かつおの天ぱく作業場:伊勢志摩に息づく鰹節づくりの生きた文化遺産

太平洋を一望する大王崎の断崖に佇む「かつおの天ぱく作業場」は、三重県志摩市大王町波切にある現役の鰹節製造施設です。令和4年(2022年)10月31日、隣接する主屋とともに国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。昭和26年(1951年)頃に建てられたこの作業場では、江戸中期に確立された「手火山(てびやま)」製法による鰹節づくりが今も変わらず続けられています。全国でもわずか10軒程度しか残っていないこの伝統技法を守り続ける、貴重な建造物です。

歴史的背景

波切における鰹節づくりの歴史は、千年以上の時を遡ります。奈良時代、志摩国は朝廷に食材を供給する「御食つ国(みけつくに)」に位置づけられていました。平城京跡から出土した木簡には、「名錐(波切)より堅魚が朝廷に献上された」との記載が確認されており、この漁村がすでに古代から鰹加工の中心地であったことがわかります。

戦国時代には、志摩を本拠地とする九鬼水軍が、鰹節を不可欠な携帯食として戦場に持参していました。九鬼水軍の総帥・九鬼嘉隆は、栄養不足が敗因であることに気づき、全将兵に鰹節を携行するよう命じたと伝えられています。ビタミンEやDを豊富に含む鰹節は、栄養食として重宝されました。

江戸中期には「手火山製法」が完成し、鰹節の製造技術は飛躍的に進歩しました。文政5年(1822年)に作られた「諸国鰹節番付表」では、波切節は薩摩節や土佐節と並んで「行司」の大役を任されるほどの格付けを得ました。これは、古来より伊勢神宮に鰹節を奉納してきた歴史と、優れた職人が各地に技術を伝授してきた伝統が評価されたものと考えられています。

現在の作業場建物は昭和26年(1951年)頃に天白家によって建設され、現在もまるてん有限会社として「かつおの天ぱく」の屋号で操業を続けています。最盛期の昭和初期には200軒近くの鰹節小屋が波切地区に存在しましたが、時代の流れの中で現在はわずか数軒を残すのみとなり、この作業場はかつて栄えた地場産業の貴重な生き証人です。

文化財指定の理由

かつおの天ぱく作業場は、令和4年(2022年)10月31日に主屋とともに国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。その指定理由は、建築的・文化的の両面において高い価値が認められたことにあります。

本建物は、伝統的な鰹節製造施設がそのまま現役の生産拠点として機能している稀有な事例です。二階建の燻し小屋と黴付小屋からなり、北側の主屋との間に大屋根を架けて作業場を覆う構造となっています。湾曲した海側外壁は、下部がモルタル塗り、上部が竪板張りで、桟瓦葺の切妻屋根とあいまって、厳しい海岸環境に適応した独特の外観を呈しています。

焙乾窯は火床を地下に設け、その上にセイロ(蒸籠)を段々に積み上げる独自の設計です。また、閉鎖的な黴付小屋には、長年にわたり棲み続ける固有の菌(カビ)が存在し、この菌こそが鰹節の味わいを最終的に決定する重要な要素となっています。建物と微生物が一体となった製造環境は、容易に再現できるものではなく、まさに生きた文化遺産と呼ぶにふさわしいものです。

建築的・文化的な見どころ

作業場の建築は、機能美と過酷な海岸環境への適応が見事に融合しています。太平洋に面した断崖の縁に建つこの建物は、これまで幾度もの台風被害に遭いながら、その都度、建設当時の趣を大切にした修繕が施されてきました。竪板張りの外壁とモルタルの腰壁は、塩分を含んだ強風に対する実用的な防御となっています。

内部の燻し室には、長年の鰹節製造の歴史が刻まれています。壁や天井はウバメガシの薪から生じる煙で黒く染まり、独特の雰囲気を醸し出しています。ウバメガシは備長炭の原料としても知られる広葉樹で、その遠赤外線効果により、鰹の中心部からじっくりと均一に燻すことができます。

ここで実践される手火山製法の工程は、まず鮮度の良い鰹を三枚におろして約1時間煮上げ、冷ましてから形を整えて木製のセイロに並べます。ウバメガシの薪による直火で約2日間燻した後、1日休ませて内部と表面の水分を均一化させます。この燻しと休みの繰り返しを10回以上、約1か月にわたって行い、その後さらに3〜4か月かけてカビ付けを施します。最終的に水分は1〜2%にまで落とされ、深い旨味と芳醇な香りを持つ最高品質の「本枯れ節」が完成します。

なお、ウバメガシの灰は藍染めの染料や焼き物の天然灰釉としても利用されており、地域の里山と食文化が持続可能な循環の中で結びついている伊勢志摩ならではの伝統を今に伝えています。

見学情報

かつおの天ぱくは、現役の鰹節製造施設として稼働しながら、完全予約制で燻し小屋の見学会を開催しています。見学では、煙がもくもくと立ちこめる現役の作業場を体感できるほか、一番出汁の試飲や、土鍋で炊いた炊き立ての「おかかごはん」の試食を楽しめます。各国のミシュランシェフも何杯もおかわりしたという逸品です。

見学会では、鰹節の製造工程、伊勢神宮との歴史的なつながり、波切地区における鰹節づくりの文化についても詳しく解説されます。主屋の一部は商品や歴史資料の展示スペースとなっており、こだわりの鰹節商品を購入することもできます。

