棟高が60尺近い建物と紹介している。

国宝に指定された理由

文化庁の解説によれば、庫裏は、寺が現在地に移る前に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿で千僧供養を行ったときの遺構と伝えられている。伝えのとおりであれば建立は文禄4年(1595年)となり、大棟の上の鬼瓦には慶長9年(1604年)のへら書きがある。ただし、文化庁は建立年代を明らかでないとしている。

評価の中心は、内部の架構である。前方を土間、後方を板間とし、奥の左右に部屋を設ける。土間と板間の上は小屋組をそのまま見せ、その構成はすべて大規模で、桃山時代の宏壮な気風をよく表している。入母屋造の屋根は庫裏としては異例だが、文化庁は桃山時代のこの種の建築のなかで優れたものと評価する。

寺の台所にあたる建物が、これほどの規模で桃山時代の姿を伝えている例として、妙法院庫裏は豊臣期の東山の造営の大きさを今に示している。京都市観光協会も、秀吉が千僧供養を行った際の台所として建てられたと伝える建物と紹介している。

見どころ

外観では、妻入の入母屋屋根と、その大棟の上に載る煙出しの小屋根に注目したい。台所の煙を逃がすための小屋根が、桁行21.8メートルの大屋根の上にのる。正面の唐破風造の玄関も、庫裏の顔として目を引く。

内部が公開されるときには、土間と板間の上に現された小屋組を見上げたい。太い梁と束が組み上がる架構が、そのまま天井となって頭上に広がる。文化庁が桃山時代の宏壮な気風と書くのは、この空間である。

見学方法

京都市観光協会によれば、庫裏の内部は通常非公開で、特別拝観のときにだけ公開される。庫裏は令和9年(2027年)まで改修工事中で、境内に入れない期間がある。

毎年5月14日の五月会では文化財が無料で公開されるが、改修工事のため行事が変更されることがある。訪ねる前に寺に確かめたい。交通と問い合わせ先は妙法院のページにまとめてある。

Q&A

Q妙法院庫裏はいつ建てられましたか?
A建立年代は明らかではありません。豊臣秀吉が方広寺大仏殿で千僧供養を行ったときの遺構と伝えられ、そのとおりなら文禄4年(1595年)の建築です。鬼瓦には慶長9年(1604年)のへら書きがあります。
Q妙法院庫裏が国宝に指定されたのはいつですか?
A昭和32年(1957年)6月18日に国宝に指定されました。それ以前、大正3年(1914年)に旧法による指定を受けています。
Q妙法院庫裏の大きさは?
A桁行21.8メートル、梁間23.7メートルの大規模な建物で、京都市観光協会は棟高が60尺近いと紹介しています。
Q妙法院庫裏の内部は見学できますか?
A通常は非公開で、特別拝観のときに公開されます。庫裏は令和9年(2027年)まで改修工事中です。
Q妙法院庫裏の見どころは?
A土間と板間の上にそのまま現された大規模な小屋組、大棟の上の煙出しの小屋根、正面の唐破風造の玄関です。

基本情報

名称妙法院庫裏(みょうほういんくり)
所在地京都府京都市東山区妙法院前側町447
指定区分国宝(建造物)
指定年昭和32年(1957年)6月18日国宝指定(大正3年(1914年)4月17日旧法指定)
員数1棟
寸法桁行21.8メートル、梁間23.7メートル、一重、入母屋造、妻入、本瓦葺
所有者妙法院
公開状況通常非公開(特別拝観時に公開)。令和9年(2027年)まで改修工事中

参考文献

妙法院庫裏(国指定文化財等データベース)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1751
妙法院(京都観光Navi 京都市観光協会)
https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=472

最終更新日: 2026.10.03