寺を失った本堂が、隣の寺で生き延びた

西永寺六和亭(さいえいじろくわてい、旧永徳寺本堂)は、新潟県十日町市上野甲にある真宗大谷派寺院・西永寺の境内に建つ安政4年(1857年)建立の仏堂で、平成12年(2000年)10月18日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

建築面積は34平方メートル。ワンルームのアパート一戸ほどしかない。

この数字を最初に挙げたのには理由がある。この建物は離れでも茶亭でもなく、永徳寺という寺の本堂として建てられた。儀礼の中心となる建物である。永徳寺は昭和10年代に廃寺となり、そのとき本堂は取り壊されずに解体・移築され、西永寺の庫裏の前方に、西を向いて据え直された。

西永寺そのものの歴史も押さえておきたい。享保12年(1727年)の創建と伝わり、天保6年(1835年)に焼失、嘉永元年(1848年)に再建されている。再建の棟梁は柏崎の篠田總吉。つまり現在「六和亭」と呼ばれるこの堂は、隣に建つ本堂より9年遅れて、しかもまったく別の場所で生まれたことになる。

六和亭という名は、僧団の和合を説く仏教語「六和敬(ろくわぎょう)」に通じる。ただし命名の経緯を記した資料は公表されていないため、確定した由来としてではなく、示唆にとどめておくのが正確だろう。

なぜ登録されたのか

日本の建造物保護には性格の異なる二つの制度があり、両者の区別は一次資料でもしばしば曖昧に扱われる。

国宝・重要文化財は「指定」される。国が選び、修理や改変に強い規制をかけ、保存費用の多くを負担する。一方、六和亭が属する登録有形文化財は「登録」である。平成8年(1996年)に創設された制度で、建設後50年を経過した建造物が対象となる。所有者は大きな改変の前に届け出れば足り、税制上の優遇と技術的助言を受けられる。指定の基準には届かないが、失われれば地域にとって確かな損失となる建物を、数多く救い上げるための仕組みだ。

六和亭の登録基準は「造形の規範となっているもの」。登録番号は15-0111である。

同日に登録された西永寺の建物は、六和亭を含めて5棟ある。本堂、経蔵、鐘楼、庫裏及び廊下がそれぞれ15-0107から15-0110を与えられ、いずれも嘉永元年頃の建立とされる。安政4年で、しかも他寺から来た六和亭だけが、この一群のなかで異質である。一度の再建事業で生まれた4棟に、外から来た1棟が加わる。この組み合わせ自体が、西永寺という場所の来歴を示している。

見どころ

寄棟造なのに、短い辺から入る

規模は正面2間半、奥行4間。メートルに直せばおよそ4.5メートル×7.3メートルになる。屋根は四方に勾配をもつ寄棟造で、入口は短い辺の側に開く。この形式を建築用語で妻入という。

この組み合わせは少し立ち止まって見る価値がある。寄棟造には本来の妻壁がないため、奥行の深い細長い平面が、横から押しつぶされたような独特の見え方をする。結果として、同時代の小規模な堂と比べ、幅に対する背の高さが目立つ姿になっている。

鉄板葺が語ること

屋根は鉄板葺である。十日町市は世界有数の豪雪地で、積雪2〜3メートルは珍しくない。屋根の設計は、いかに雪を落とすかという問題を軸に組み立てられる。金属板は雪を滑らせ、茅や板は雪を抱え込む。この鉄板葺は安政4年当初のものではないが、150年を超える冬をこの建物がどう越してきたかの、そのままの記録になっている。

梁の絵様

内部は内陣と外陣に分かれる。本尊を安置する奥の空間と、参詣者が座る手前の空間という、浄土真宗の堂の標準的な構成が、この小さな規模のなかに収められている。

梁などには絵様が彫られている。絵様とは構造材そのものに彫り込まれた浅い浮彫の文様で、後から貼り付ける装飾とは性格が違う。荷重を受ける部材に直接手を入れるものであり、その様式は建立年代を判定する手掛かりにもなる。これだけ小さな堂に彫刻の手間と費用をかけたことは、施主の姿勢を示す選択だった。文化庁の解説も、小規模ながら整った御堂だという評価を与えている。

