八木家住宅主屋 ― 綿商人が京都帝大教授に託した昭和五年の住まい
昭和5年(1930年)、大阪で綿花・綿糸・絹織物を扱っていた商人・八木市造は、自邸の設計を一人の大学教授に依頼した。京都帝国大学建築学科の藤井厚二である。当時の藤井は、すでに10年近くにわたって自邸を建てては住み、また建て替えるという実験を繰り返していた。気候風土に合った日本の住宅とはどういうものか。その問いに、彼は図面ではなく実物で答えようとしていた。
八木市造が手にした家は、京阪本線香里園駅の東、徒歩7分ほどの住宅地に建つ。木造2階建、瓦葺で一部を銅板葺とし、建築面積は193平方メートル。令和5年(2023年)8月7日、登録有形文化財(建造物)に登録された。登録番号は27-0884。
この敷地には、主屋のほかに蔵、下男部屋、門及び塀の計4件が同日付で登録されている。
藤井厚二という設計者
藤井厚二は明治21年(1888年)、広島県福山の造り酒屋の次男に生まれた。大正2年(1913年)に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業し、竹中工務店に帝大卒として初めて入社。大阪朝日新聞社社屋などを手がけ、7年勤めた後に退社する。欧米視察を経て、武田五一の招きにより創設まもない京都帝国大学建築学科へ赴任した。大正9年(1920年)に講師、大正15年(1926年)に教授となる。
赴任と同じ年、藤井は京都・大山崎の天王山麓に広大な土地を購入した。そこでおよそ2年ごとに自邸を建て、住み、知人に譲り、また建てる。これを5回繰り返した。5回目にあたる昭和3年(1928年)竣工の「聴竹居」は、平成29年(2017年)7月に重要文化財に指定された。昭和期の住宅としては初の指定である。同じ昭和3年には著書『日本の住宅』を刊行し、環境工学の視点から住宅を論じた。
八木邸が建ったのは、その聴竹居の2年後にあたる。施工にあたった大工棟梁は酒徳金之助。つまりこの家は、実験そのものではない。実験によって得られた答えを、資力のある施主のもとで一軒の住宅として実現した仕事である。
登録の理由と、登録有形文化財という制度
日本の建造物保護には性格の異なる二つの仕組みがあり、この住宅を理解するうえで区別しておきたい。
国宝・重要文化財の「指定」は古くからある重い制度で、現状変更に強い法的制約が伴う。対象となる建物の数も限られる。これに対し登録有形文化財の「登録」は、平成8年(1996年)の文化財保護法改正で設けられた新しい仕組みで、意図的に軽い設計になっている。所有者は変更にあたって許可ではなく届出を行えばよく、住み続けながら手を入れることができる。明治・大正・昭和初期の建物が評価される間もなく失われていく状況を受けて生まれた制度だった。
登録には公表された基準がある。八木家住宅主屋は基準(二)「造形の規範となっているもの」に該当するとされた。一方、蔵・下男部屋・門及び塀の3件は基準(一)「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。この振り分けは読み取る価値がある。主屋は建築それ自体の造形として、附属建物は昭和初期の住宅地の姿を留めるものとして、それぞれ別の理由で評価されたということだ。
文化庁データベースの解説文は、この主屋について踏み込んだ書き方をしている。和風の要素を幾何学的な構成と椅子式の生活様式に合わせて再構成した意匠、通気筒による空気循環への配慮を挙げ、聴竹居で完成をみた藤井の環境共生住宅の特徴を「極めて良い状態で残す」と評価する。登録時の市の資料は、国のデータベースにない情報も添えている。藤井が設計した家具や調度品が非常に良い状態で残っていることだ。現存する藤井設計の住宅のなかでも、当初の室内什器がこれだけまとまって残る例は多くない。研究者にとっての価値はそこにある。
改修の記録は昭和34年頃と昭和58年(1983年)の2度。いずれも評価を損なうものとはされていない。
見どころ
まず敷地の北辺、道路に面した外側から見たい。門は木造・銅板葺で間口2.0メートル。木柱の頂部に扁平な兜巾金物をかぶせ、門扉は框戸として下半分を竪格子とする。閉ざすのではなく、内と外を緩やかに仕切る構えである。塀は東へ22メートル続き、竪板壁に竹一本の欄間、屋根は銅板葺。主屋と意匠を揃えた近代和風で、門前に立つと敷地全体をひとつの構成として読むことができる。
内部で注目したいのは、空気の流れだ。藤井の住宅には、低い位置から涼しい空気を取り込み、暖まった空気を高い位置から逃がすための仕掛けが随所に組み込まれている。昭和5年の家庭に冷房はない。その条件のもとで、建築の側から解こうとした結果が通気筒である。ガイドの説明も、装飾よりこうした開口部に向けられることが多い。
次に、座り方の扱い。日本の住空間は床に座ることを前提とし、西洋の空間は椅子を前提とする。当時よく見られたのは、和風の家に洋間を一室だけ付け足す折衷だった。藤井はその手を取らなかった。椅子の高さに合わせて寸法・視線・造作を組み直し、それでいて和の感覚を失わない室をつくっている。家具はその思考の一部であり、だからこそ残っていることに意味がある。
