八木家住宅門及び塀 ― 昭和五年の屋敷が通りに向けた顔

間口2.0メートルの門と、道路沿いに東へ22メートル延びる板塀。これが寝屋川市香里園の八木家住宅で4件目に登録された対象のすべてであり、4件のうち唯一、文化庁の分類で「建築物」ではなく「その他工作物」とされている。

そして、実際に目にする機会がいちばん多いのもこの部分である。背後の主屋は個人の住宅で、公開の機会は限られる。一方、通りを歩く者は誰でもこの境界を読むことができる。昭和5年(1930年)にこの屋敷を設計した藤井厚二は、おそらくそのことを織り込んでいた。

登録は令和5年(2023年)8月7日、登録番号27-0887。主屋・蔵・下男部屋と同日である。平成28年(2016年)に改修の記録がある。

屋敷とその設計者

施主は大阪で綿花・綿糸・絹織物業を営んだ八木市造。竣工は昭和5年、大工棟梁は酒徳金之助。設計した藤井厚二(1888年〜1938年)は京都帝国大学建築学科で教鞭を執り、それまでの10年ほどを京都・大山崎で自邸を5回建て替えるという実験に費やしていた。5回目にあたる昭和3年(1928年)竣工の聴竹居は、平成29年(2017年)に重要文化財となっている。

昭和5年当時、香里園は新しい土地だった。京阪電気鉄道が大正末から昭和初めにかけて駅の東側を住宅地として造成し、八木家の敷地もその区画のなかにある。つまり藤井が設計した境界は、できたばかりの通りに向き合うものだった。

名称について一言添えておきたい。日本には「八木家住宅」と呼ばれる建物が他にもある。ひとつは京都市壬生にある新選組最初の屯所。もうひとつは同じ大阪府の河内長野市三日市町に建つ商家で、こちらも国の登録有形文化財である。いずれもこの屋敷とは無関係の別家である。

門と塀が登録された理由

登録は、日本の建造物保護制度のうち軽いほうの仕組みである。国宝・重要文化財の指定は古くからある制度で、現状変更に強い制約を課し、対象も限られる。これに対して登録は平成8年(1996年)の文化財保護法改正で導入され、変更は許可ではなく届出で足り、使いながら手入れができることを前提とする。明治から昭和初期の建物が評価される前に失われていく状況に応じるための制度であり、指定制度がほとんど扱ってこなかった塀・門・その他の工作物にも手が届く。

八木家住宅の4件のうち、主屋は基準(二)「造形の規範となっているもの」。門及び塀は、蔵・下男部屋とともに基準(一)「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で評価された。

文化庁の解説文は、その理由を一語で示している。主屋と意匠を揃える「近代和風」であること。登録時の市の資料は、敷地正面側の道路沿いに面し、通りの景観を整えていると補足する。

この登録の実際的な意味は見落とされやすい。境界がコンクリートブロック塀とアルミ門扉に替わった登録住宅は、建築を保っても住所を失う。建物と通りの関係、つまり通行人が経験するもののほとんどは、いちばん安く取り替えられ、単独では保存の理由を立てにくい部分に宿っている。門と塀を登録対象に含めることは、そこに決着をつける措置である。

通りから何を見るか

敷地北辺の道路に立つ。門は主屋の正面に位置し、そこから塀が東へ延びる。

まず門柱の頭。木柱の上端には扁平な兜巾金物が被せられている。兜巾とは山伏がかぶる小さな頭巾のことで、その形に似た金物を指す。伝統的な納まりだが、藤井の扱いは仰々しくない。柱の木口に水が回るのを防ぐという機能を果たしつつ、輪郭が意匠として読める程度に整えてある。

次に門扉。框戸で、下半分は板ではなく竪格子とする。文化庁の記録はこの効果に触れ、内と外を「緩やかに仕切る」と書いている。訪れた者からはアプローチが透けて見え、家の側からも外が見える。新しい家が並ぶ新しい通りにあって、これは私生活の守り方についての一つの立場である。のちに標準となった目隠しの塀とは考え方が異なる。

塀を東へたどる。壁は竪板張り。その上に欄間が通るが、部材は竹一本。それだけである。屋根は銅板葺で、主屋の屋根に部分的に用いられた銅板と揃う。22メートル、通りの線を保っている。

