遊佐家住宅主屋(登米市石森)とは

遊佐家住宅主屋は、宮城県登米市中田町石森にある江戸時代中期の農家の主屋で、平成18年(2006年)3月2日に国の登録有形文化財となった。

同じ屋敷に建つ広間・土蔵・板蔵・馬屋・味噌蔵とともに登録された6棟の1つで、文化庁のデータベースは建築年代を江戸中期(1661年から1750年の間)としている。6棟のなかでは群を抜いて古く、屋敷の中心をなす建物である。なお「遊佐家住宅主屋」の名で登録された建物は、宮城県内の大崎市鳴子温泉にも2棟あり、それぞれ別の物件である。

規模は桁行9間、梁間4間の木造平屋建てで、建築面積は175平方メートル。1間はおよそ1.8メートルにあたる。屋根は寄棟造で、いまは鋼板で葺かれている。東へ下る敷地の北西部に、東を正面として建つ。

登録の理由と価値

登録有形文化財(建造物)の登録基準は3つある。遊佐家住宅主屋は、そのうち「再現することが容易でないもの」として登録された。同じ屋敷のほかの5棟が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録されたのに対し、主屋だけが別の基準で評価されている。

文化庁の解説が取り上げているのは、年代の古さに加えて、土間の上に組まれた梁の構成である。曲がりを残した大材をそのまま組み合わせる架構は、同じ形の材をそろえ直すこと自体が難しい種類の造りである。

見どころ 喰違い四間取と土間の曲がり梁

床の上がった居室は南側にまとめられ、4つの部屋を田の字に近い形に並べた四間取になっている。ただし部屋の境は十字に一直線には通らず、途中でずれて組み合う。これが喰違い四間取と呼ばれる形式で、部屋ごとに広さの差をつけることができる。

居室の残りが土間である。見上げると、棟の通りに渡した太い牛梁から、外回りの下屋の柱に向けて、大きく曲がった梁が架け渡されているのが分かる。曲がった木をそのまま生かすこの組み方によって、広い土間に中柱を立てずに済ませている。

遊佐家住宅主屋の外観は、平屋の寄棟屋根が低く長く伸びる姿で、桁行9間という長さがそのまま正面の印象になる。

見学について

遊佐家住宅主屋は個人の屋敷の中にあり、内部の公開や見学受付の案内は文化庁・登米市の資料に見当たらない。土間の曲がり梁や喰違いの間取りは外からは見えない。建物の写真は文化庁のデータベースと文化遺産オンラインに掲載されている。

屋敷への行き方と、屋敷全体に共通する見学の条件は、遊佐家住宅(登米市石森)のページにまとめてある。

Q&A

Q遊佐家住宅主屋(登米市)はいつ建てられたのですか?
A文化庁のデータベースでは江戸時代中期、1661年から1750年の間とされています。屋敷に残る6棟のうちもっとも古い建物です。
Q遊佐家住宅主屋(登米市)は中を見学できますか?
A個人の屋敷で、一般公開や見学受付の案内は確認できません。写真は文化庁のデータベースと文化遺産オンラインに掲載されています。
Q遊佐家住宅主屋(登米市)はどんな間取りですか?
A南側に床上の居室を4室、喰違いに並べた四間取で、残りを土間としています。土間の上には曲がった大梁が架かっています。
Q登米市の遊佐家住宅主屋と大崎市鳴子温泉の遊佐家住宅主屋は同じ建物ですか?
A別の建物です。同じ名称の主屋が大崎市鳴子温泉の要害と馬場にもあり、それぞれ平成9年(1997年)と平成10年(1998年)に登録されています。登米市の主屋の登録は平成18年(2006年)です。
Q遊佐家住宅主屋(登米市)はなぜ登録有形文化財になったのですか?
A「再現することが容易でないもの」の基準で登録されました。江戸中期という年代に加え、土間の上に組まれた曲がり梁の架構が注目されています。

基本情報

名称遊佐家住宅主屋
所在地宮城県登米市中田町石森二木121
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成18年(2006年)3月2日登録
員数1棟
寸法桁行9間、梁間4間、建築面積175平方メートル
所有者文化庁データベースに記載なし
公開状況非公開(一般公開・見学受付の案内なし)

参考文献

国指定文化財等データベース「遊佐家住宅主屋」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005222
文化遺産オンライン「遊佐家住宅主屋」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/189950
教育委員会・文化財一覧(登米市)
https://www.city.tome.miyagi.jp/bunkazai/kurashi/kosodate/kyoikuinkai/shakaikyoiku/bunkazai.html

最終更新日: 2026.09.25