興正寺東面南側築地塀 ― 通りの表構えを完成させる長い塀
北側の古い塀が江戸期のものであるのに対し、興正寺の東の境界のうち南側の区間は、寺の20世紀の再建の産物である。三門の南袖塀から矩折れして南へ折れ、約45メートルにわたって延びる。寺に登録された塀のなかで最も長く、堀川通に沿って境内の東面を通りの奥まで運ぶ部分である。
建立は大正前期、およそ大正元年から7年(1912〜1918)で、真宗興正派本山である興正寺が明治35年(1902)の火災後の再建を仕上げていたのと同じ時期にあたる。二つの塀を合わせて読めば、寺の東の縁全体が定まる。北の阿弥陀堂門脇の短い江戸の塀と、正門から南へ延びるこの長い大正の塀。両者が通りに、途切れのない格式ある表構えを与えている。
なぜ登録されたのか
塀は令和7年(2025)8月、登録番号26-0700で国の登録有形文化財となった。国土の歴史的景観に寄与するものとして評価されている。
造りは北側の塀と同じ理屈に従い、切石積の基礎が一間ごとの柱を担い、桁で繋ぎ、梁の先で軒桁を支える。外側は白漆喰で五本の定規筋を引き、北側の塀と共有する本山の印とする。二つを分ける細部がひとつある。ここでは軒に間隔の広い二軒疎垂木を用い、北側の塀は間隔の詰まった繁垂木を用いる。小さな違いだが、この塀の年代の新しさを示すもので、二つを見比べるほど近くで観察する人に応える。
訪れたら見たいところ
三門から始めて塀を堀川通沿いに南へたどると、その長さそのものが見どころになる。45メートルの漆喰の塀が、寺の線を通りの奥へと運ぶ。瓦の笠の下を見上げて垂木の間隔を確かめ、それから阿弥陀堂門脇の北の塀まで戻って見比べたい。北の詰まった間隔とここの広い間隔が、江戸の塀と大正の塀を見分ける最も分かりやすい手がかりである。
五本の定規筋が全長にわたって走り、二つの塀を通り沿いのひとつの格式の表明へと結ぶ。東面の他の部分と同じく、この塀も公の歩道から時間を問わず自由に見られる。それが延び出す門と、続く古い塀とあわせて見れば、京都の大通りのひとつに、意図された途切れのない表構えを見せる寺として、興正寺の読み方がまとまる。
よくある質問
- 北側の塀とどう違いますか。
- こちらは約45メートルと長く、大正前期と新しいものです。軒は間隔の広い疎垂木を用い、江戸期の北側の塀は間隔の詰まった繁垂木を用います。
- いつ建てられましたか。
- 大正前期、およそ大正元年から7年(1912〜1918)です。明治35年の火災後の興正寺の再建期にあたります。
- どこに延びていますか。
- 三門の南袖塀から矩折れして南へ折れ、堀川通沿いに約45メートル延びています。
- 五本の筋は何を意味しますか。
- 北側の塀と同じく、漆喰の五本の定規筋は寺の格式を示し、五本が最上位にあたります。
- どのように保護されていますか。
- 令和7年(2025)8月に国の登録有形文化財となりました(登録番号26-0700)。歴史的景観への寄与が評価されています。
基本情報
| 名称 | 興正寺東面南側築地塀(こうしょうじとうめんみなみがわついじへい) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市下京区醒ケ井通北小路下る花園町69他 |
| 指定区分・登録 | 登録有形文化財(建造物)/令和7年(2025)8月6日登録 |
| 登録番号 | 26-0700(第110回) |
| 年代 | 大正前期(1912〜1918頃) |
| 構造 | 土塀、瓦葺、延長約45m、外側漆喰塗・定規筋五本、二軒疎垂木 |
| 所有者 | 宗教法人興正寺 |
| アクセス | 堀川通沿い東面の南側/京都駅から徒歩圏 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース:興正寺東面南側築地塀
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015485
- 本山興正寺 公式サイト:沿革
- https://www.koshoji.or.jp/about.html
- 本山興正寺 公式サイト:建造物
- https://www.koshoji.or.jp/about_2.html
- 真宗興正派 寺院紹介
- https://www.shin.gr.jp/member/kosho.html
最終更新日: 2026.07.06