蟻通神社とはどのような神社か
蟻通神社は、大阪府泉佐野市長滝に鎮座する神社で、境内に建つ11件の建造物が平成27年(2015年)に登録有形文化財となった。主祭神は大国主命。社伝は第9代開化天皇の時代の勧請と伝えるが、創建の年代を示す古記録は残っていない。正応2年(1289年)の「和泉国神名帳」には「有通神社」と記され、中世の荘園絵図には「穴通社」として描かれる。長滝の総社として、この地の人々が「ありとおしさん」「おみやさん」と呼んできた社である。
読みは「ありとおし」。ただし世阿弥の謡曲では「ありどおし」、紀貫之の故事では「ありとほし」と伝わり、境内で続く薪能はその古い読みをとって「ありとほし薪能」と名乗る。江戸期までは蟻通明神とも呼ばれた。
社名の由来には二つの説がある。ひとつは、唐から突きつけられた難題のうち、七曲がりの玉に糸を通す一問を、蟻に糸を結んで解いたという説話。もうひとつは、熊野街道沿いという立地から、参詣者の列を「蟻の熊野詣」と評した言い回しに結びつけるものである。
紀貫之の落馬と、清少納言が書き留めた話
『紀貫之集』には、紀伊国からの帰り道で貫之の馬が倒れ、通りかかった人に「ありとほしの神」へ祈るよう勧められたという逸話が載る。貫之が「かき曇りあやめもしらぬ大空にありとほしをば思ふべしやは」と歌を奉じたところ馬は回復した、と伝えられる。星が見えるとは思わなかった、という意味に、蟻通の神がおいでとは存じませんでした、という詫びを重ねた歌である。
清少納言は『枕草子』の「社は」の段でこの神を挙げ、蟻通神社の社名にまつわる説話を書き留めた。室町時代には世阿弥がこの故事を謡曲「蟻通」に仕立てている。境内の一角には貫之が冠を落としたと伝わる「冠之渕」が復元され、天保年間の建立とされる石碑と、昭和43年(1968年)に建てられた歌碑が並ぶ。
飛行場建設による社地の移転
蟻通神社の建造物群を理解するうえで欠かせないのが、昭和17年(1942年)に始まった社地の移転である。旧境内は現在地の北方、熊野街道(紀州街道)沿いにあり、松並木の参道が延びる広い社域を持っていた。第二次世界大戦下、佐野町・日根野村・安松村・長滝村にまたがる一帯に明野陸軍飛行学校佐野飛行場が建設されることになり、田畑もため池も集落の一部も強制的に移された。神社もその対象となった。
移転は氏子の手で進められた。建物の多くは曳屋の工法で、車に載せて引き、一週間ほどかけて現在地へ運んだと伝えられる。若い働き手が戦地に出たあとの作業で、記録は難渋の連続であったと伝える。遷座が終わったのは昭和19年(1944年)8月、敗戦の1年前だった。
境内の面積は旧地より狭くなった。それでも本殿・拝殿・舞殿・表門を南北の軸線上に据える配置は元のまま復元され、移転前の社頭の姿がそのまま残った。11件の登録有形文化財が一つの神社にまとまって残っている理由はここにある。
境内をどう歩くか
境内は南北に長く、南を正面とする。大阪府道日根野羽倉崎線に面した南参道の両脇には石燈籠が並び、その先の池に太鼓橋が架かる。橋を渡ると赤く塗られた表門。門をくぐると正面に舞殿が構え、その奥に横長の拝殿及び幣殿、さらに奥へ透廊が続き、最も北に本殿が南面して建つ。本殿の背後を後門及び東西透塀が囲む。
南参道の脇には南手水舎、境内南東寄りには絵馬殿がある。北西側には裏門があり、その北隣に北手水舎が立つ。舞殿の東には六社明神、北東には石の祠が並ぶ。足神神社と仏足石、弁財天社、そして冠之渕も境内にある。ひととおり歩いて30分ほど。11件の登録有形文化財のうち、太鼓橋を除く10件が建物である。
11件が語る三つの時期
蟻通神社の登録有形文化財11件は、平成27年(2015年)8月4日付の官報告示で一括して登録された。登録番号は27-0619から27-0629まで連続し、登録基準はいずれも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。建てられた時期は大きく三つに分かれる。