この竹一本には立ち止まる価値がある。欄間は本来、室内で部屋と部屋の間に設けられる装飾的な部材で、彫刻を施したものも多い。藤井はそれを屋外の塀に持ち出し、一本の竹まで削ぎ落とした。見慣れた要素を幾何に還元し、それでも和として読めるようにする。彼の手つきがここに出ている。

なお銅は経年で色を変える。金属光沢から褐色を経て緑青へ。今日目にする色は、昭和5年の色ではない。

見学について

門と塀は公道に面しており、京阪本線香里園駅から東へ徒歩7分ほど。外からならいつでも見ることができる。ただしここは住宅地の現役の個人宅である。歩道から離れず、声を落とし、敷地内に向けてカメラを向けないこと。

境界の内側に入りたい場合、見学はボランティア団体「八木邸倶楽部」が受け付けている。寝屋川市と摂南大学の調査を経て、平成27年(2015年)から一般公開が続く。同倶楽部の案内によれば、公開は毎月第2日曜日の10時からと13時から、各回10名、ガイド付きで50分。申込みは前月10日から20日までウェブフォームから行い、多数の場合は抽選。見学料は大人1,000円、中学生以上の学生500円で当日現金払い。小学3年生以下は入場できない。8月と年末年始は休み。10名以上の団体は第3水曜日または第3土曜日。予約はメールのみ。海外からの見学も受け入れ、英文リーフレットの用意がある。条件は改定されてきた経緯があるため、訪問前に確認してほしい。

Q&A

Q門と塀がなぜ1件として登録されているのですか。
A敷地北辺に沿って一続きの境界として設計・施工され、ひとつの構成として機能しているためです。登録簿では27-0887という一つの番号で扱われ、種別も建築物ではなく「その他工作物」とされています。
Q予約なしで見られますか。
A見られます。門も塀も公道に面しており、外からの見学に申込みは要りません。敷地内に入る場合のみ、八木邸倶楽部への事前申込みが必要です。
Q「近代和風」とはどういう意味ですか。
A明治以降の建築で、日本の伝統的な材料や技法を保ちながら、近代の設計思考のもとで構成し直したものを指す言い方です。この塀では、装飾的な欄間を竹一本にまで還元した点や、在来の造作を幾何学的に扱う点にそれが表れています。
Q新選組ゆかりの八木邸と同じですか。
A違います。新選組の屯所となった八木邸は京都市壬生にあります。さらに同じ大阪府の河内長野市三日市町にも、木綿問屋を営んだ商家の「八木家住宅」があり、こちらも別に登録されています。三者は別の家、別の建物です。
Q平成28年の改修では何が行われたのですか。
A文化庁の記録は平成28年の改修を記すのみで、内容までは示していません。道路に面した銅板屋根と板張りは定期的な手入れを要する部分であるため、通常の維持修理と見るのが自然ですが、参照した資料からは確認できませんでした。

基本データ

名称八木家住宅門及び塀(やぎけじゅうたくもんおよびへい)
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 27-0887
登録年月日令和5年(2023年)8月7日/第105回登録
登録基準基準(一)国土の歴史的景観に寄与しているもの
員数1棟
年代昭和5年(1930年)/平成28年改修
木造、銅板葺、間口2.0メートル。木柱に扁平な兜巾金物、框戸の下半を竪格子とする
木造、銅板葺、総延長22メートル。竪板壁、竹一本の欄間
種別住宅/その他工作物
屋敷の設計藤井厚二(1888年〜1938年)
所在地大阪府寝屋川市香里本通町978-7他
アクセス京阪本線 香里園駅から東へ徒歩約7分
公開状況公道から常時外観見学可。敷地内は八木邸倶楽部への事前申込みによる見学のみ
同時登録主屋(27-0884)、下男部屋(27-0885)、蔵(27-0886)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)八木家住宅門及び塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014643
国指定文化財等データベース(文化庁)八木家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014640
文化遺産オンライン 八木家住宅主屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/579502
寝屋川市の登録答申リリースを伝える報道(号外NET 寝屋川市)
https://neyagawa.goguynet.jp/2023/03/20/yagike-jutaku-tourooku-yukeibunkazai/
大阪文化財ナビ 八木市造邸
https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E5%B8%82%E9%80%A0%E9%82%B8

最終更新日: 2026.07.22