旧中山家住宅 ― 連島の丘に築かれた実業家の屋敷
旧中山家住宅は、岡山県倉敷市連島町西之浦にある実業家・中山説太郎の旧宅で、明治44年(1911年)頃に準備が始まり、大正8年(1919年)に建物と庭園を含む屋敷全体が完成した。主屋、離れ屋及び内蔵、中蔵、米蔵、長屋門の5棟は、平成30年(2018年)11月2日に登録有形文化財(建造物)として登録されている。
地元では「連島御殿」とも呼ばれてきた。高梁川の東岸、大平山の南麓の斜面を造成し、南・東・西の三方に高さ約11メートルの石垣を積んで平らな屋敷地をつくっている。広さはおよそ1,000坪。保存会の説明では、説太郎が周辺に持っていた約1万坪の土地から切り出したものだという。
下の住宅街から見上げると、石垣の上に瓦屋根が重なる姿は城郭のようにも映る。施主の母が望んだと伝わる「お城のような家」は、まずこの外観に表れている。
施主・中山説太郎と建設の経緯
中山説太郎は明治6年(1873年)、西之浦に置かれた成羽山崎家の陣屋に勤める武士、中山才一郎の長男として生まれた。大阪商業学校で学んだのち商社や鉱山経営の仕事を経て、明治43年(1910年)に久原房之助の率いる久原鉱業へ入社する。帝政ロシアへの銅の売り込みで大きな利益を上げ、専務取締役として久原系の多くの会社の経営に加わった。
旧中山家住宅の建設が進んだのは、ちょうどこの上り坂の時期にあたる。保存会の資料は、「お城のような家に住みたい」という母・鹿野の願いに応えた親孝行の普請だったと伝える。同じ資料は、神戸住吉にあった久原房之助の広大な本邸を見て、財界人にふさわしい邸宅を求めた面もあっただろうと併せて記している。
職人は各地から集められた。主屋は京都から招いた棟梁の指導のもとで地元連島の大工が施工し、茶室(現存しない)には京都の大工や左官が入り、庭は東京の久原家に出入りしていた庭師が作ったとされる。大正8年の落成式は説太郎の両親の金婚式を兼ね、2日にわたって祝われたという。
旧中山家住宅を支える高さ11メートルの石垣
旧中山家住宅を訪れてまず目に入るのは、登録された5棟のどれでもなく、屋敷地を支える石垣である。保存会の解説によると、当初の石組みは約10年に及ぶ工事の途中で2度、大雨によって崩れた。そこで大阪の大林組に依頼し、城壁の造成を専門とする技師の指導で積み直している。隅角部には生の松丸太を埋め込み、長さ6尺(約1.8メートル)の石柱を用いるなど、大坂城の石垣にならった工法がとられたと伝わる。
積み面は裾が緩く、上へ行くほど立ち上がる「武者返し」の曲線を描く。石材は北木島産で、玉島港に陸揚げされたのち人の力で運び上げられた。地元鶴新田の出身で、のちに大本組を興す大本百松らの職人衆が工事にあたったとも伝えられ、同社の社史にも中山説太郎邸の部分工事を請け負ったという記述がある。
旧中山家住宅の配置 ― 長屋門から奥の蔵へ
旧中山家住宅の表門は、敷地の東辺に建つ桁行27メートルの長屋門である。門を入ると敷地の中央に主屋が南を向いて建ち、その南側に池と流れを配した庭園が広がる。主屋の西面には渡廊下で離れ屋及び内蔵がつながり、さらにその北側、屋敷の奥の高い石積み基礎の上に中蔵と米蔵が東西棟で平行に並ぶ。
文化庁の登録では、主屋・離れ屋及び内蔵・中蔵・米蔵が大正3年(1914年)頃、長屋門が大正4年(1915年)頃の建築とされる。建物がそろったあとも石垣と庭の工事が続き、大正8年に屋敷全体が完成した。
庭の池には、北の丘陵(現在の倉敷芸術科学大学の下)にある取水池と濾過池から鉄管で清水を引いた。水は裏庭の池から内蔵の東側を通り、渡廊下の下をくぐって表の池へ注ぐ。保存会は、鉱山の水抜きの経験を生かして自邸に山の水を引いていた久原房之助に、説太郎がならったのかもしれないと推測している。
見て回るなら、長屋門の門口を入って主屋の玄関に向かい、座敷から庭を眺め、渡廊下の先の離れを経て、最後に裏手に並ぶ2棟の蔵へ回る順路が分かりやすい。各棟の構造や見どころは、それぞれのページで詳しく扱っている。
説太郎の晩年と旧中山家住宅のその後
説太郎本人がこの屋敷に長く暮らしたのは、昭和21年(1946年)に帰郷してから昭和36年(1961年)に88歳で亡くなるまでの15年ほどにすぎない。それまでは函館や大阪、神戸に住まいを構え、屋敷の留守は父の才一郎や親族が預かった。年に一、二度の帰郷は「殿様のお国入り」のようで、迎える側の準備は大変だったと伝えられる。
