大山崎山荘旧車庫(京都府休憩所)― ハーフティンバーの車庫が伝える加賀正太郎の山荘美学

天王山の南麓、煉瓦造の小トンネル「琅玕洞(ろうかんどう)」をくぐり、緩やかな坂を登り始めて最初に目に入るのは、上方に控える本館ではない。木骨を露わにし、間に化粧積みの煉瓦をはめ込んだ、急勾配の桟瓦葺の小さな二階建である。これが、実業家・加賀正太郎(1888–1954)が大正から昭和初期にかけて築いた大山崎山荘の旧車庫。現在は京都府の所有となり、無料の休憩所として、山荘の敷地を歩く誰もが気軽に立ち寄れる場所になっている。

2004年(平成16年)7月23日、登録基準「造形の規範となっているもの」により国の登録有形文化財に登録された。注目すべきは、この建物が単なる「車を入れる小屋」として作られなかった点にある。ウィンザー城に着想を得たカントリーハウスの一角を、自動車のための付属建築として設計しながら、本館と同じ建築語彙で仕上げる ― そんな贅沢が、ここには成立している。

建物を取り巻く山荘の物語

加賀正太郎は24歳のとき、1912年(大正元年)にこの地に土地を求めた。欧州遊学を経て、ユングフラウ登頂を日本人として初めて成し遂げ、英国王立のキューガーデンで蘭の栽培を見学して帰国した青年は、頭の中に英国の田園住宅と蘭と登山を抱えていた。木津・宇治・桂の三川が眼下で合流するこの斜面の景色が、彼にはウィンザー城から眺めたテムズ川の風景と重なって見えたという。土地を取得し、自ら設計し、20年近くをかけて山荘を造り上げた。第一期工事は1917年頃に完成し、現在の本館はチューダー・ゴシック様式のハーフティンバーで1932年(昭和7年)頃に完成したとされる。

この旧車庫もまた、その熟成期に属する建築である。アマチュア建築家として例外的に自由な裁量を握っていた加賀は、住居だけでなく、トンネル・温室・物見塔・茶室といった建造物すべてを含む一体の景観を設計した。そのうち本館・彩月庵(茶室)・橡の木茶屋・栖霞楼(物見塔)・琅玕洞(トンネル)、そしてこの旧車庫の6棟が、2004年に一括して国の登録有形文化財となった。文化遺産オンラインのデータベース上でも、互いに関連作品として並び、英国風意匠の異なる応用例として記録されている。

指定理由 ― 付属建築に注がれた意匠の徹底

文化庁の解説文は短い。「鉄筋コンクリート造の1階の前方に張り出して木造2階をのせ、軒及び螻羽(けらば)を大きく出した切妻造、桟瓦葺の屋根を妻入にかける。1階は車庫、2階は畳敷3室と板敷の台所を配した居室とする。壁面に化粧積煉瓦積を見せたハーフティンバーの印象的な外観をもつ」― 建築面積はわずか61㎡。それだけの建物に、本館で用いられたのと同じ語彙が惜しみなく注がれている。

1996年の文化財保護法改正で導入された「登録」制度は、近代以降の建造物を緩やかな届出制で守る枠組みで、「造形の規範」という基準は安易には適用されない。にもかかわらずこの旧車庫が登録されたのは、車庫という実用的な役割を担いながら、本館の意匠を縮小再現するように丁寧に作られている点が評価されたためと考えられる。RC造の一階を木造の二階が前へ張り出して庇のように覆い、軒と螻羽が大きく差し出され、深い影を作る。化粧積みの煉瓦と木骨が組み合わさるハーフティンバーの壁面。屋根は瓦という和の素材で締める。― 本館の南面で繰り返されている設計判断が、ここでも小さなスケールで丁寧に踏襲されている。

訪れて見るべきところ

正面に立つと、まず気付くのは木造二階の張り出しである。中世イギリスのジェッティ(jetty、上階の張り出し)に倣った構成で、地上の床面積を増やさずに上階の居住空間を稼ぐ手法だが、ここでは車庫の前面に深い庇をもたらす実用も兼ねている。木骨の縦材を太く長く見せ、対角線の筋交いをアクセントに入れる。間に挟まれる煉瓦は、ただの充填ではなく、化粧積みのパターンとして読めるように丁寧に積まれている。

足を踏み入れると、内部には今も車庫扉が残されている。かつて自動車が2台ほど納まったであろう空間が、テーブル、ベンチ、自動販売機、無料のコインロッカー、トイレを備えた休憩所として整えられている。二階の畳敷三室は、運転手か山荘の管理人のための居室だったと推測されるが、一般には非公開である。

