在銘の国東塔で最大の一基
長木家宝塔は、大分県国東市国東町東堅来にある鎌倉時代後期の石造宝塔で、昭和29年(1954年)3月20日に国の重要文化財に指定された。
総高397センチ。石材は角閃安山岩。長木家が中世から用いてきた個人墓地のなかに立つ。在銘の同形式のうち、建立当時のまま完形で残るものとしては最大とされる。
この形式には、日本のほかの地域には存在しない呼び名がある。宝塔は円筒形の塔身に方形の屋根を載せる石塔で、全国に分布する。ところが国東半島の石工は、方形の基礎と円い塔身のあいだにもうひとつの部材を挟み込んだ。蓮華座、あるいは花弁を下向きに刻んだ反花、ときにはその両方を重ねた台座である。違いはそれだけだが、地域固有の形式を成立させるにはそれで足りた。国東塔の総数は約500基といわれ、およそ9割が国東半島に集中する。在銘最古のものは弘安6年(1283年)の岩戸寺塔である。
台座の有無は、塔の均衡を大きく変える。塔身が基礎から持ち上がり、直線的な二つの塊のあいだに柔らかな曲面の帯が入る。台座を持たない各地の宝塔と見比べると、この一段がもたらす姿勢の良さははっきりわかる。
生前に自らの塔を建てた男
塔身には流麗な書体による長い刻銘がめぐる。そこに記されている内容は、石塔としては少し変わっている。願主は左衛門尉紀永貞。建立は元亨元年、干支でいえば辛酉の年の小春十八日、西暦1321年の陰暦10月18日にあたる。大工として僧の名が刻まれるが、「尊」の一字から下は判読できない。国東市の資料は、現在この地を管理する長木氏が紀氏の後裔と伝えられることを記している。
永貞はこの塔を、自らのために、存命中に建てた。逆修塔である。死後の追善を子孫に委ねるのではなく、生きているうちに自分の供養を済ませ、その功徳を自らの未来へ振り向ける。中世の在地領主層に広く行われた作法で、国東半島の石塔に存命の願主名が刻まれる例が多いのは、この習慣によるところが大きい。
刻まれた偈は、その決断についての省察として読める。去来も生死ももともと跡を残さず、七十余年は夢のうちに属する、これは誰の真面目か、地水火風空とはならない。仏教が身体を構成すると考える五大の名が末尾に置かれる。「七十餘年」の語からは、永貞が発願の時点ですでに高齢であったことがうかがえる。断定はできないが、偈の調子とはよく合う。
刻銘と併せて見ておきたい造形が二つある。ひとつは基礎で、三重に積み上げられ、最上重は四面とも三区に分けられて、それぞれに格狭間が刻まれる。もうひとつは孔である。塔の首部と、台座の反花にも孔があけられており、国東市の調査によれば、これらは空洞になっている基礎の内側へ通じている。納経や奉納のための孔と考えられている。この塔は中身の詰まった標識ではなく、容器として造られた。収めるべきものは経典であった。
東堅来を訪ねる
敷地は私有地である。塔は現在も使われている一族の墓地のなかにあり、所有者は寺院でも自治体でもなく個人である。見学と撮影は妨げられていないが、墓地に入るときの作法で振る舞い、通路から外れず、墓標に手を触れないでいただきたい。
下の里道から車道が上がっており、塔の近くに駐車できる場所がある。入口には庚申塔と説明の立看板が置かれ、近くの小さな祠には五頭身ほどの毘沙門天が祀られている。拝観料はなく、見学時間の定めもない。幹線道路からの案内表示は多くないので、道を探す時間を見込んでおくとよい。
同じ東堅来には、指定を受けた石造物がほかに二件ある。県指定の鳴板碑は、文保3年(1319年)と元応2年(1320年)の銘を持つ。市指定の東堅来の板碑は二基が並ぶ連碑で、総高は右166センチ、左153センチ。刻まれた元応3年は改元されて元亨元年、つまり1321年である。数百メートルの範囲に、ごく限られた年代の在銘石造物が三件。1320年代前後の一集落における造塔・造碑の動向を、これほど密度高く追える場所は多くない。
道を調べる際にひとつ注意しておきたい。文化庁のデータベースは所在地を「大分県東国東市国東町東堅来3037番地」と記している。東国東という市は存在したことがなく、東国東郡が正しい旧区分で、平成18年(2006年)の市町村合併によりこの地域は国東市となった。カーナビや地図の検索には国東市を入力する必要がある。
Q&A
- 長木家宝塔は見学できますか。拝観料はかかりますか。
- 拝観料はなく見学時間の定めもありませんが、塔は現在も使われている個人所有の墓地のなかに立っています。墓地に入る際の作法で見学し、通路から外れず、墓標には触れないようご配慮ください。下の里道から車道が通じており、近くに駐車できる場所があります。
- 長木家宝塔が国東塔と呼ばれるのはなぜですか。
- 国東塔は、方形の基礎と円い塔身のあいだに、蓮華座または反花(下向きの蓮弁)、あるいはその両方からなる台座を持つ宝塔です。他地域の宝塔にはこの部材がありません。総数は約500基とされ、およそ9割が国東半島に分布します。
- 長木家宝塔は誰が、なぜ建てたのですか。
- 刻銘によれば願主は左衛門尉紀永貞で、元亨元年(1321年)の小春十八日に起立したと記されています。死後の追善を子孫に託すのではなく、存命中に自らの供養を行う逆修の塔として建てられました。
- 長木家宝塔の大きさは、ほかの国東塔と比べてどうですか。
- 総高397センチです。国東市の資料は、在銘の国東塔のうち建立当時のまま完形で残るものとしては最大であろうとしています。石材は角閃安山岩です。
- 長木家宝塔の近くに見るべきものはありますか。
- 東堅来には、県指定の鳴板碑(文保3年・元応2年の銘)と、市指定の東堅来の板碑(元応3年=元亨元年)があります。国道213号沿いには横穴古墳群が並び、在銘最古の国東塔として知られる岩戸寺塔も車で行ける距離にあります。
基本情報
| 名称 | 長木家宝塔(ちょうぎけほうとう)/国東塔 |
|---|---|
| 所在地 | 大分県国東市国東町東堅来3037番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/指定番号第1287号 |
| 指定年 | 昭和29年(1954年)3月20日 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 総高397センチ。石材は角閃安山岩。元亨元年(1321年)の刻銘 |
| 所有者 | 個人 |
| 公開状況 | 屋外、拝観料なし。個人所有の墓地内にあるため見学には配慮が必要 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)— 長木家宝塔
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3607
- 文化遺産オンライン — 長木家宝塔
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/124414
- 国東市 — 東堅来地区の文化財(銘文全文を掲載)
- https://www.city.kunisaki.oita.jp/soshiki/bunkazai/bunkazaihigasikataku.html
- おおいた文化財ずかん — 長木家宝塔
- https://oita-digitalzukan.jp/cultural_property/長木家宝塔/
- 国東塔(形式の概要と国指定物件の一覧)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/国東塔
最終更新日: 2026.08.20