見学時間は季節によって異なります。10月〜5月は①11:00〜 ②13:00〜の2回、6月〜9月は①10:00〜のみの1回です。所要時間は約1時間。毎週水曜日・日曜日、お盆期間(8月12日〜16日)、年末年始(12月1日〜1月10日)は休業です。現役の作業場のため、必ず事前にご予約ください。

周辺の観光スポット

作業場は志摩半島でも屈指の景勝地に位置しており、周辺には見どころが豊富です。

大王埼灯台 — 作業場からすぐの場所にある白亜の灯台は、昭和2年(1927年)に建設され、全国わずか16基の参観灯台の一つです。展望台からは、熊野灘と遠州灘が交わる雄大な太平洋のパノラマが広がります。周辺一帯は伊勢志摩国立公園に指定されています。

八幡さん公園 — 灯台近くの断崖上にある公園で、灯台と海を背景にした絶景が楽しめます。かつてこの地には波切九鬼城があり、戦国最強の水軍を率いた九鬼嘉隆の生誕の地でもあります。

波切漁港 — 断崖の下に広がる現役の漁港は、何世紀にもわたりこの地域の暮らしを支えてきました。駐車場から灯台までの道沿いには、地元の干物屋や伊勢志摩の真珠店が軒を連ねています。大王町は「絵かきの町」としても知られ、多くの画家がこの風景に魅了されてきました。

伊勢神宮 — 車で約1時間の場所にある日本最高峰の神社で、毎年10月17日の神嘗祭には波切で作られた鰹節が神饌として奉納されます。古来より続くこの伝統は、波切と伊勢神宮の深い結びつきを象徴しています。

Q&A

Q手火山製法とはどのような製法ですか?
A手火山製法は、江戸中期に完成した伝統的な鰹節の燻し技法です。ウバメガシの薪による直火の上に木製のセイロを積み上げ、職人が手で火加減を調整しながらじっくりと燻します。約2日間の燻しと1日の休みを10回以上繰り返し、さらに3〜4か月のカビ付けを経て本枯れ節が完成します。全国でもわずか10軒程度しか残っていない貴重な製法です。
Q予約なしで見学できますか?
Aいいえ、完全予約制です。現役の作業場であるため、加工作業の合間に見学会を行っています。ご予約は電話(見学窓口:080-2612-3801、事務所:0599-72-4633、平日9:00〜17:00)にて受け付けています。ご希望に沿えない場合もございますので、予めご了承ください。
Q見学ではどのような体験ができますか?
A約1時間の見学会では、煙が立ちこめる現役の燻し室を体感し、一番出汁の試飲と土鍋で炊いた炊き立ての「おかかごはん」を試食できます。また、本枯れ節ができるまでの工程解説や、御食つ国としての伊勢志摩の食文化、伊勢神宮との関わりについて学ぶことができます。
Q見学料金はいくらですか?
A大人2,000円、中人(中高生)1,500円、小人1,000円です。なお、燻し小屋内は煙がもくもくとしており、冷暖房もございません。喘息など呼吸器に不安のある方は、ご予約前にご確認ください。
Qアクセス方法を教えてください。
A近鉄志摩線・鵜方駅から車で約25分です。大王崎観光駐車場(有料・1日300円)をご利用ください。事務所・商品販売所は別の場所(志摩市大王町波切2545-15)にありますので、見学日以外のお買い物はそちらへお越しください。

基本情報

名称 かつおの天ぱく作業場
文化財区分 国登録有形文化財(建造物)
登録年月日 令和4年(2022年)10月31日
建設年代 昭和中期(1951年頃)
構造 木造2階一部平屋建、瓦葺及び鉄板葺、建築面積148㎡
所在地 〒517-0603 三重県志摩市大王町波切字石干谷393
運営 まるてん有限会社(かつおの天ぱく)
電話番号 080-2612-3801(見学窓口)/ 0599-72-4633(事務所・平日9:00〜17:00)
公式サイト https://katuobushi.com/
見学時間 10月〜5月:①11:00〜 ②13:00〜/6月〜9月:①10:00〜のみ(完全予約制)
定休日 毎週水曜日・日曜日、8月12日〜16日、12月1日〜1月10日
見学料金 大人2,000円 / 中人1,500円 / 小人1,000円
アクセス 近鉄志摩線・鵜方駅から車で約25分、大王崎観光駐車場(有料300円/日)利用

参考文献

かつおの天ぱく作業場 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/557005
志摩市大王町にある「かつおの天ぱく」が登録有形文化財(建造物)に登録されました — 志摩市ホームページ
https://www.city.shima.mie.jp/kakuka/kyouiku/syogaigakusyusportska/bunkazaimaizobunkazai/4756.html
志摩市の「かつおの天ぱく 鰹燻し小屋」が国登録有形文化財に — 伊勢志摩経済新聞
https://iseshima.keizai.biz/headline/4098/
波切節(なきりぶし) — にっぽん伝統食図鑑(農林水産省)
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/menu/nakiribusi.html
伊勢波切節 — かつおの天ぱく公式サイト
https://katuobushi.com/?page_id=33
鰹いぶし小屋 — かつおの天ぱく公式サイト
https://katuobushi.com/?page_id=68
かつおの天ぱく 鰹いぶし小屋体験 — 志摩市観光協会
https://www.kanko-shima.com/purpose/1221/
支部内の登録有形文化財 — 三重県建築士会志摩支部
https://shima-kenchikushikai-mie.jimdofree.com/

最終更新日: 2026.04.16