訪ねる前に

西永寺は現役の檀家寺であり、博物館ではない。六和亭の内部公開について公表された案内はない。境内には入ることができ、外観の見学や撮影は可能だが、内部を見たい場合は事前に寺へ電話で相談するのが確実である。法要が営まれていることもあり、堂のすぐ後方にある庫裏は住職の生活の場でもある。

アクセスは、JR飯山線・北越急行ほくほく線の十日町駅から越後交通バス「十日町=川西=小千谷」線で約20分、「上野」バス停下車、徒歩約3分。車では関越自動車道六日町インターチェンジから国道253号経由で約30分、越後川口インターチェンジから国道117号経由で約20分となる。

足を運ぶなら、もう1件挙げておきたい。同じ上野甲の地区には、天保13年(1842年)建築の7棟からなる重要文化財・星名家住宅があり、その雪穴は別途登録有形文化財となっている。指定と登録、二つの制度による文化財が徒歩圏内に並んでいる。制度の違いは、言葉で説明されるより、実物を続けて見るほうが早く飲み込める。

冬期の訪問は可能だが容易ではない。除雪の手が及ぶのは幹線道路であって、すべての寺の参道ではない。

Q&A

Q西永寺六和亭(旧永徳寺本堂)はどこにありますか。十日町駅からの行き方は。
A新潟県十日町市上野甲87-8、真宗大谷派・西永寺の境内にあります。十日町駅から越後交通バス「十日町=川西=小千谷」線に乗り約20分、「上野」バス停で下車して徒歩約3分です。
Q西永寺六和亭(旧永徳寺本堂)は内部を見学できますか。
A内部の定期的な公開は案内されていません。西永寺は現役の寺院で、六和亭は庫裏の前に建っています。境内から外観を見ることはできますので、内部の見学を希望する場合は事前に寺へ問い合わせてください。
Q西永寺六和亭はなぜ「旧永徳寺本堂」と呼ばれるのですか。
Aもとは別寺院・永徳寺の本堂だったためです。永徳寺が昭和10年代に廃寺となった後、この本堂は解体され、西永寺の庫裏前方の現在地に移築されて六和亭の名を得ました。
Q西永寺六和亭の登録有形文化財は、重要文化財と何が違うのですか。
A登録有形文化財は平成8年に創設された、建設後50年以上の建造物を対象とする緩やかな制度です。所有者は大きな改変前の届出で足り、税制優遇を受けられます。重要文化財は国が指定するもので、規制がはるかに厳しく、国費による保存修理の対象になります。
Q西永寺には六和亭のほかに登録文化財がありますか。
A平成12年10月18日に、本堂、経蔵、鐘楼、庫裏及び廊下の4棟が同時に登録されています。登録番号は15-0107から15-0110で、いずれも嘉永元年頃、焼失後の再建にあたる時期の建立です。

基本情報

名称西永寺六和亭(旧永徳寺本堂)
所在地新潟県十日町市上野甲87-8
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号15-0111 登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年平成12年(2000年)10月18日登録(告示は同年11月6日)
員数1棟
寸法木造平屋建、鉄板葺、建築面積34平方メートル。正面2間半、奥行4間、寄棟造、妻入
所有者宗教法人西永寺
公開状況境内は立入可、外観見学可。内部公開の定期的な案内はなく、見学希望は事前に寺へ問い合わせ

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「西永寺六和亭(旧永徳寺本堂)」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001909
十日町市博物館「西永寺六和亭(旧永徳寺本堂)」
https://www.tokamachi-museum.jp/archives/bunka012/
十日町市博物館「指定・登録文化財一覧」
https://www.tokamachi-museum.jp/archives/bunka/
十日町市観光協会「西永寺」
https://www.tokamachishikankou.jp/spot/saieizi/
十日町市「十日町市内の指定文化財」
https://www.city.tokamachi.lg.jp/kanko_bunka_sports/rekishi_bunka/shiteibunkazai/index.html

最終更新日: 2026.08.13