旅する詩人のかたちをした建物
俳聖殿の屋根は、深くかぶった旅笠の縁のようにゆるやかに下へ流れている。この形は偶然ではない。建物全体が、旅装の松尾芭蕉という一人の人物の姿として設計されている。丸い上層の屋根が旅笠、「俳聖殿」と記した木額が顔、その下に張り出す八角形の庇が蓑と衣、堂を囲む細い柱が芭蕉の杖と足にあたる。八角堂を見慣れた目にも、これは少し変わった建物に映るはずだ。
建つのは三重県伊賀市の上野公園、伊賀上野城の城跡の一画である。昭和17年(1942年)、芭蕉の生誕300年を記念して竣工した。平成22年(2010年)12月24日、意匠の独創性を理由に、建造物として国の重要文化財に指定されている。
伊賀に生まれた芭蕉
松尾芭蕉(1644〜1694年)は、俳聖殿の建つこの伊賀上野の地に生まれた。それまで言葉遊びの域にとどまっていた俳諧を、芸術の高みへと引き上げた人物である。紀行文『おくのほそ道』や、古池に飛び込む蛙を詠んだ一句は、今では国境を越えて読まれている。
この地に芭蕉を顕彰する建物を、という発意は、地元出身の衆議院議員・川崎克(1880〜1949年)によるものだった。川崎は私財を投じてこの計画を進めた。望んだのは、台座に据えた記念碑ではなく、旅人としての芭蕉の姿そのものを表す建築である。その実現のため、彼は当代きっての異色の建築家に協力を仰いだ。
意表をつく建築家
川崎が招いたのは、東京帝国大学名誉教授の伊東忠太(1867〜1954年)である。築地本願寺などを手がけた伊東は、日本の伝統的な形式に大胆な、ときに人を驚かせる発想を織り込む建築家として知られていた。その指導のもと、地元の大工・島田仙之助が設計を担い、施工はやはり地元の森本源吉が率いた。建物は昭和17年11月15日に竣工している。
その構成はどこを見ても尋常ではない。一階は八角形の平面で、外周を吹き放しの庇がめぐる。その上に円形平面の二階を載せ、屋根は隅を丸くした変形の宝形造とする。柱、梁、垂木、肘木といった主要な部材は、角材ではなく、すべて円形断面の木材で揃えられている。屋根は上下とも瓦ではなく檜皮葺だ。川崎が著した昭和17年の記録には、当初の瓦葺案を檜皮葺へと改めるよう伊東が指導した経緯が記されている。やわらかく連続する曲線は、この選択から生まれた。
文化庁が評価するのもこの点である。他に類を見ない形をもつ大規模な記念建造物でありながら、伝統建築を土台に、自由で独創的な造形をまとめあげた近代和風建築。指定基準は「意匠的に優秀なもの」とされている。
堂内に座すもの、そして公開の日
内部は、一体の坐像を中心に構成されている。一階の中央には円形の基壇が二段に築かれ、その上に、この土地の焼き物である伊賀焼の八角形の須弥壇が据えられる。八角の厨子のなかに収められているのが、同じく伊賀焼で焼かれた等身大の芭蕉坐像である。彫刻家・長谷川栄作による瞑想の姿の原型をもとに、川崎自身が焼成したものと伝わる。
訪れる前に押さえておきたいのは、この坐像が年に一日しか公開されない点だ。芭蕉の命日である毎年10月12日、堂は「芭蕉祭」のために開かれ、全国から寄せられた俳句や連句が坐像の前に奉納される。それ以外の日は、建物を外から眺めることはできても、内部の坐像を拝することはできない。
足を運んだら、軒を見上げてみたい。天井を張らず化粧屋根裏とした軒の裏側には、円い垂木が扇状に放射し、丸太の組み方がそのまま意匠になっている。堂の南、約50メートルの位置には、茅葺の小さな門が建つ。一間の薬医門で、俳聖殿とほぼ同じ時期に建てられたとされ、厨子・棟札とともに、附(つけたり)として同じ重要文化財の指定に含まれている。
俳聖殿のまわり
俳聖殿は、伊賀でも名の知れた見どころが集まる上野公園のなかにある。歩いて半日もあれば、近隣をまとめて回れる。一、二分も歩けば、藤堂高虎が築いた伊賀上野城が建つ。城を囲む石垣は、日本でも有数の高さで知られる。忍者の里として名高い伊賀らしく、伊賀流忍者博物館もすぐ近くだ。芭蕉の生涯と作品をもう少し深く知りたければ、俳聖殿から数歩の芭蕉翁記念館が役に立つ。
公園へは、伊賀鉄道の上野市駅から歩いて5分ほど。この路線には、忍者を描いた車両が走ることもある。車なら名阪国道の出口からおよそ10分。俳聖殿の敷地への入場は無料である。
Q&A
- 俳聖殿の中には入れますか。
- 内部と芭蕉坐像の公開は、芭蕉の命日にあたる毎年10月12日の「芭蕉祭」の日に限られます。それ以外の日も、建物を外から眺めて撮影することはできます。旅装の芭蕉を表したという独特の姿は、むしろ外から見るほうがよくわかります。
- なぜ建物が人の姿に見えるのですか。
- 旅装の芭蕉を表すよう意図して設計されたためです。丸い屋根が旅笠、木額が顔、八角形の庇が蓑と衣、まわりの柱が杖と足にあたります。旅する詩人の姿と建築そのものを一つに重ねようとした造形です。
- 誰が設計し、建てたのですか。
- 地元出身の政治家・川崎克が発意し、私財を投じて建設しました。設計は建築家・伊東忠太の指導のもと、地元の大工・島田仙之助が担当し、森本源吉が施工を率いています。竣工は昭和17年(1942年)です。
- 松尾芭蕉とはどんな関わりがありますか。
- 芭蕉は1644年、この俳聖殿の建つ伊賀上野で生まれました。俳聖殿は生誕300年を記念して1942年に建てられた建物で、俳諧を芸術へと高めた芭蕉の功績を顕彰しています。
- 周辺には何がありますか。
- 俳聖殿は上野公園内にあり、伊賀上野城、伊賀流忍者博物館、芭蕉翁記念館などが徒歩数分の範囲に集まっています。伊賀鉄道の上野市駅からは歩いて5分ほどです。
基本情報
| 名称 | 俳聖殿(はいせいでん) |
|---|---|
| 所在地 | 三重県伊賀市上野丸之内116番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 平成22年(2010年)12月24日指定/平成20年(2008年)3月19日に三重県有形文化財に指定 |
| 建立 | 昭和17年(1942年)11月15日竣工 |
| 構造 | 木造二階建、建築面積190.13平方メートル、檜皮葺。八角形平面の一階に円形平面の二階を載せる |
| 員数 | 1棟(附指定:厨子・棟札・門) |
| 発意・設計 | 川崎克が発意・寄進、伊東忠太が設計指導 |
| 所有者 | 伊賀市 |
| 内部公開 | 芭蕉坐像は10月12日「芭蕉祭」の日のみ公開 |
| 入場料 | 無料(外観、上野公園内) |
| アクセス | 伊賀鉄道・上野市駅から徒歩約5分 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 俳聖殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00004474
- 芭蕉翁顕彰会 俳聖殿
- https://www.basho-bp.jp/?page_id=50
- 観光三重 俳聖殿
- https://www.kankomie.or.jp/spot/3097
- 伊賀上野観光協会 俳聖殿
- https://www.igaueno.net/?p=95
最終更新日: 2026.06.03