要塞のために築かれた桟橋

旧正野谷桟橋は、愛媛県西宇和郡伊方町正野の海岸にある昭和初期の桟橋で、平成15年(2003年)12月1日に登録有形文化財に登録された。佐田岬の先端近くに位置し、鉄筋コンクリート造と石造を組み合わせた延長73メートルの土木構造物である。

民間の漁港施設ではない。伊方町の説明によれば、この桟橋は豊予要塞第2砲台の建設資材を陸揚げするために築かれた。豊予海峡を挟んだ四国と九州の防備のため、大正8年(1919年)に豊予要塞整備要領が決まり、大正10年(1921年)から佐田岬砲台の建設が始まる。大正15年(1926年)に第1砲台、翌昭和2年(1927年)に第2砲台が設けられた。伊方町は桟橋の建設を昭和2年(1927年)とする。

当時の佐田岬半島に十分な陸路はなく、資材は海から運ぶほかなかった。砲台へ向かう斜面の下に船を着けられる構造物を作る。それがこの桟橋の役割だった。

24本の円柱と、接続部の石垣

旧正野谷桟橋が登録有形文化財となった際の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。登録番号は38-0052、第39回の登録にあたる。員数は1基として扱われる。

文化庁の国指定文化財等データベースによれば、桟橋は計24本の円柱に支えられ、表面をモルタル洗出しとした係船柱付きの鉄筋コンクリート造構造物が、緑泥変岩を矢筈積風とした石垣と接続する。接続部の橋台上には花崗岩が配される。コンクリートと石積みという性格の違う工法が一続きの構造物として組まれている点が、この桟橋の構成上の特徴である。

寸法については資料間に差がある。文化庁は延長73メートルとし、伊方町は「長さ約50メートル、幅約5メートル」と記載する。文化庁の値は接続する石垣部分を含んだ全長と考えられ、伊方町の値は桟橋本体を指すとみられる。本記事では登録上の値である73メートルを採用した。

伊方町は、波の力を弱める波圧防止装置が備えられていると説明する。半島の先端部は風が強く波も高い。80年を超えて残っていること自体が、この工夫の結果でもある。

軍艦波止と呼ばれて

文化庁の記載は、この構造物が「軍艦波止」の愛称で住民に親しまれていると記す。伊方町の説明では、地元の人々は「軍用桟橋」と呼んでいたという。どちらの呼び方も、これが漁のための波止ではないことを言い当てている。

現地に立つと、まず円柱の並びが目に入る。24本が海の上に脚を伸ばし、その上に桁が渡る。漁港の岸壁のように陸から連続して積み上げるのではなく、水面の上に構造を持ち上げる作り方をとっている。

表面のモルタル洗出しは、モルタルが固まりきる前に表面を洗って骨材の粒を露出させる仕上げである。近寄ると小さな石の粒が見える。80年以上の潮風にさらされてなお、この質感が残っている箇所がある。

コンクリート部と石垣が出会う場所は見どころのひとつである。緑泥変岩を斜めに傾けて積む石垣の上に、橋台として花崗岩が置かれ、そこからコンクリートに移る。近代の工法と、地元の石を使う在来の石積みが、一本の線上でつながっている。

係船柱は船をつなぐための柱で、桟橋が実際に使われていたことを示す部材である。何がここに陸揚げされたのかを考えながら見ると、構造物の見え方が変わる。

見学方法とアクセス

旧正野谷桟橋は伊方町が所有し、屋外の土木構造物として常時見ることができる。拝観料や開門時間の設定はなく、申し込みも不要である。撮影を禁じる掲示は確認できない。

ただし訪問には条件がある。佐田岬灯台へ向かう県道から、草木の茂った歩道を約500メートル下る必要がある。舗装された観光路ではないため、歩きやすい靴で訪れたい。半島の先端は風が強く、風の強い日は桟橋に近づけない。春か秋の穏やかな日を選ぶのが現実的である。

桟橋そのものは海上に張り出した構造物で、老朽化が進んでいる。上を歩くことは想定されていない。陸側から眺める見学に留めてほしい。

公共交通だけで着くのは難しい。JR予讃線の八幡浜駅から伊予鉄南予バスで三崎方面へ向かい、そこから先は車を用意するのが確実である。国道197号で佐田岬灯台方面へ進み、正野の集落付近で県道沿いの入口を探すことになる。佐田岬半島ミュージアム(道の駅)で半島の歴史と豊予要塞について予習してから向かうと、桟橋の位置づけが分かりやすい。

Q&A

Q旧正野谷桟橋は見学できますか。料金や予約は必要ですか。
A屋外の土木構造物なので常時見学でき、料金も予約も不要です。ただし県道から草木の茂った歩道を約500メートル下る必要があり、風の強い日は近づけません。桟橋の上を歩くことは想定されていないため、陸側からの見学に留めてください。
Q旧正野谷桟橋へはどう行けばよいですか。
A公共交通のみでは難しい場所です。JR予讃線の八幡浜駅から伊予鉄南予バスで三崎方面へ向かい、そこからは車が確実です。国道197号を佐田岬灯台方面へ進み、正野の集落付近で県道沿いの入口を探します。
Q旧正野谷桟橋は何のために造られたのですか。
A豊予要塞第2砲台の建設資材を陸揚げするためです。伊方町によれば昭和2年(1927年)の建設で、当時の佐田岬半島には十分な陸路がなく、資材の輸送は海路に頼るほかありませんでした。
Q旧正野谷桟橋の長さはどのくらいですか。
A文化庁の国指定文化財等データベースは延長73メートルとしています。伊方町は「長さ約50メートル、幅約5メートル」と記載しており、これは接続する石垣を除いた桟橋本体の値とみられます。登録上の値は73メートルです。
Q旧正野谷桟橋はなぜ「軍艦波止」と呼ばれるのですか。
A文化庁のデータベースが、この愛称で住民に親しまれていると記しています。伊方町の説明では地元で「軍用桟橋」とも呼ばれてきました。いずれも漁港の波止ではなく軍事施設として築かれた由来を反映した呼び名です。

基本情報

名称旧正野谷桟橋
所在地愛媛県西宇和郡伊方町正野地先
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年平成15年(2003年)12月1日登録
員数1基
寸法鉄筋コンクリート造及び石造、延長73メートル
所有者伊方町
公開状況屋外構造物のため常時見学可。桟橋上への立ち入りは不可

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース ― 旧正野谷桟橋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003723
伊方町 ― 旧正野谷桟橋
https://www.town.ikata.ehime.jp/map/rekishibunka/4040.html
伊方町 ― 三崎地域の文化財
https://www.town.ikata.ehime.jp/site/rekishibunka/1594.html
伊方町 ― 伊方町の歴史と文化
https://www.town.ikata.ehime.jp/site/rekishibunka/
伊方町 ― 伊方町文化交流施設 佐田岬半島ミュージアム
https://www.town.ikata.ehime.jp/site/sadamisakihakubutukan/

最終更新日: 2026.09.05