八木家住宅下男部屋 ― 四畳半が説明する昭和五年の家のかたち

四畳半に押入と便所。切妻の桟瓦屋根の下、建築面積13平方メートル。これが令和5年(2023年)8月7日に登録有形文化財となった八木家住宅下男部屋のすべてである。登録番号27-0885、所在は大阪府寝屋川市香里本通町。

文化庁の記録には、この建物を単なる物置から一つの資料へ変える一文が含まれている。南面の出入口は馬屋に向けて設けられたものだ、と。ここで寝起きしていた男は、馬の世話をしていた。

昭和五年の家に、誰が住んでいたか

屋敷が整えられたのは昭和5年(1930年)。施主は大阪で綿花・綿糸・絹織物業を営んだ八木市造。主屋の設計は京都帝国大学建築学科教授で聴竹居の設計者でもある藤井厚二、施工は大工棟梁の酒徳金之助が担った。木造2階建、建築面積193平方メートル。藤井が自ら設計した家具や調度品も残る、相応の規模の住宅である。

その規模の家には使用人がいて、使用人には部屋が要る。登録名称にある「下男」は、家に雇われた男性使用人を指す古い呼び方だ。文化庁の解説はさらに踏み込み、この部屋に寝泊まりしていたのが「お抱えの馬丁」であったと記す。登録時の市の資料も、馬の世話等をする下男が寝泊まりする部屋として使われていたと説明している。

移動手段について考えてみたい。昭和5年、大阪近郊の商家が敷地内で馬を飼い、その世話をする人を雇っていた。道の先には京阪電車が走っていたが、家の暮らしはまだそれを軸に組み立てられてはいなかったということになる。

下男部屋は敷地の東北部、蔵と並んで建つ。当初この二棟は一体の建物だった。どちらも真壁造で、柱を壁面に見せ、その間を竪板で埋めている。昭和16年(1941年)、蔵にあたる部分だけが戦争に備えて土蔵造の防火構造へ改められ、この部分は木造のまま残された。平成8年(1996年)にも改修の記録がある。

登録の理由

登録有形文化財と、国宝・重要文化財の指定とは別の制度である。指定は古くからある強い仕組みで、対象は限られ、現状変更には厳しい制約が伴う。登録は平成8年(1996年)の文化財保護法改正で導入された軽い仕組みで、現状変更は許可ではなく届出で足り、建物を使い続けることが前提となる。明治から昭和初期にかけての建物が、評価される前に姿を消していく状況に応じるための制度だった。

八木家住宅では4件が同時に登録された。主屋は基準(二)「造形の規範となっているもの」。下男部屋・蔵・門及び塀は基準(一)「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。

この建物について、国の記録も市の資料も同じ役割を強調している。屋敷の外郭を形成している、という点だ。蔵、門及び塀とともに敷地の縁を画し、昭和初期の住宅地の街区の姿を保っている。主屋だけが更地の真ん中に残された状態では、建築家の設計は守られても、それが置かれていた場のかたちは失われる。外郭を構成する建物を含めて登録することで、両方が残る。

もう一つ、あまり明言されない層がある。使用人のための附属屋は、屋敷が近代化されるときに真っ先に取り払われる部類の建物であり、それが消えると、その家がどう回っていたかという情報も静かに消える。馬丁、馬屋、四畳半という記載は、主屋の正面写真からは決して読み取れない社会の側の情報を、記録として留めている。

建物の読み方

構法は素直で、名称を正確に押さえておく価値がある。切妻造、桟瓦葺、真壁造で竪板張仕上。真壁造は構造材である柱を仕上げ面に見せ、その間を壁で埋める構法で、隣の蔵に用いられた大壁の考え方とは逆になる。二棟を並べて見れば、壁面に柱が出ているかいないかで、どちらが防火のために造り替えられたかが分かる。

内部は四畳半の一室、およそ7.4平方メートルに押入と便所が付く。寝床ではなく、独立した小さな住まいである。住み込みの馬丁という立場が、この家でどう扱われていたかも、そこから見えてくる。個室があり、専用の水回りがあった。

出入口が二つあることに注目したい。時代が違うからだ。当初の南面の出入口は馬屋に向いていた。屋敷の作業側である。のちに部屋を賃貸に出すにあたって、道路側に玄関が設けられた。一棟の建物に、二つの論理が重なっている。馬を中心に組まれた敷地内の動線と、通りから訪れる借家人を前提とした動線と。

