昭和二十一年築、三十四年移築の煎茶室

佃家煎茶室主屋(つくだけせんちゃしつしゅおく、通称・一茶庵宗家九如艸堂)は、大阪市中央区大手通にある木造平屋建の煎茶室で、昭和21年(1946年)の建築、昭和34年(1959年)に現在地へ移築され、平成27年(2015年)3月26日に国の登録有形文化財(建造物)となった。

国指定文化財等データベースの記載は、木造平屋建、瓦葺、建築面積93平方メートル、員数1棟。数字だけを見れば小さな建物である。ただし平面が独特で、十一畳半と七畳半の茶室二室に廊下、そして椅子に腰かける立礼席が組み合わされている。抹茶の茶室の構成とは前提が違う。

煎茶は急須で葉茶を淹れ、小ぶりの碗に注ぎ分ける。その周囲に育った喫茶の文化は文人茶とも呼ばれ、江戸後期に知識層へ広がった中国趣味を土壌としている。侘びを軸とする茶の湯とは別系統で、席には中国の書画が掛かり、文房具や奇石が並び、詩文を語りながら茶を重ねる。建築はその作法に合わせて組み立てられている。

佃家がこの地に本拠を置いたのは大正7年(1918年)。十三代・佃一茶(号は昇玉、1882〜1967年)が一條實孝公爵の勧めで、良甫以来の大阪の故家へ移った。家の由緒はさらに古く、室町末期に連歌と立て花を嗜んだ一心を祖とし、江戸期には中山道板鼻宿で脇本陣を営んでいる。昇玉は明治23年(1890年)に明治天皇の御前で手前を行い、明治30年(1897年)には有栖川宮威仁親王から「一茶庵」の名を賜った。

登録の理由と、煎茶室という建築

登録有形文化財は、国宝や重要文化財の「指定」とは別の制度である。平成8年(1996年)に始まった仕組みで、所有者が建物を使い続けながら保存できるよう規制を緩やかに設計してある。届出制を基本とし、修理設計の指導や税制上の措置で支える。登録物件の多くは私有で、現役の建物として日々使われている。この主屋もそのひとつだ。

登録番号は27-0611、第80回登録。適用された登録基準は「造形の規範となっているもの」である。登録基準は三種あり、ほかに「国土の歴史的景観に寄与しているもの」「再現することが容易でないもの」が置かれている。造形の規範という基準は、単に古いこと、地域で見慣れていることではなく、その建築類型のなかで手本になる出来映えを問うものだ。

文化庁の解説はその理由を短く示している。丸太、面皮柱、竹の良材、古木といった数寄屋の常道を基調としつつ、要所に中国風の造作と草木をかたどった意匠を差し込む。数寄屋そのものは京阪の町に数多い。煎茶の要求に合わせて組み替えられた数寄屋、つまり大幅の中国書画を掛け、椅子席を備え、文房飾りを想定した数寄屋となると例は限られ、しかも大都市の市街地に残っているものはさらに少ない。

資料間の食い違いを一点記しておく。大阪府の文化財データベース(大阪文化財ナビ)は各室について「昭和20年改築」と説明し、幽篁・梅溪の二室には文化年間(1804〜1818年)の材が一部残るとする。一方、文化庁データベースは建築を昭和21年、移築を昭和34年とする。古材を再用した戦後の改築を経て移築されたと読むのが自然だが、両者の関係を整理した公刊資料は見当たらない。

三室を読む ― 幽篁・梅溪・蘭風

十一畳半の広間について、文化庁データベースは室名を「霊篁」と記す。これに対し大阪文化財ナビは「幽篁(ゆうこう)」とし、竹林の意と説明する。幽篁は唐詩に用例のある語で、竹を主題とするこの室にはこちらの表記が合う。天窓が切られ、月光が畳まで届く。正面の床の間の脇には弦を張らない七絃琴が掛かる。奏でるためではなく、音を解する者の心象として置かれる中国文人の約束事である。

七畳半の「梅溪(ばいけい)」は、梅の生える谷の意。丸窓に梅の細工が入り、床柱には翌檜の奇木を立てる。まっすぐで通った材ではなく、癖のある一本を選ぶところが数寄屋の勘所だ。煎茶会では主にこの室が茶席になる。

立礼席「蘭風(らんぷう)」は客が椅子に掛ける部屋で、茶寮とも呼ばれる。床の間が高く大きいのは、煎茶席で掛ける大幅の中国書画を納めるためで、背面は白い漆喰とする。壁面にはインド更紗を貼り、壁そのものを蘭のかたちに切り抜く。染織を壁に貼る手法は煎茶室以外の日本の住宅建築ではほとんど見かけない。