戦後、県南部に工業地帯を築く構想が進むと、旧中山家住宅は財界人を迎える場としても使われた。昭和30年代に企業誘致をめぐる会合がこの屋敷で開かれたとする証言があり、当時出入りしていた三宅勇次郎は、水島コンビナートの計画はここで決まったと語っていたという。ただし会合の中身を示す記録は見つかっておらず、保存会もその点を断っている。
平成30年の登録後は、地元の建築士会や建設業者の有志でつくる保存会が傷んだ建物の修理を続け、令和5年(2023年)3月に工事を終えた。同年春から、週末と祝日に一般公開されている。
旧中山家住宅の見学案内 ― 開館日・入館料・アクセス
旧中山家住宅の開館日は土曜日・日曜日と祝日で、開館時間は午前10時から午後4時まで。年末年始は休館する。入館料は大人(高校生以上)500円で、中学生以下は無料となっている。
夏には臨時休館することがあり、2026年は猛暑のため7月18日から9月27日まで休館すると保存会が告知している。出かける前に公式サイトで最新の案内を確かめておきたい。
公共交通なら、JR倉敷駅前から両備バスの小溝線に乗り、「ドンドン」停留所で降りる。乗車時間は30分前後で、停留所から屋敷までは歩いて3分ほど。住宅街の奥、丘の裾に高い石垣が見えてくれば、そこが旧中山家住宅である。車で訪れる場合は屋敷の近くに駐車場が3か所あり、合わせて45台分が用意されている(うち20台分は障害のある人と高齢者が優先)。
屋敷の中は石段や段差が多く、奥の蔵の戸口へは10段余りの石段を上がる。歩きやすい靴で訪れるとよい。撮影の条件は公式の案内に記載がないため、受付で確かめてほしい。
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)旧中山家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012632
- 国指定文化財等データベース(文化庁)旧中山家住宅離れ屋及び内蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012633
- 国指定文化財等データベース(文化庁)旧中山家住宅中蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012634
- 国指定文化財等データベース(文化庁)旧中山家住宅米蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012635
- 国指定文化財等データベース(文化庁)旧中山家住宅長屋門
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012636
- 文化庁 報道発表「登録有形文化財(建造物)の登録について」(平成30年7月20日)
- https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1407260.html
- 倉敷市 旧中山家住宅主屋ほか
- https://www.city.kurashiki.okayama.jp/culture/art/1007596/1007597/1011206/1007792/1007810.html
- 旧中山家住宅保存会 公式サイト
- https://nakayamake.com/top.html
- 旧中山家住宅保存会 建物等について
- https://nakayamake.com/aramashi.html
- 旧中山家住宅保存会 中山説太郎とは
- https://nakayamake.com/what-setsutaro.html
- 旧中山家住宅保存会 再生に向かって
- https://nakayamake.com/katsuyou-pj.html
- 旧中山家住宅保存会 利用案内(リーフレット)
- https://nakayamake.com/chirashi/chirashi301.pdf
最終更新日: 2026.09.11
基本情報
| 名称 | 旧中山家住宅 |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県倉敷市連島町西之浦2955 |
| 所有者 | 個人 |
| 指定 | 登録有形文化財 5件 |
| 座標 | 34.55336, 133.71283 |