建物単体ではなく、外郭全体として眺めたい。北辺の門は木造・銅板葺、間口2.0メートル。框戸の下半分を竪格子として、閉ざしきらない構えを取る。塀は東へ22メートル、竪板壁に竹一本の欄間、屋根は銅板葺。藤井は門と塀にも主屋と共通の意匠を与えた。下男部屋と蔵は、その構成を背後で閉じている。

見学について

八木家住宅は現在も個人の住宅である。見学はボランティア団体「八木邸倶楽部」が窓口となり、寝屋川市と摂南大学による調査を経て平成27年(2015年)から続いている。

同倶楽部の案内によれば、一般公開は毎月第2日曜日の10時からと13時から、各回10名、ガイド付きで50分。申込みは前月10日から20日までにウェブフォームから行い、多数の場合は抽選、21日から25日の間に結果が通知される。見学料は大人1,000円、中学生以上の学生500円で当日現金払い。小学3年生以下は入場できない。8月と年末年始は休館。10名以上の団体は第3水曜日または第3土曜日に受け付け、3か月前の1日から申込みが始まる。予約はメールのみで、電話では受け付けない。海外からの見学も受け入れており、英文リーフレットの用意がある。

見学は主屋を軸に組まれるため、下男部屋は外郭の一部として外から眺めることになるのが通例である。申込時に関心を伝え、公開条件が現在も同じかを確かめてから訪ねてほしい。

Q&A

Q「下男」とはどういう意味ですか。
A家に雇われた男性使用人を指す古い言葉で、屋外の仕事や力仕事を担いました。文化庁の記録は、ここに住んでいたのが「お抱えの馬丁」、つまり馬の世話を任された者であったと記しています。戦後の日本ではほぼ消えた家の仕組みに属する語彙です。
Q馬屋は今も残っていますか。
A登録された4件のなかに馬屋は含まれておらず、参照した資料からも現存を示す記述は見当たりません。かつての位置は、当初の南面出入口が馬屋に向けられていたという記録から推し量られています。
Q隣の蔵とは構法がどう違うのですか。
A下男部屋は真壁造で、柱が壁面に現れ、その間を竪板で埋めています。蔵は土蔵造で、土と漆喰を厚く塗り重ねて木部を包み込み、火に耐える壁としています。当初は二棟とも真壁造の一体の建物でした。
Q道路側の玄関はなぜ設けられたのですか。
A後年、部屋を賃貸に出すために設けられたと記録されています。馬屋から庭を横切って入る使用人と、公道から訪れる借家人とでは必要な動線が異なり、その違いが開口部の位置に表れています。
Qこの建物だけを目当てに訪ねる価値はありますか。
A正直なところ、単独では勧めにくいところです。見学は主屋を軸に組まれますし、13平方メートルの木造小屋を眺める時間は限られます。この建物の価値は、昭和初期の屋敷の縁を今も形づくっている、その位置にあります。

基本データ

名称八木家住宅下男部屋(やぎけじゅうたくげなんべや)
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 27-0885
登録年月日令和5年(2023年)8月7日/第105回登録
登録基準基準(一)国土の歴史的景観に寄与しているもの
員数1棟
年代昭和5年(1930年)/昭和16年・平成8年改修
構造及び形式木造平屋建、瓦葺、建築面積13平方メートル
形式・仕上切妻造桟瓦葺、真壁造竪板張仕上
内部四畳半一室、押入・便所付
当初の用途お抱えの馬丁が寝泊まりした住居
当初の構成蔵と一体の一棟として建てられた
屋敷の設計藤井厚二(1888年〜1938年)
種別住宅/建築物
所在地大阪府寝屋川市香里本通町978-7他
アクセス京阪本線 香里園駅から東へ徒歩約7分
公開状況個人住宅。八木邸倶楽部への事前申込みによる見学のみ。附属建物は外観からの見学が通例
同時登録主屋(27-0884)、蔵(27-0886)、門及び塀

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)八木家住宅下男部屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014641
国指定文化財等データベース(文化庁)八木家住宅蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014642
国指定文化財等データベース(文化庁)八木家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014640
寝屋川市の登録答申リリースを伝える報道(号外NET 寝屋川市)
https://neyagawa.goguynet.jp/2023/03/20/yagike-jutaku-tourooku-yukeibunkazai/
大阪文化財ナビ 八木市造邸
https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E5%B8%82%E9%80%A0%E9%82%B8

最終更新日: 2026.07.22