歩いて渡れる、深海の底
猪崎鼻は、宮崎県南部の日南市にある小さな岬である。重要港湾である油津港のすぐ南で、日向灘へ向かって突き出している。規模はけっして大きくない。東西およそ800メートル、南北およそ400メートル、岬をめぐる海岸線をたどっても1キロほどにすぎない。それでも訪ねる価値があるのは、岬を取り巻く海食崖にある。海面から10〜20メートルの高さでそそり立つ、岩の壁である。
この崖と、その足もとに広がる岩礁が、平成26年(2014年)3月18日に国の天然記念物に指定された。指定の範囲は5,228平方メートル。ここには、およそ4000万年前から2200万年前にかけて、深い海の底で起きたできごとが、地層という形で一枚一枚積み重なっている。
宮崎県にとって、この指定には重みがあった。県内で19年ぶりとなる新たな天然記念物であり、しかも守られているのは景色そのものではなく、岩のなかに刻まれた地質学的な記録である。
深海の底が陸へ上がるまで
猪崎鼻の岩は、日南層群と呼ばれる地層に属する。砂岩と泥岩が交互に重なった、厚い積み重なりである。それが形づくられた舞台は深海であった。海溝から大陸斜面にかけての、深い海の領域である。海洋プレートが大陸の縁の下へ沈み込んでいくとき、海底にたまっていた堆積物は、はぎ取られて陸側へと押しつけられた。地質学でいう付加体をつくる作用である。やがて、その押し集められた地層が隆起し、地表に現れた。
その過程は穏やかなものではなかった。堆積物が固まったのち、地殻の運動や大規模な海底地滑りによって、日南層群は巨大な岩塊にいくつも分かれた。猪崎鼻で見られる地層も、一続きの地層というより、こうした巨大な岩塊のいくつかであると考えられている。
砂岩層の多くは、混濁流による堆積物として始まった。混濁流とは、地震などをきっかけに、堆積物と水が混じり合った高密度の流れが、海底斜面を一気に流れ下る現象をいう。流れが深海底で勢いを失うと、運んできた粒子を決まった順序で落としていく。粗い粒子が先に沈み、細かい粒子がその上に重なる。この一つの規則が、数百万年にわたって無数の流れによって繰り返された結果、訪れる人がいま目にする縞模様の崖がつくられた。
なぜ守られているのか
堆積構造の研究は、地質学そのものの歴史とほぼ同じだけ古くから続けられてきた分野である。堆積岩は、ある土地がどのように成り立ってきたかを読み解くうえで、欠かすことのできない記録の一つであり続けている。猪崎鼻が指定を受けたのは、こうした構造が、近づきやすい一か所にこれほど多様にそろい、しかも教科書のような明瞭さで発達しているためである。
崖には、三つの異なる時点で生まれた構造が残されている。堆積物が水の流れによって運ばれ、積もっていく最中にできたもの。その直後、水を多く含んだ堆積物が締まり、含まれた水を押し出していくときにできたもの。さらにのちに、堆積物が岩へと固まっていく過程でできたもの。これらをあわせて読むと、かつての海底の環境と、それが埋もれていった仕組みの両方が見えてくる。
なかでも際立つ構造が一つある。ここの砂岩層の底面に見られるフルートキャストは、その規模、保存状態、そして明瞭さにおいて、国内でほかに類を見ないとされる。この一点こそが、指定の核心にある。
岩の上で何を見るか
猪崎鼻を読み解くには、いくらかの根気がいる。構造に説明書きはなく、とりわけ目を引くものは、横から、あるいは下から見上げないと気づきにくい面にある。
フルートキャストと溝状の底痕。混濁流が海底のやわらかい泥を削るとき、渦を巻くようなくぼみや、まっすぐな溝が掘られた。あとから流れてきた砂がそのくぼみを埋め、いまその埋めた部分が、砂岩層の底面から盛り上がった畝や雫形となって突き出している。これらは底痕としてまとめられ、当時の流れの向きまで教えてくれる。
級化した重なり。一つの混濁流堆積物は、粗い粒子からなる級化した底部から、平行葉理やリップル葉理へと、決まった順序で上へ移り変わっていく。この繰り返されるリズムを見分けることが、一枚一枚の層が突発的な一度の流れで積もったと知るための、もっとも確かな手がかりになる。
荷重痕とボールアンドピロー構造。重い砂がやわらかい泥の上に積もると、その境界がたわみ、砂が下の泥のなかへふくらむように沈み込んだ。さらに進むと、砂は丸い塊に分かれることがあり、その姿からボールアンドピロー構造と呼ばれる。
皿状構造・ピラー構造・コンボリュート構造。埋もれたばかりの砂が粒子のあいだの水を上方へ排出するとき、抜けていく水が浅い皿のような跡や、垂直の柱状の跡を残した。砂がいっとき液体のようにふるまった部分では、層理が乱れ、コンボリュート構造と呼ばれる細かく不規則な変形をつくっている。
