建武2年の刻銘をもつ花崗岩の石塔
基礎の右側面に、一行の銘文が刻まれている。建武二年乙亥六月十一日。西暦に直せば1335年である。風化した灰色の石にわずかに残るこの日付こそ、本山寺宝篋印塔が高く評価される理由の核心にある。建武の新政から南北朝へと移る動乱の時期に、製作の年がはっきりと記された石塔は数が少なく、それだけにこの一基は、周辺に残る無銘の石造物の年代を測る基準として重んじられてきた。
塔が立つのは、岡山県北部、美咲町の山あいにある天台宗の寺院、本山寺の境内である。形式は宝篋印塔。方形の基礎の上に塔身を据え、その上に四隅の隅飾突起が立ち上がる笠を重ね、頂に相輪を載せる。全体が花崗岩で造られ、総高はおよそ184センチメートルにおよぶ。国の重要文化財である三重塔のかたわらに屋外で立ち、境内に現存する建造物のなかで最も古い。
宝篋印塔という名は、宝篋印陀羅尼という経文に由来する。初期のものはこの経を納めるために造られたが、鎌倉時代中期を境に、墓碑や追善供養の塔として用いられるようになった。岡山県、とりわけ美作地域南部は宝篋印塔の制作が盛んな土地で、この一基がここに残されている背景にも、そうした地域の蓄積がある。
国の重要文化財に指定された理由
本山寺宝篋印塔が国の重要文化財に指定されたのは、昭和31年(1956年)6月28日のことである。評価の根拠は、紀年銘の存在と造形の質という二つの要素が組み合わさった点にある。
石造物の年代判定は難しい。表面は雨風に削られ、年号を欠くものがほとんどであるため、研究者は多くの場合、作風だけを手がかりに製作年を推し量らなければならない。確かな年号をもつ作例は事情がまったく異なる。1335年という銘は、この塔を動かしがたい基準点に変える。似た比例や隅飾をもつ無銘の石塔に出会ったとき、研究者はこの塔と照合して年代を考えることができる。地域における石塔制作の初期を測る指標として、専門家はこの作品を評価している。
形式そのものは、京都・奈良を中心とする古い文化圏で育った、いわゆる関西風の様式を示す。その特徴は笠の隅にあらわれる。隅飾突起がほぼ垂直に立ち上がり、外へ強く反らないこと、そして相輪が太く長いことである。装飾の多さではなく、比例と抑制が、この塔の品格を支えている。室町時代初期の宝篋印塔の名品として位置づけられてきた。
塔の前に立って見るべきところ
塔のまわりを一周すると、塔身の四面が同じでないことに気づく。正面には西方極楽浄土の仏である阿弥陀如来が浮き彫りにされ、残る三面には梵字が刻まれている。梵字は一字で一尊の仏や菩薩を示す文字で、四面を合わせて読むと、阿弥陀を中心に据えた簡潔な信仰の表明になっている。
その阿弥陀の彫りは、近寄って見る価値がある。作風は、美咲町内に残る六体の小さな石造阿弥陀像と結びつく。これらは14世紀前半の作と推定されており、両者の類似は、同じ系統の石工、あるいは同じ手によるものと考えられるほど近い。ここに立つ者は、この地方に花崗岩の作例を残した地元工房の仕事を目にしていることになる。
立地も見どころのひとつである。1335年の石塔は、津山藩主森忠政が承応元年(1652年)に建てた木造の三重塔から、わずかに離れて立つ。三百年以上を隔てた二つの建造物、石のものと檜皮葺き・木造のものが、一度の視界に収まる。基礎に刻まれた銘も探してみたい。低い位置にあって見落としやすいが、ここに、すべての年代の起点となる日付が、およそ七百年前の手仕事で刻まれている。
本山寺と周辺の見どころ
本山寺は、正式には岩間山本山寺と称する天台宗の寺院で、本尊は観世音菩薩である。寺伝は創建を大宝元年(701年)に置き、初期の歴史を伝説的な人物に結びつけるが、これらは記録された史実というより、信仰の歴史に属する話と理解しておきたい。平安時代後期には現在地に移り、天台密教の山岳道場として、また庶民信仰の地として栄え、僧坊は百を超えたとも言われる。
この寺の歴史には、日本仏教全体に関わる一筋がある。長承元年(1132年)、のちに浄土宗を開く法然の両親が、安産を祈ってここを訪れたと伝えられる。法然が生まれたのは、現在の久米南町にあたる近隣の地であった。時代がくだって江戸時代には、津山藩主が、はじめ森氏、のちに松平氏と、本山寺を祈願所として尊崇し、境内に一族の霊廟を営んだ。