第一が近世前期。舞殿は江戸時代前期、本殿は寛文9年(1669年)にさかのぼる。岸和田藩主岡部氏の造営と伝えられ、11件のうち最も古い部類にあたる。第二が幕末から昭和初期。表門は嘉永5年(1852年)、裏門は嘉永6年(1853年)、絵馬殿は文久元年(1861年)、拝殿及び幣殿と北手水舎と太鼓橋は江戸末期、南手水舎は昭和15年(1940年)の建立である。第三が移転そのものによって生まれたもので、透廊と後門及び東西透塀は昭和17年(1942年)に新たに建てられた。旧地から運ばれてきた建物と、新しい社地に合わせて造られた建物とが、境内で同居している。
年間の祭りと、舞殿で舞う能
蟻通神社でよく知られる行事が「ありとほし薪能」である。移転後70年にあたる平成26年(2014年)に地元有志の手で始まり、境内の舞殿を能舞台に用いる。観世流シテ方の能楽師を迎え、能と狂言が野外で演じられる。謡曲「蟻通」が上演された年もある。開催日は年によって変わるので、参加を考えるなら公式サイトで確かめてほしい。子どもを対象とした能楽教室も続いている。
年間の祭事は、1月1日の元旦祭に始まり、1月9日から11日の十日戎祭、2月の節分祭、4月第2日曜の祈年祭、6月下旬の田植奉告祭、10月の秋祭り(地車祭)、11月3日のお火焚き祭、12月第1日曜の新嘗祭、12月31日の大祓・除夜祭と続く。江戸時代の蟻通神社は南泉州でも有数の祈雨(雨乞い)の社として重んじられ、歴代の岸和田藩主から神宝や土地の寄進を受けた。
参拝の案内
蟻通神社の境内は参拝自由で、拝観料はかからない。ただし建物の内部はいずれも非公開なので、11件の登録有形文化財は外観を見ることになる。写真は境内から自由に撮れるが、祈祷や祭典が行われているときは遠慮したい。舞殿は令和6年(2024年)にクラウドファンディングで床板が新調されており、土足で上がることはできない。
鉄道ではJR阪和線の長滝駅が最寄りで、徒歩10分ほど。バスを使うなら、南海泉佐野駅またはJR日根野駅からいずみさのコミュニティバス南回りに乗り、「蟻通神社前」で降りればすぐである。車では約20台分の無料駐車場が用意されている。関西国際空港からも近い。
御朱印や授与品、ご祈祷の受付は社務所で扱う。常駐でないこともあるため、七五三や初宮参りなど日時を決めて訪れる場合は、電話(072-465-0897)で事前に相談するのが確実である。所在地は泉佐野市長滝814。
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「蟻通神社本殿」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010664
- 文化庁 国指定文化財等データベース「蟻通神社舞殿」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010668
- 文化庁 日本遺産ポータルサイト「蟻通神社」
- https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/6535/
- 日本遺産 日根荘「蟻通神社」
- https://hinenosho.jp/bunkazai/aritooshi.html
- 蟻通神社「蟻通神社について」
- https://www.aritooshi.org/about.html
- 蟻通神社「境内のご案内」
- https://www.aritooshi.org/guidance.html
- 蟻通神社「年間祭事」
- https://www.aritooshi.org/schedule.html
- 泉佐野市観光サイト ここ旅泉佐野「蟻通神社」
- https://visitizumisanojpn.com/aritooshi/
最終更新日: 2026.09.14
基本情報
| 名称 | 蟻通神社 |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府泉佐野市長滝806他 |
| 所有者 | 宗教法人 蟻通神社 |
| 指定 | 登録有形文化財 11件 |
| 座標 | 34.38550, 135.31334 |