三つめは造作そのもの。建具の納まり、造付けの収納、同じモチーフが寸法を変えて繰り返される呼応。藤井は小さな金物にまで設計の手を及ばせた。
見学について
八木邸は現役の個人住宅であり、博物館ではない。見学は「八木邸倶楽部」というボランティア団体が窓口となっている。寝屋川市と摂南大学が地域資源として調査・研究を進めた経緯があり、平成27年(2015年)5月から一般公開が始まった。
同倶楽部が公開している案内によれば、一般公開は毎月第2日曜日、10時からと13時からの2回。各回10名、ガイド付きで所要50分。申込みは前月10日から20日までの11日間にウェブの専用フォームから行い、応募多数の場合は抽選、21日から25日の間に結果が届く。見学料は大人1,000円、中学生以上の学生500円で、当日現金払い。小学3年生以下は入場できない。8月と年末年始は休み。10名以上の団体見学は第3水曜日または第3土曜日に別枠で受け付け、3か月前の1日から申込みが始まる。
海外からの見学も受け入れており、希望すれば英文リーフレットが用意される。予約は電話では受け付けず、メールのみ。室内撮影を希望する場合は申込フォームでの申告が必要になる。
これらの条件はこれまでも変更されてきたし、今後も変わりうる。旅程に組み込む前に、必ず最新の案内を確認してほしい。
Q&A
- 新選組ゆかりの八木邸とは別の建物ですか。
- 別の建物です。新選組が最初の屯所を置いた八木邸は京都市中京区壬生にあり、こちらは大阪府寝屋川市に建つ昭和5年の住宅です。名字が同じというだけで、両者に関係はありません。
- 予約なしで訪ねることはできますか。
- できません。個人の住宅であり、八木邸倶楽部への事前申込みによる見学会に限られます。月あたりの公開日も回数も限られ、応募が多い場合は抽選になります。訪問を考えるなら2か月前から準備するのが現実的です。
- 登録有形文化財と重要文化財は何が違うのですか。
- 登録は平成8年に始まった軽い制度で、現状変更は許可ではなく届出で足ります。住み続けながら活用できることを前提としています。重要文化財の指定はこれよりはるかに強い規制を伴い、対象数も限られます。藤井の自邸である聴竹居は重要文化財に指定されています。
- 聴竹居も併せて見るべきでしょうか。
- 藤井厚二の仕事に関心があるなら勧めたい組み合わせです。聴竹居は京都府大山崎町にあり、香里園から電車でおよそ1時間。八木邸の2年前に完成した藤井5回目の自邸です。実験と、その成果を施主のために形にした住宅を続けて見ると、双方の理解が深まります。聴竹居も事前予約制です。
- 周辺に関連する文化財はありますか。
- 寝屋川市内には、平成9年に登録された旧聖母女学院校舎(現・香里ヌヴェール学院内)と、平池家住宅の主屋・長屋門があります。旧聖母女学院校舎は昭和7年の建築で、白い壁と直角を基調とした当時の日本のモダンデザインを示すもの。木造で応じた藤井の手法との対比が見えてきます。
基本データ
| 名称 | 八木家住宅主屋(やぎけじゅうたくおもや) |
|---|---|
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 27-0884 |
| 登録年月日 | 令和5年(2023年)8月7日/第105回登録 |
| 登録基準 | 基準(二)造形の規範となっているもの |
| 員数 | 1棟 |
| 年代 | 昭和5年(1930年)/昭和34年頃・昭和58年改修 |
| 構造及び形式 | 木造2階建、瓦葺一部銅板葺、建築面積193平方メートル |
| 設計 | 藤井厚二(1888年〜1938年) |
| 大工棟梁 | 酒徳金之助 |
| 当初の施主 | 八木市造(大阪で綿花・綿糸・絹織物業を営む) |
| 種別 | 住宅/建築物 |
| 所在地 | 大阪府寝屋川市香里本通町978-7他 |
| アクセス | 京阪本線 香里園駅から東へ徒歩約7分 |
| 公開状況 | 個人住宅。八木邸倶楽部への事前申込みによるガイド付き見学のみ(日程・条件は変更の可能性あり) |
| 同時登録 | 蔵(27-0886)、下男部屋(27-0885)、門及び塀 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)八木家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014640
- 文化遺産オンライン 八木家住宅主屋
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/579502
- 寝屋川市の登録答申リリースを伝える報道(号外NET 寝屋川市)
- https://neyagawa.goguynet.jp/2023/03/20/yagike-jutaku-tourooku-yukeibunkazai/
- 竹中工務店 設計部の歴史 藤井厚二
- https://www.takenaka.co.jp/design/history/01/index.html
最終更新日: 2026.07.22