大永4年の禅宗様仏殿

泉福寺仏殿は、大分県国東市国東町横手にある曹洞宗寺院・泉福寺の仏堂で、大永4年(1524年)の建立と判断され、平成13年(2001年)11月14日に国の重要文化財に指定された。

寺の創立はさらに遡る。永和元年(1375年)、豊後の有力武家であった大友氏の一族・田原氏能が、母の発願に応えて無著妙融禅師(1333〜1393)を招き、この山裾に修行道場を開いたと伝えられる。山号は妙徳山、本尊は釈迦牟尼仏。国東半島の寺院は天台系が圧倒的に多く、曹洞宗の本格的な禅刹はここでほぼ唯一の存在といってよい。

参道の石段を上がると、伽藍の配置がそのまま目に入る。谷の下方から惣門、二重の山門、仏殿、そして一段高い本堂(法堂)が、中軸線に沿って階段状に並ぶ。南宋の禅院に範をとった中世禅宗寺院の典型的な構えで、これほど素直に残っている例は多くない。

仏殿は桁行三間、梁間三間の本屋に、背面の張出を付属させる。中央の身舎の周囲に庇をめぐらせた構成で、堂内に入ると入れ子状の空間が立ち上がる。建立年代の根拠となった棟札1枚が、附(つけたり)として建物とともに指定されている。

20年をかけた指定

この仏殿は、20世紀の大半を通じて地元では知られていても国の評価の外にあった。文化庁が全国で実施した江戸時代の社寺調査でも、禅宗様(唐様)であるこの建物の価値は十分に汲み取られなかった。県と市の担当者は何代にもわたって再評価を働きかけ続けたが、指定は難しいという空気が濃くなっていた。

局面を変えたのは、一人の研究者の実測調査だった。中世禅宗寺院建築研究の第一人者で、横浜国立大学名誉教授の関口欣也(1932〜2020)が紹介され、平成10年(1998年)の6月と7月、蒸し風呂のような小屋裏に潜り込んで図面をとり、境内をくまなく歩き、寺蔵の文献を読んだ。その成果として発表された論考が仏殿の位置づけを学術的に確定させ、続いて文化庁の主任文化財調査官も現地で同じ小屋裏に入った。指定はその3年後である。

文化庁の評価は明快だ。中世に遡る本格的な禅宗様仏殿の遺構そのものが少なく、そのなかで泉福寺仏殿は曹洞宗寺院の仏殿としては最古、かつ九州唯一の例にあたる。指定基準は「意匠的に優秀なもの」と「歴史的価値の高いもの」の二つ。指定番号は02405。

様式の手がかりは各部に残る。組物は柱上だけでなく柱間にも並べる詰組とし、上部の架構には虹梁と大瓶束を用いる。地方の折衷的な模倣ではなく、大陸由来の禅宗様の本流に属する手法である、というのが調査が示した結論だった。

屋根をめぐる決断と、いま見るべきもの

指定当時、建物の状態は危機的だった。長年の雨漏りで軸部と斗栱の腐朽が進み、応急措置として仮設の覆屋が架けられ、全体をトタンで覆い、正背面の軒は鉄管で支えていた。全解体修理は平成17年(2005年)1月に着手。解体後に破損の深刻さが判明して工期と事業費が増え、最終的に37か月、総事業費2億3,697万7,214円を要した。大工の延べ人数は約3,000人にのぼる。

解体は、誰も予期していなかった議論を呼び起こした。調査の結果、江戸時代の仏殿は茅葺だったことが判明したのである。鉄板葺になったのは昭和13年(1938年)からの小屋組の組み替え以降にすぎない。文化財保護行政の側は茅葺復原が望ましいとの方針を示し、維持管理を担う地元からは銅板葺の案が出された。着手から約1年、関係者が解体を終えた仏殿に集まり、現場監督から解体調査で判明した技術と修理履歴の説明を受けた。議論は長引かなかった。全会一致で茅葺が選ばれた。火災リスクに備えるため、貯水槽と自動放水銃あわせて6基が修理と並行して設置されている。

そのため公的記録には食い違いが生じている。文化庁のデータベースは構造欄を「鉄板葺」と記すが、これは指定時点(2001年)の状態を写したものだ。現在建っている姿は茅葺である。

