要家住宅離れ書院とは

要家住宅離れ書院(かなめけじゅうたくはなれしょいん)は、大阪府貝塚市畠中2丁目の要家の屋敷に建つ元文3年(1738年)の書院で、平成29年(2017年)6月28日に登録有形文化財となった。登録された11件のうち、建築年が年単位で分かっているのはこの建物だけである。貝塚市の刊行物では「聴雨軒(ちょううけん)」の名で紹介されている。

建物は主屋の北に建つ木造平屋建の瓦葺で、建築面積は95平方メートル。七畳の座敷と次の間に、茶室などが付属する。文化庁の解説はこれを「内向きの書院」と呼ぶ。藩主を迎える表書院が屋敷の表の顔であるのに対し、要家住宅離れ書院は家の人々が自らの楽しみのために使う、奥の書院だったことになる。

登録の理由と価値

要家住宅離れ書院は「造形の規範となっているもの」として登録された。評価されたのは、細部にまで意匠を凝らした華やかさである。

興味深いのは、同じ屋敷の表書院と対照をなしている点だ。表書院は藩主の倹約の方針に従って長押を省き、あえて簡素に仕上げられた。ところが藩の目が届きにくい奥の離れ書院では、窓の形、金具、欄間の一つひとつにまで装飾が施されている。公の場では控え、私の場では存分に凝る。七人庄屋の家が二つの書院を使い分けていた様子が、建物の意匠の差としてはっきり残っている。

18世紀前半という年代が確定していることも価値を高めている。年代の分かる民家の座敷は、ほかの建物の年代を推し量るときの物差しになる。要家住宅の他の建物が「江戸中期」「江戸末期」と幅をもって示されるなかで、離れ書院は屋敷全体の時間軸の基点に立つ建物といえる。

座敷と茶室の見どころ

座敷の付書院は、窓を花頭窓の形に切る。上端が火灯の炎のように尖った曲線を描く窓で、もとは禅宗寺院の意匠である。これを座敷に取り込むことで、部屋の一角に寺院建築の格調が持ち込まれる。

床脇の下部には狆潜り(ちんくぐり)が開く。床の間と床脇を仕切る壁の足もとを小さく刳り抜いた開口で、狆が潜り抜けられるほどの大きさという意味の名である。壁に抜けを作ることで、床まわりが重くならない。

細かな金具にも目を向けたい。柱や長押の釘頭を隠す釘隠しと、襖の引手は七宝焼である。欄間は花狭間(はなざま)と呼ばれる、花形を連ねた透かしの意匠で、座敷に入る光を細かく割る。どれも小さな部材だが、数がそろうと部屋全体の印象を決める。

茶室は二畳台目である。客座の二畳に、点前座として普通の畳の約4分の3の長さの台目畳を加えた小間で、侘びた茶の湯のための広さといえる。西側には一畳分の榑板張(くればりばり)が設けられ、ここが床の間を兼ねる踏込床となり、同時に躙口から上がる際の足場にもなる。一枚の板敷きに二つの役目を負わせた工夫で、限られた広さを最大限に使おうとする意図が読み取れる。

見学方法

要家住宅離れ書院は個人の住まいの一部で、内部も外観も公開されていない。建物は主屋の北側、土塀に囲まれた敷地の奥にあり、敷地の外から見ることはできない。特別公開や見学会の案内も確認できなかった(2026年9月25日確認)。

外観の写真は貝塚市の紹介ページで見ることができる。周囲の道を歩く際は、塀越しに奥をのぞき込むことは控えたい。

Q&A

Q要家住宅離れ書院は見学できますか。
Aできません。個人の住まいの一部で、内部・外観とも非公開です。敷地の奥にあるため、塀の外からも見えません。
Q要家住宅離れ書院はいつ建てられましたか。
A元文3年(1738年)です。要家住宅で登録された11件のうち、建築年が年単位で分かっている唯一の建物です。
Q要家住宅離れ書院と表書院はどう違いますか。
A表書院は藩主を迎える表向きの書院で、倹約に従い長押を省いた簡素な意匠です。離れ書院は家の内向きの書院で、花頭窓や七宝の金具、花狭間の欄間など装飾を凝らしています。
Q要家住宅離れ書院の茶室はどのような造りですか。
A二畳台目の小間です。西側に一畳の榑板張を設け、これを踏込床と躙口の上がり口に兼用しています。
Q要家住宅離れ書院の別名は何ですか。
A貝塚市の刊行物では「聴雨軒(ちょううけん)」と紹介されています。

基本データ

名称要家住宅離れ書院(かなめけじゅうたくはなれしょいん)
所在地大阪府貝塚市畠中2丁目310他
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 27-0683
指定年平成29年(2017年)6月28日登録
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積95平方メートル
所有者個人
公開状況非公開(個人の住まい。敷地外から見えない)

参考文献

最終更新日: 2026.09.25