少し離れて屋根を眺める。切妻の妻側(短手の三角面)を正面に向ける「妻入」の構成で、長く張り出した軒と、屋根の傾斜に沿って斜めに伸びる螻羽の板が、深い水平の影を落としている。本館の屋根もまた螻羽を強調する造りで、付属建築であるこの車庫が同じ手付きで揃えられていることが、両者を見比べると分かる。瓦の素材だけは英国の家屋とは違うが、その「和」の選択が、かえって全体を日本の山荘に着地させている。

周辺の見どころ

旧車庫は、琅玕洞と本館のほぼ中間に位置し、敷地は京都府の府民公園と、その上方にあるアサヒグループ大山崎山荘美術館の庭園が連続している。美術館はクロード・モネの《睡蓮》連作を、安藤忠雄設計の地下展示室「地中の宝石箱」に常設展示することで知られ、加えて柳宗悦の民藝運動に連なる河井寬次郎・濱田庄司らの作品も収蔵する。入館料は美術館本体にのみかかり、庭園・トンネル・休憩所・展望は無料で楽しめる。

徒歩圏には、ほかにも見るべき場所がある。1923年に山崎の地で操業を開始した日本初のモルトウイスキー蒸溜所であるサントリー山崎蒸溜所は、予約制のツアーを実施している。背後にそびえる天王山は、1582年の山崎の合戦 ― 本能寺の変ののち、羽柴秀吉が明智光秀を破った戦い ― の舞台として知られ、登山道が整備されている。JR山崎駅から徒歩数分の妙喜庵には、千利休作と伝わる国宝の茶室「待庵」があり、事前予約により拝観できる。また、建築家・藤井厚二が1928年に建てた実験住宅「聴竹居」も、近代住宅史の重要な事例として、徒歩圏で見学可能(要予約)である。

Q&A

Q旧車庫は見学できますか
A一階は、京都府が運営する無料の休憩所として開放されており、美術館への入館料も不要で誰でも自由に利用できます。二階の畳敷三室は通常非公開です。
Qいつ建てられたものですか
A文化庁データベースでは「昭和初期」とされています。本館がほぼ現在の姿になったのが1932年頃で、旧車庫もこの時期前後 ― 加賀正太郎が1920年代後半から1930年代初頭にかけて山荘を増改築した一連の整備のなかで建てられたと考えられます。
Q所有者がアサヒグループではなく京都府となっているのはなぜですか
A1990年代初頭、解体・マンション開発の計画が浮上したのを契機に保存運動が起こり、結果として敷地は分けて引き受けられました。本館を含む主要建築と庭園の中心部はアサヒビール(現アサヒグループジャパン)が取得して美術館として再生し、旧車庫と周辺は京都府が取得して府民公園・休憩所として運用する形になりました。住所も、美術館本館が銭原5-3、旧車庫が銭原5-2と区別されています。
Qどのような建築様式ですか
A本館と同じく、英国のチューダー・ゴシック様式に由来するハーフティンバー方式です。木骨を外に見せ、その間を煉瓦の化粧積みで埋める手法は中世末期から近世初頭のイギリス民家に由来します。一方で屋根は和の桟瓦葺で、加賀正太郎独自の和洋折衷の意匠が小さなスケールで現れています。
Qアクセス方法を教えてください
AJR山崎駅・阪急大山崎駅から徒歩約10分、坂を登って琅玕洞のトンネルを抜けると、最初に左手に現れるのが旧車庫(休憩所)です。両駅から美術館入口(トンネル前)までは無料送迎バスも運行されており、坂道が苦手な方はこちらの利用も便利です。

基本情報

名称大山崎山荘旧車庫(京都府休憩所)/おおやまざきさんそうきゅうしゃこ(きょうとふきゅうけいじょ)
指定区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日2004年(平成16年)7月23日(告示:8月17日)
登録番号26-0180(第43回登録)
登録基準造形の規範となっているもの
員数1棟
時代昭和前期(昭和初期)
構造・形式鉄筋コンクリート造及び木造2階建、瓦葺、建築面積61㎡
所在地京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原5-2
所有者京都府
現在の用途無料休憩所(一階)。コインロッカー・トイレ・自動販売機を備える
アクセスJR山崎駅・阪急大山崎駅から徒歩約10分。琅玕洞トンネルを抜けて庭園内

参考文献

文化遺産オンライン「大山崎山荘旧車庫(京都府休憩所)」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/195269
文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004269
アサヒグループ大山崎山荘美術館「歴史」
https://www.asahigroup-oyamazaki.com/about/history/
アサヒグループ大山崎山荘美術館「建築」
https://www.asahigroup-oyamazaki.com/about/structure/
アサヒグループ大山崎山荘美術館「フロア&庭園ガイド」
https://www.asahigroup-oyamazaki.com/guide/floor/
大山崎町「町所在の指定・登録文化財」
http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/kyoikuiinkai/rekishi/bunkazai/13.html

最終更新日: 2026.05.16