境内には、指定文化財が珍しいほど集まっている。石塔のほか、本堂(14世紀半ば)と三重塔(1652年)はいずれも国の重要文化財で、三重塔は岡山県下で最も高い。永正16年(1519年)の常行堂、承応元年(1652年)の霊廟、貞享3年(1686年)の仁王門、そして応永6年(1399年)のもう一基の宝篋印塔は、県の指定を受けている。この1399年の石塔は霊廟の前に立ち、三重塔のかたわらの国指定塔としばしば混同されるため、二つの年代を区別しておくとよい。
本山寺は、美作西国三十三所観音霊場の第一番札所でもある。境内は開かれていて静かで、仁王門へと続く石段を上り、森に包まれた道をゆっくり歩く時間が似合う。最も通りやすい経路は国道53号からの道で、最寄り駅はJR津山線の弓削駅、そこから車でおよそ15分である。
Q&A
- 宝篋印塔とはどのような石塔ですか。
- 基礎・塔身・隅飾突起のついた方形の笠・相輪を積み重ねた、日本の石造塔の一形式です。名は宝篋印陀羅尼という経文に由来し、初期にはこの経を納めるために造られました。鎌倉時代以降は、死者を供養する追善塔や墓標として多く建てられるようになりました。
- 境内のもう一基の石塔とは、どう見分けますか。
- 国の重要文化財は、木造の三重塔のかたわらに立つ1335年の塔です。もう一基、霊廟の前に立つ1399年の石塔は県の指定で、こちらと混同されがちです。1335年の塔のほうが古く、境内に現存する建造物のなかで最も古いものにあたります。
- なぜ製作年がそれほど正確にわかるのですか。
- 花崗岩の基礎の右側面に、建武二年六月十一日(1335年)と記す銘文が刻まれているためです。この時代の紀年銘をもつ石造物は少なく、それがこの塔を専門家が重んじる大きな理由になっています。
- 見学はできますか。拝観料は必要ですか。
- 塔は境内の屋外に立ち、通年見学できます。本山寺は山中にある現役の寺院ですので、参拝や建造物への配慮をお願いします。遠方から訪れる場合は、事前に寺へ拝観の状況や季節の道路事情を確認すると安心です。
- ほかに見ておきたいものはありますか。
- 1652年の三重塔は県下で最も高い三重塔で、14世紀半ばの本堂とともに国の重要文化財です。常行堂、森氏・松平氏ゆかりの霊廟、仁王門なども加わり、古い建築の集まる境内になっています。
基本情報
| 名称 | 本山寺宝篋印塔(ほんざんじほうきょういんとう) |
|---|---|
| 所在地 | 岡山県久米郡美咲町定宗 |
| 所有者 | 本山寺 |
| 指定区分 | 国指定重要文化財(建造物) |
| 指定年月日 | 昭和31年(1956年)6月28日 |
| 制作年 | 建武2年(1335年)/紀年銘による |
| 員数 | 1基 |
| 材質・形式 | 石造宝篋印塔(花崗岩)、総高 約184センチメートル |
| アクセス | JR津山線 弓削駅から車で約15分/国道53号からの経路が便利 |
| 公開状況 | 境内の屋外に立ち、通年見学可能 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3102
- 本山寺(岡山県美咲町)— Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/本山寺_(岡山県美咲町)
- 本山寺宝篋印塔(美咲町)— 津山瓦版
- https://www.e-tsuyama.com/report/2020/02/post-1950.html
- 本山寺 — 岡山観光WEB(公式)
- https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_11898.html
- 美咲町の文化財 — 美咲町ホームページ
- https://www.town.misaki.okayama.jp/soshiki/gakusyu/10359.html
最終更新日: 2026.06.02