戦国の軍師を葬る、方三間の小堂

京都市北区紫野、大徳寺の塔頭・龍光院の境内南西隅に、慶長13年(1608年)竣工とみられる小さな堂がある。桁行三間・梁間三間の正方形平面で、銅板葺の寄棟屋根を一重にかける。堂内には石造の五輪塔が二基。向かって右は、戦国期に官兵衛・如水の名で知られた黒田孝高のもので、慶長9年(1604年)の刻銘をもつ。これが龍光院黒田家霊屋であり、平成28年(2016年)2月9日に重要文化財(建造物)へ指定された。

堂は土塀の西側、墓所のなかに東面して建つ。正面と側面前半を切石布積とした低い基壇上に据えられ、内部は一室。瓦を四半に敷いた床の奥寄りに、二基の五輪塔が並ぶ。左の塔は孝高の室・照福院のもので、寛永4年(1627年)の銘をもつ。堂そのものは孝高の没後ほどなく整えられ、照福院の塔はそれから約二十年を経て加えられたことになる。

父の菩提を弔うために

龍光院は慶長11年(1606年)、初代筑前福岡藩主・黒田長政が、父・孝高の菩提を弔うために創建した。寺号は孝高の法名「龍光院殿如水円清大居士」に由来する。開祖には春屋宗園を据え、江月宗玩を迎えて寺をひらき、造営は黒田一成・黒田利長が作事奉行を務めた。竣工は同13年(1608年)とみられる。

寺の性格を方向づけたのは江月宗玩(1574〜1643)であった。堺の豪商で茶人でもあった津田宗及の子であり、その人脈を通じて、龍光院には数多くの茶道具や絵画が集まった。現在その一部は国宝に指定されている。宗玩に帰依した有栖川宮初代・高松宮好仁親王との縁から、龍光院は同宮家の菩提所ともなった。寛永期には小堀遠州や松花堂昭乗ら、当代一流の文化人が出入りする場でもあった。

黒田家霊屋は、龍光院に現存する建物のうち最も古い。国宝の書院(密庵席を含む)をはじめ、境内に残る主要な堂宇の多くは、慶安2年(1649年)頃の境内再整備による。霊屋はそれらに四十年ほど先立つ創建期の遺構であり、この点に大きな意味がある。

小堂に凝らされた手仕事

建物の様式は禅宗様である。粽付の丸柱を石製の礎盤に立て、地覆・腰貫・内法貫・頭貫で結び、柱頭に台輪を廻す。組物は拳鼻と実肘木をともなう出三斗で、正面中央間だけを詰組とし、ほかの間は疎らに配する。壁は内外とも漆喰とし、軸部を固める貫はあえて化粧として見せている。

内部は鏡天井を張り、両側面と背面には位牌棚を設ける。軒は二軒繁垂木、化粧隅木には禅宗様の繰形を施す。大きくもなく、華やかでもない。注目すべきは、これだけ小規模な堂に細部の意匠が丁寧に行き渡っている点にある。

指定の理由は、歴史的価値の高さに置かれた。慶長期、すなわち1600年前後の霊廟建築は現存例がきわめて少なく、なかでもこの堂は記録がよく整っている。近世初期に有力大名家と禅宗寺院の塔頭とが互いに支え合った関係を示す遺構であり、塔頭が創建当初どのように構成されていたかを知るうえでも貴重とされる。

訪れる前に知っておきたいこと

訪問を考えるうえで、はっきりお伝えしておくべき点がある。龍光院は非公開の寺院である。観光を目的とした拝観は一切受け付けておらず、特別公開も行っていない。黒田家霊屋は境内奥の土塀に囲まれた墓所のなかにあり、山門の手前には柵が立つため、外から堂を望むこともできない。多くの塔頭が拝観を受け入れている大徳寺のなかで、これは異例の姿勢といえる。寺宝と境内を私的に守り続けてきた、龍光院の長年の選択による。

大徳寺そのものは、訪ねる価値の高い場所である。広い境内は自由に歩くことができ、常時拝観できる塔頭が三院ある。塔頭中最古の龍源院は、趣を異にする枯山水の庭をいくつも備える。瑞峯院はキリシタン大名・大友宗麟の創建による。大仙院は、国宝の本堂を名高い枯山水庭園が囲む。このほかの塔頭は、紅葉の時期を中心に季節公開されることが多い。砂利を敷いた塔頭間の路地を歩けば、黒田家霊屋が属する禅院の世界を肌で感じられる。

大徳寺への最寄り駅は、地下鉄烏丸線「北大路」で、徒歩約25分。市バスで「大徳寺前」まで向かうほうが早い。京都駅からは市バス205・206・101系統がいずれも同停留所に至り、所要およそ35〜40分である。黒田官兵衛の物語に惹かれて訪れる人には、子・長政が築いた城下町・福岡へ足を延ばすのもよい。同地には黒田家ゆかりの資料館や墓所があり、こちらは見学できる。

Q&A

Q黒田家霊屋を見学できますか。
Aできません。龍光院は完全な非公開寺院で、拝観を受け付けていません。霊屋は境内奥の土塀に囲まれた墓所のなかにあり、定例・特別を問わず公開はなく、参道からも堂を見ることはできません。
Q黒田官兵衛とは何者で、なぜここに葬られているのですか。
A黒田孝高は、戦国末期に活躍した軍師で、豊臣秀吉の参謀として知られます。武将時代は官兵衛、出家後は如水と称しました。慶長9年(1604年)の没後、子の長政が父を弔うために龍光院を創建しました。
Q堂の内部には何があるのですか。
A石造の五輪塔が二基あります。五輪塔は地・水・火・風・空の五大を五つの石で表す供養塔です。向かって右が孝高(慶長9年銘)、左がその室・照福院(寛永4年銘)の塔です。
Q非公開なら、寺宝を目にする機会はありますか。
Aまれにあります。龍光院は境内を私的に守っていますが、所蔵する名高い曜変天目茶碗など一部の美術品が、特別展に出陳されたことがあります。そうした展覧会を待つのが、寺の所蔵品に出会う最も確かな方法です。
Q大徳寺で実際に拝観できる塔頭はどこですか。
A龍源院・瑞峯院・大仙院の三院が常時拝観でき、本山の境内も自由に歩けます。ほかの塔頭は、紅葉期を中心に季節公開されることがあり、その際には本坊の天井龍や唐門が公開される年もあります。

基本情報

名称龍光院黒田家霊屋(りょうこういんくろだけたまや)
所在地京都府京都市北区紫野大徳寺町
指定区分重要文化財(建造物)/平成28年(2016年)2月9日指定
従前の指定京都府指定有形文化財(2004年)
建立慶長13年(1608年)/桃山時代
構造・形式桁行三間・梁間三間、一重、寄棟造、銅板葺(禅宗様)
員数1棟(附 五輪塔 2基)
所有者龍光院(臨済宗大徳寺派)
公開状況非公開(拝観・特別公開ともになし)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 龍光院黒田家霊屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00004845
文化遺産オンライン(国立文化財機構)— 龍光院黒田家霊屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/287943
京都府観光連盟公式サイト — 大徳寺
https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/257

最終更新日: 2026.06.03