寺の時を守った楼
四日市の東別院、境内の北辺中央に、周囲の屋根を越えて二階建ての楼が立ち上がる。太鼓楼である。時計が各戸に行き渡る以前、寺は音によって近隣に時を知らせた。この楼の上階に据えられた太鼓こそ、刻を告げ、参拝者を呼ぶための器であった。
楼の建立は江戸末期、1830年代から1860年代のあいだと考えられ、昭和前期に南側へ平屋が増築された。主体は東西を棟とする二重二階の入母屋造で、本瓦を葺く。その下に付く増築部は、より簡素な切妻造の桟瓦葺である。
上階を読む
この建物の働く部分は最上部にある。上階は小さく、桁行梁間ともおよそ2.9メートル。太鼓が置かれるのはここだ。東西の壁面には、その中央に花頭窓が穿たれている。かつて禅宗建築から取り入れられ、やがて日本の寺院建築に広く溶け込んだ、あの炎形の窓である。楼の高みに据えられた対の窓は、二つの役をいちどに果たす。太鼓の音を外へ通し、同時に、通りから見上げる楼に見分けのつく顔を与えている。
楼の北半部は当初の形態をよくとどめており、その残り方こそ、この建物が評価される理由のひとつだ。南に付いた昭和の増築は、古い中心部を塗りつぶすのではなく、その脇に添えられた。だから楼の歴史ある本体は、まず北面を見るべきと知る者には、はっきりと読み取れる。
伽藍の輪郭のなかで
平成21年(2009年)、太鼓楼は国の登録有形文化財に登録された(登録番号44-0168)。境内の他の4件とともに、造形の規範となる建築として登録されたものである。制度上の理由は建築的なものだが、境内に立って感じる理由はもっと単純だ。太鼓楼は寺に垂直の抑揚を与える。堂と塀が横に低く連なる構図のなかで、いちばん高く響く一音である。
楼を最もよく見るには、境内の北辺を歩くとよい。そこでは土塀と石垣が楼のかたわらを走り、当初の形をとどめる北面がこちらを向く。この位置から、楼は建てられた本来の仕事をする。境内の一隅をつなぎとめ、空を背にした寺全体の輪郭をかたちづくる。そのうえで、楼自身の東西の窓に沿って目を向け、かつてそこを抜けて眼下の宿場町へ渡っていった音を思い描いてみたい。
Q&A
- 太鼓楼は何のために使われたのですか。
- 上階の太鼓を鳴らして刻を告げ、参拝者を呼びました。各戸に時計が普及する前、寺と周辺の町に音で時間の感覚を与える役割を担っていました。
- いつ建てられたのですか。
- 主体の楼は江戸末期(およそ1830年代から1860年代)の建立です。昭和前期に南側へ平屋が増築されました。2009年に文化財として登録されています。
- 上階の窓は何ですか。
- 花頭窓です。東西の壁面の中央に穿たれた炎形の窓で、楼の高みに置かれることで太鼓の音を通し、建物に特徴のある輪郭を与えています。
- どこから見るのがよいですか。
- 境内の北辺からです。楼が土塀のかたわらに立ち、当初の形をよくとどめる北面がこちらを向きます。太鼓楼は寺の輪郭に垂直の抑揚を与えています。
基本情報
| 名称 | 真宗大谷派四日市別院太鼓楼 |
|---|---|
| 所在地 | 大分県宇佐市大字四日市字寺町1425-1 |
| 所有者 | 宗教法人真宗大谷派四日市別院 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(2009年8月7日登録/登録番号44-0168) |
| 年代 | 江戸末期(およそ1830〜1860年代)/昭和前期増築 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造 | 木造2階建、瓦葺、建築面積約61平方メートル。上階は約2.9メートル四方、内部に太鼓を備える |
| 拝観 | 東別院境内の北辺。境内から外観を望める |
References
- 国指定文化財等データベース ― 真宗大谷派四日市別院太鼓楼
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007816
- 宇佐市観光協会 ― 真宗大谷派四日市別院
- https://www.usa-kanko.jp/pages/126/
- 真宗大谷派四日市別院(公式サイト)
- https://yokkaichihigashibetsuin.oita.jp/
- ウィキペディア ― 真宗大谷派四日市別院
- https://ja.wikipedia.org/wiki/真宗大谷派四日市別院
最終更新日: 2026.07.11