これらをつなぐ細い室が「鳥道(ちょうどう)」。獣道よりも狭い道という意味の名で、離房ともいう。土蔵の「獨樂」で茶を楽しむ際にはここで湯を沸かし、淹れた茶を運ぶ。庭に通じており、玄関として使われることもある。

拝観について実情を書いておく。この建物は公開されていない。大阪文化財ナビは見学不可と明記しており、現在も一茶庵の家元稽古場として月ごとの決まった曜日に使われている。中に入る道筋は二つで、稽古に入門するか、文化財団体などが不定期に開く見学会に参加するか。見学会は過去に開催実績があり、そのつど告知される。撮影の可否は公表されていないため、参加する場合は当日の主催者の指示に従うことになる。

場所はわかりやすい。大手通1-1は谷町筋のすぐ西で、建物は通りに南面する。大阪メトロ谷町線・中央線の谷町四丁目駅から徒歩約5分、京阪本線と大阪メトロ谷町線の天満橋駅から徒歩約7分。東へ歩けば大阪城公園に出るので、外観と門構えを眺めるだけであっても、城の見学に組み込める距離にある。

Q&A

Q佃家煎茶室主屋は見学できますか。拝観料はかかりますか。
A公開されていません。大阪文化財ナビは見学不可と記載しています。煎茶・一茶庵の宗家稽古場として現役で使われているため、内部に入る方法は稽古への入門か、文化財団体などが不定期に開く見学会への参加に限られます。過去の見学会は参加費制で、常設の拝観料はありません。
Q佃家煎茶室主屋は、抹茶の茶室とどこが違うのですか。
A煎茶は葉茶を急須で淹れる喫茶で、席の趣味は中国の文人文化に寄ります。建築上の違いは具体的で、大幅の中国書画を掛けるための高く大きな床の間、椅子に腰かける立礼席、中国風や草木形の造作、壁に貼られたインド更紗などが挙がります。いずれも侘び茶の茶室には見られない要素です。
Q佃家煎茶室主屋はいつ建てられ、いつ登録されたのですか。
A文化庁の国指定文化財等データベースは、建築を昭和21年(1946年)、現在地への移築を昭和34年(1959年)としています。登録有形文化財としての登録は平成27年(2015年)3月26日、登録番号27-0611、第80回登録です。
Q佃家煎茶室主屋への行き方を教えてください。
A所在地は大阪市中央区大手通1-1で、谷町筋から大手通を西に入ってすぐ、通りに南面しています。大阪メトロ谷町線・中央線の谷町四丁目駅から徒歩約5分、京阪本線と大阪メトロ谷町線の天満橋駅から徒歩約7分です。
Q佃家煎茶室主屋は国宝や重要文化財ですか。
Aいずれでもありません。登録有形文化財(建造物)です。指定制度とは別に平成8年(1996年)に設けられた枠組みで、所有者が使い続けながら保存することを前提に規制を緩くしています。適用された登録基準は「造形の規範となっているもの」です。
Q佃家煎茶室主屋と同じ敷地に、ほかの登録文化財はありますか。
Aあります。主屋の南西に建つ嘉永元年(1848年)の土蔵が「佃家煎茶室土蔵」として同じ日に登録されており、登録番号は27-0612です。昭和16年(1941年)に煎茶室「獨樂」へ改修されています。

基本情報

名称佃家煎茶室主屋(つくだけせんちゃしつしゅおく)/通称・一茶庵宗家九如艸堂
所在地大阪府大阪市中央区大手通1-1
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号27-0611 登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年平成27年(2015年)3月26日登録(第80回登録)
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積93平方メートル
所有者個人(一茶庵宗家・佃家) ※国指定文化財等データベースの所有者欄は空欄
公開状況非公開(見学不可)。一茶庵の宗家稽古場として使用。見学会は不定期に告知

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 佃家煎茶室主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00010486
文化遺産オンライン — 佃家煎茶室主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/266842
大阪文化財ナビ — 佃家煎茶室主屋(一茶庵宗家九如艸堂)
https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/佃家煎茶室主屋
一茶庵公式サイト — 一茶庵とは?
https://issa-an.com/what-is-issa-an-j/
一茶庵公式サイト — 宗家の直稽古場
https://issa-an.com/school-j/

最終更新日: 2026.08.19