修理の手つきにも見どころがある。室町の柱は元禄5年(1692年)からの根本修理ですでに根継ぎされており、平成の修理では樹種と生育環境をそろえた国産松材で再び根継ぎした。仕上げには手鉋を用いている。台鉋は室町時代の日本にまだ存在しないからだ。落慶法要は平成19年(2007年)11月12日に営まれた。

堂内で足を止めたいものが二つある。須弥壇上に安置された厨子は大分県指定有形文化財で、小型の入母屋造。扇垂木としながら中央付近を平行に配する古式を残す。もう一つは国東市指定の釈迦如来坐像で、張りの強い地髪と太い鼻梁、癖のある衣文表現から室町初期の院派系仏師の作とみられ、仏殿の旧本尊との伝承をもつ。

拝観は難しくないが、無条件でもない。定額の拝観料はなく、参拝の際の心付けが慣例。住職一人の寺であり、法要などで不在のこともあるため、事前に連絡しておくのが無難だ(0978-72-2035、観光案内では090-2514-6864)。駐車場は約20台分で大型バスも入る。空の玄関である大分空港は同じ国東市内にあり、車で約25分。九州の重要文化財のなかでは訪ねやすい部類に入る。坐禅(30分程度)と写経(1時間程度)は事前予約制で各1,000円。撮影の可否は公開情報に明示がないので、堂内で撮る前に寺務所に確認したい。

Q&A

Q泉福寺仏殿は拝観できますか。拝観料はいくらですか。
A境内は参拝でき、仏殿も見学できます。定額の拝観料は設けられておらず、心付けをお納めするのが慣例です。住職が法要などで不在の場合があるため、事前の連絡をおすすめします(0978-72-2035、または観光案内掲載の090-2514-6864)。
Q泉福寺仏殿はいつ建てられ、その年代はどう確かめられたのですか。
A大永4年(1524年)の建立です。建物とともに附指定された棟札1枚と、各部の様式手法の検討によって年代が判断されました。
Q泉福寺仏殿はなぜ重要文化財に指定されたのですか。
A中世に遡る本格的な禅宗様仏殿の遺構は全国的にも数が少なく、そのなかで泉福寺仏殿は曹洞宗寺院の仏殿として最古、かつ九州で唯一の例にあたります。禅宗様建築が西日本へ伝播した過程を知るうえでも欠かせない資料と評価されました。
Q泉福寺仏殿の屋根は茅葺ですか、鉄板葺ですか。
A現在は茅葺です。昭和13年(1938年)以降は鉄板葺でしたが、平成19年(2007年)に竣工した全解体修理で、江戸時代の姿にならって茅葺に復原されました。文化庁データベースの構造欄が「鉄板葺」となっているのは、指定時点の状態を記録しているためです。
Q泉福寺仏殿へはどう行けばよいですか。駐車場はありますか。
A大分空港が同じ国東市内にあり、車で約25分です。境内には約20台分の駐車場があり、大型バスも駐車できます。国東半島のこの一帯は公共交通が限られるため、レンタカーかタクシーの利用が現実的です。

基本情報

名称泉福寺仏殿 附 棟札1枚
所在地大分県国東市国東町横手(泉福寺境内)
指定区分重要文化財(建造物)/指定番号 02405
指定年平成13年(2001年)11月14日
員数1棟
構造・形式桁行三間、梁間三間、入母屋造、背面張出附属。平成19年の修理で茅葺に復原
所有者泉福寺
公開状況境内は参拝可。定額の拝観料なし(心付け)。事前連絡推奨。坐禅・写経は要予約、各1,000円

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/泉福寺仏殿
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3716
文化遺産オンライン/泉福寺仏殿
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/191553
国東市/横手地区(泉福寺)の文化財
https://www.city.kunisaki.oita.jp/soshiki/bunkazai/bunkazaiyokot-senpukuji.html
文化財建造物保存技術協会/建造物修理アーカイブ 泉福寺仏殿
https://www.bunkenkyo.or.jp/archive-site/detail/senpukuji/
大分県地方自治研究センター/重要文化財 泉福寺仏殿の全解体修理に関する報告
https://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_aichi33/08/0815_jre/index.htm
国東市観光情報/泉福寺
https://www.city.kunisaki.oita.jp/site/kanko/senpukuji.html

最終更新日: 2026.08.20