寺の縁を引く塀

登録された文化財が、すべて中に入る建物とは限らない。四日市の東別院、境内の北辺には、石垣の上に低い塀が走っている。これもまた国の登録文化財である。中に人を入れる役ではなく、引く一本の線によって評価された。塀が通りに接するところで、寺は町並みのなかにひとつの形を得る。この塀こそ、東別院に北の縁を与えているものだ。

この工作物は二つの部分からなり、一括で登録されている。下は県内産の安山岩を切り出した石垣で、割石を乱積とする。整った横の目地をそろえず、不定形の石を組み上げる積み方だ。石の上には布石を一段置き、その上に土塀を築く。年代は江戸末期、1830年代から1860年代。すぐ隣に立つ太鼓楼を生んだのと同じ時期にあたる。

塀のつくり

塀そのものは練塀、すなわち板を張った塀ではなく、土と漆喰を突き固めて層に積んだ塀である。高さおよそ1.3メートル、厚さおよそ0.54メートル。しかもまっすぐには走らない。進みながら折れ曲がり、折曲りの延長はおよそ17メートルにおよぶ。下を支える石垣はおよそ15メートル。白漆喰で仕上げ、桟瓦を葺くことで、この塀はひと目で庭の仕切りではなく、寺の境界と分かる姿になっている。

これらの寸法は、訪れる際に心にとめておく価値がある。塀の静かな重みを説明してくれるからだ。人の背丈をわずかに超えるほどの塀に、厚さ半メートルは相当なものである。長く保ち、線を守るために築かれている。走りに折りを設けることで、地の縁を横切るのではなく、それに沿って進む。下の乱積の安山岩は、機械仕上げの塀には出せない、粗く手づくりの基礎を全体に与えている。

登録された理由

平成21年(2009年)、土塀及び石垣は国の登録有形文化財に登録された(登録番号44-0169)。ここでの登録基準は、堂に用いられたものとは異なる。造形の規範としてではなく、国土の歴史的景観に寄与するものとして登録された。この違いこそが眼目である。文化財のなかには、それ自体のありようによって評価されるものがある。この塀は、周囲に対して何をするかによって評価されている。

北辺に立ち、この塀を、隣り合う太鼓楼とあわせて読みたい。二つは同じ江戸末期に建てられ、同じ一隅を分かち合う。垂直の楼と、水平の塀。ともに白漆喰と灰色の瓦。この組み合わせこそが、寺のこちら側に、落ち着いた真宗寺院らしい性格を与えている。塀に沿って歩き、その折れを目で追い、境内の北辺全体がひと続きの町並みとして構成されていることに気づいてほしい。

Q&A

Qここで登録されているのは何ですか。
A一括で登録された二つの要素、すなわち土塀(練塀)と、それが載る石垣です。塀は折曲りの延長で約17メートル、石垣は約15メートルにわたります。
Qなぜ塀が文化財になったのですか。
A国土の歴史的景観に寄与するものとして登録されました。隣接する太鼓楼とともに、寺の北の縁と町並みをかたちづくっている点が評価されています。
Q何でできていますか。
A石垣は県内産の安山岩を割石乱積としたものです。その上に、高さ約1.3メートル、厚さ約0.54メートルの練塀が載り、白漆喰で仕上げ、桟瓦を葺いています。
Qいつ築かれたのですか。
A江戸末期、およそ1830年代から1860年代です。隣の太鼓楼と同じ時期にあたります。ともに他の3件と一括で2009年に登録されました。

基本情報

名称真宗大谷派四日市別院土塀及び石垣
所在地大分県宇佐市大字四日市字寺町1425-1
所有者宗教法人真宗大谷派四日市別院
指定区分登録有形文化財(2009年8月7日登録/登録番号44-0169)
年代江戸末期(およそ1830〜1860年代)
員数1棟
構造土塀、瓦葺、折曲り延長約17メートル(高さ約1.3メートル、厚さ約0.54メートル)/石垣は石造、延長約15メートル
拝観東別院境内の北辺、太鼓楼のかたわら。通りから望める

References

国指定文化財等データベース ― 真宗大谷派四日市別院土塀及び石垣
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007817
宇佐市 ― 東本願寺・西本願寺四日市別院
https://www.city.usa.oita.jp/tourist/touristspot/touristspot2/touristspot3/10183.html
大分県デジタルアーカイブ ― 東別院と西別院(宇佐市)
https://www.pref.oita.jp/site/archive/201429.html
ウィキペディア ― 真宗大谷派四日市別院
https://ja.wikipedia.org/wiki/真宗大谷派四日市別院

最終更新日: 2026.07.11