萩原家住宅米蔵とは
萩原家住宅米蔵は、大阪府八尾市恩智中町三丁目にある明治42年(1909年)建築の土蔵で、令和元年(2019年)9月10日に国の登録有形文化財に登録された。土蔵造2階建の瓦葺で、建築面積は69平方メートルあり、萩原家住宅の蔵3棟のうちもっとも大きい。
屋敷の西北隅に東を向いて建つ。萩原家が明治21年(1888年)に木綿問屋を閉じて織物業に移ってから約20年後の建物で、江戸後期の主屋や木綿蔵とは1世紀ほど時代が離れている。茶吉庵はこの米蔵を、建て直された蔵として紹介している。
左右の戸口と吹放しの下屋
萩原家住宅米蔵の屋根は切妻造の本瓦葺である。正面の左右に1つずつ戸口を設け、その前に壁のない吹放しの下屋を正面いっぱいに通している。
戸口が中央ではなく左右に分かれているため、正面は横に長く、下屋の軒が水平に走る。外壁は漆喰塗で鉢巻を廻し、腰には縦板を張る。江戸後期の巽蔵は腰に、木綿蔵は北面に舟板を横に張るのに対し、明治の米蔵は縦板で、同じ屋敷の蔵でも仕上げが変わっている。
一室の内部と和小屋
萩原家住宅米蔵の内部は1室で、1階・2階とも板敷である。内壁は柱を見せる真壁の漆喰塗で、屋根は和小屋で組まれている。
69平方メートルの床を仕切らずに使う広さが、いまの活用にもつながっている。萩原家によれば、令和2年(2020年)に米蔵の改修が終わり、催しに使えるスペースとして使われ始めた。近年は屋根の大規模な葺き替え工事も行われている。
萩原家住宅米蔵が登録された理由
萩原家住宅米蔵は、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録された。文化庁の解説は、米蔵が木綿蔵とL字形に連なり、屋敷の背面を重厚に整えていると評価する。
北辺の木綿蔵と西北隅の米蔵が角でつながり、中庭の北と西を厚い土蔵の壁で閉じている。この角の構えが、萩原家住宅の裏側の印象を決めている。
萩原家住宅米蔵の見学
萩原家住宅米蔵は茶吉庵の催しや貸しスペースに使われており、中に入れるのは催しの開催時や利用時である(2026年9月確認)。見学のための公開日は設けられていない。
外観は、茶吉庵の営業時に中庭の側から見られる。正面の左右の戸口と下屋は東を向いているので、中庭から正面をとらえやすい。撮影の決まりは公開されていないため、その場で尋ねるとよい。行き方は萩原家住宅(八尾市)のページにまとめてある。
Q&A
- 萩原家住宅米蔵はいつ建てられましたか?
- 明治42年(1909年)です。萩原家が織物業に移ってからの建物です。
- 萩原家住宅米蔵の大きさはどのくらいですか?
- 土蔵造2階建で、建築面積は69平方メートルです。萩原家住宅の蔵3棟でもっとも大きい蔵です。
- 萩原家住宅米蔵の見どころはどこですか?
- 正面の左右に分かれた戸口と、正面いっぱいに通る吹放しの下屋、そして木綿蔵とL字形に連なる配置です。
- 萩原家住宅米蔵が登録有形文化財になったのはいつですか?
- 令和元年(2019年)9月10日です。「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として登録されました。
- 萩原家住宅米蔵の中に入れますか?
- 茶吉庵の催しの開催時や貸しスペースの利用時に入れます。見学専用の公開日はありません(2026年9月確認)。
基本情報
| 名称 | 萩原家住宅米蔵 |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府八尾市恩智中町3丁目1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 令和元年(2019年)登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 建築面積69㎡(土蔵造2階建) |
| 所有者 | 文化庁データベースでは空欄(萩原家が「茶吉庵」として運営) |
| 公開状況 | 催し・貸しスペース利用時に内部に入れる |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「萩原家住宅米蔵」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012967
- 文化遺産オンライン「萩原家住宅米蔵」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/380137
- 八尾市「萩原家住宅(恩智中町三丁目) 国登録有形文化財(建造物)に」
- https://www.city.yao.osaka.jp/bunka_sports_event/bunka_geijutsu_reikishi/1011330/1011376/1011380.html
- 茶吉庵「茶吉庵について」
- https://chakichian.co.jp/aboutchakichian/
- 茶吉庵 トップページ
- https://chakichian.co.jp/
最終更新日: 2026.09.30