砕屑岩脈とスランプ構造。隣り合う泥層へ上下に注入された砂は、薄い壁のような砕屑岩脈となる。海底地滑りに引きずられた地層のひとまとまりは、褶曲し、よじれてスランプ構造をつくり、動きが激しかったところでは、もとの層理が破壊されて礫状になっている。
生痕化石。岩には、深海底にすんだ生きものの巣穴や這い跡も残されている。ここでは保存状態がよく、物理的な構造が示す深海の環境を、化石の側から裏づけている。
猪崎鼻を訪ねる
岬一帯は猪崎鼻公園として整備されており、駐車場と、岬の近くには通年利用できる無料のキャンプ場がある。駐車場からは、フェニックスをまじえた亜熱帯の植物が生い茂る遊歩道を10分ほど歩くと、岬の先端近くにある木造の展望台に出る。展望台からは、紺碧の日向灘、七ツ八重と呼ばれる岩礁群、そして沖の大島が一望できる。日南海岸でも屈指の眺めとされ、歩く道のりが気軽な立ち寄りをためらわせるためか、訪れる人は少なく、静かに過ごせることが多い。元旦には、初日の出を拝む人々が集まる場所でもある。
堆積構造そのものは、展望台の下に広がる岩礁にあり、遊歩道沿いにあるわけではない。見るためには、起伏のある岩棚へ降りていくことになる。足場は悪く、高波や落石の危険が現実にあるため、岩礁へは穏やかな海況のときに注意して近づき、海が荒れているときは立ち入らないようにしたい。眺望だけを目的とするなら、展望台にとどまっても見るべきものを取りこぼすことはない。
猪崎鼻のまわり
猪崎鼻は、日南市のよく知られた目的地から近い位置にある。少し内陸へ車を走らせれば、城下町の飫肥がある。武家時代の町割り、石垣、復元された飫肥城の門が残り、歩いて巡るのに心地よい町である。海岸を南へ行くと、海食崖の洞窟のなかに鎮座する鵜戸神宮があり、その変わった立地が一年を通して参拝者を集めている。岬のすぐ北にある油津の港町は、近年、カフェや落ち着いた海辺の雰囲気とともに活気を取り戻した。これらをあわせれば、猪崎鼻は日南海岸をめぐる行程に、半日ほどで無理なく加えられる。
Q&A
- 堆積構造は手軽に見られますか。
- 展望台からの眺望は、10分ほどの歩きやすい遊歩道で行けます。構造そのものはその下の岩礁にあり、起伏のある岩棚へ降りる必要があるため、穏やかで安定した海況のときに限って向かってください。
- フルートキャストとは何ですか。
- 堆積物を含む流れが海底の泥を削ってつくったくぼみの、型を写した構造です。あとから砂がくぼみを埋め、いまその砂が砂岩層の底面から突き出しています。猪崎鼻のものは国内随一とされています。
- 岩はどれくらい古いのですか。
- 堆積物はおよそ4000万年前から2200万年前にかけて深海底にたまり、その後、付加され、固まり、やがて隆起していまの海岸の位置に現れました。
- 入場料や決まった開園時間はありますか。
- 猪崎鼻公園は開かれた場所で、入場料も決まった時間もありません。駐車場があり、隣接するキャンプ場も無料で利用できます。
- 岩を理解するのにガイドは必要ですか。
- 現地に説明書きはないため、少し予備知識があると役立ちます。フルートキャスト、級化した層、スランプ構造がどのような姿かを知っておくと、崖を観察する楽しみが大きく増します。
基本データ
| 名称 | 猪崎鼻の堆積構造(いざきばなのたいせきこうぞう) |
|---|---|
| 所在地 | 宮崎県日南市 |
| 指定区分 | 国指定 天然記念物 |
| 指定年月日 | 平成26年(2014年)3月18日 |
| 指定面積 | 5,228平方メートル |
| 地質 | 日南層群(砂岩泥岩互層) |
| 堆積年代 | およそ4000万年前〜2200万年前 |
| アクセス | 猪崎鼻公園内。駐車場から展望台まで徒歩約10分 |
| 料金・公開 | 無料。決まった開園時間のない開放地 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「猪崎鼻の堆積構造」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003845
- 文化遺産オンライン「猪崎鼻の堆積構造」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/232641
- 日南市ホームページ「猪崎鼻の堆積構造」
- https://www.city.nichinan.lg.jp/museum/kunishiteitoubunnkazai/shizenn/1/3775.html
- みやざき観光ナビ「猪崎鼻公園」
- https://www.kanko-miyazaki.jp/spot/1085
- 日本地質学会 巡検コース案内
- https://geosociety.jp/kagoshima/content0023.html
最終更新日: 2026.05.22