両替商の蔵が遺した地下の穴蔵
大阪府貝塚市の旧市街、紀州街道から一筋西へ入った路地に、漆喰で塗り固められた白壁の蔵が並ぶ。そのうちの一棟が、江戸時代中期からこの地に居を構えた吉村家の道具蔵である。屋号を和泉屋・泉久といい、油屋と両替商を営んだ家だ。蔵そのものは間口の狭い質素な構えだが、床下を石積みで高く上げ、その地下に穴蔵を設けている。商いに欠かせない帳簿や金子を守るための仕掛けで、家業のかたちがそのまま建物に刻まれている。
規模は桁行四間、梁間二間。建築面積はおよそ三十九平方メートルにすぎない。この小ささこそが、長く遺った理由でもある。働く蔵は人目を引かず、主屋の座敷が幾度も改造される間も、ほとんど手を加えられずに残された。
建物の姿
この建物は道具蔵、すなわち家財や商売道具をしまうための土蔵である。吉村家住宅では、平成十五年(二〇〇三年)に主屋・道具蔵・衣装蔵の三棟がまとめて登録された。道具蔵は木組みの上に厚い土壁を塗り重ねた土蔵造で、火や盗難に強い構法として古くから重んじられてきた。二階建てで、屋根は切妻造、重厚な本瓦で葺かれている。
建てられたのは江戸末期、おおよそ一八三〇年から一八六七年の間とされる。蔵は増築された主屋の座敷に接しているが、入口はそちらではなく、西側の妻、中庭に面した側にとられ、腕木で支える庇が差し掛けられている。床下を石積みで高く立ち上げ、その下の地下に穴蔵を構える点が、登録の解説でも取り立てて記されている特徴である。
「登録」と「指定」の違い
吉村家住宅道具蔵は、重要文化財や国宝のような「指定」ではなく、「登録有形文化財」にあたる。両者は性格が異なる。古くからある指定の制度は、国として価値の高いものを選び、保存のために強い規制をかける。これに対し、平成八年(一九九六年)に始まった登録の制度は、十九世紀から二十世紀にかけて各地の町並みをかたちづくってきた数多くの建物を、ゆるやかに守ることをねらいとする。所有者は建物を使い続け、暮らしに合わせて手を入れる自由を保ちつつ、大きな改変の前には届け出を行う。
道具蔵が国の登録原簿に載ったのは平成十五年七月一日。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。この一文が、建物の読み方を示している。ここでの価値は、一棟の傑作という点にあるのではない。この白壁と瓦の連なり、そして周囲に残る十数軒の登録町家が一体となって、四百年続いた寺内町の手触りを今に留めているところにある。
壁の奥にいた一族
吉村家は屋号を和泉屋・泉久と称し、代々「久」の字を含む名を名乗った。灯火用の油を商い、両替と金融を手がけた家であり、帳簿や金銀、貴重品を安全に納める場所を必要とする生業であった。家に残る文政三年(一八二〇年)の「諸用記」によれば、町年寄の格式を持ち、西之町の中老役を務めていたことがわかる。石積みの基礎を持ち地下に穴蔵を備えた蔵は、偶然そうなったのではなく、商いのありようが建物の形を導いたものといえる。
主屋は紀州街道から一筋西へ入った路地の交差点北東に建ち、西を向く。右手の付属屋からその奥の座敷へと続き、座敷の両脇には土蔵が並ぶ。北側の蔵の前には二間四方の中庭が設けられている。主屋は内外ともに改造が多いものの、桁行五間半、梁間五間の骨格を持ち、十八世紀中頃の建築と考えられている。
蔵と、その周りの町
はじめに断っておきたい。吉村家住宅は個人の住まいであり、内部は公開されていない。眺められるのは外観と、町並みの中での姿である。もっとも、それこそが登録の主眼でもある。路地に立ち、漆喰の妻壁、瓦屋根、そして地下の穴蔵を予感させる石積みの高い基礎を、かつての隣人がそうしたように読み取ってほしい。
真の見どころは、この一帯そのものにある。貝塚は願泉寺、地元で貝塚御坊と呼ばれる寺を核として形づくられた寺内町として発展した。町は地頭であった卜半家のもとで治められ、街路は近世の町割りをほぼそのまま残している。十三軒の町家が国の登録文化財となっており、ゆっくり歩けば、一つの古い表構えから次へと自然に足が向く。近くには商家を整備して公開する貝塚寺内町まちや館があり、町の中心には重要文化財である願泉寺本堂が建っている。
Q&A
- 吉村家の蔵の中に入れますか。
- 入れません。主屋も蔵も個人の住まいで、内部は非公開です。旧市街を歩きながら、路地から外観を眺めることはできます。
- 地下の穴蔵とは何ですか。見学できますか。
- 穴蔵は蔵の床下に掘り下げた地下の貯蔵室で、両替商を営んだ家にふさわしい設えです。登録された建物の一部ですが、個人宅の地下にあるため、見学はできません。
- ここでいう「登録」とはどういう意味ですか。
- 登録有形文化財のことで、平成八年(一九九六年)に設けられた区分です。町並みの一部として残すべき歴史的な建物を対象とし、重要文化財や国宝の「指定」よりもゆるやかな保護のしくみです。
- 貝塚の旧市街へはどう行きますか。
- 大阪と和歌山を結ぶ南海本線の貝塚駅から徒歩圏内です。路地は歩いてめぐるのが向いています。
- 周辺で他に見るべきものはありますか。
- 町の起こりとなった願泉寺、商家を整備して公開する貝塚寺内町まちや館が近くにあります。周囲の路地には他にも十二軒の登録町家が並びます。
基本情報
| 名称 | 吉村家住宅道具蔵(よしむらけじゅうたくどうぐぐら) |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府貝塚市西町12-7 |
| 区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成十五年(二〇〇三年)七月一日/登録番号27-0247/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 |
| 時代 | 江戸末期(およそ1830〜1867年) |
| 員数・構造 | 1棟。土蔵造二階建、切妻造、本瓦葺、建築面積約39㎡。桁行四間・梁間二間、石積みで高く上げた床下に穴蔵を備える。 |
| 所有者 | 個人(主屋・衣装蔵とあわせ三棟で登録) |
| 公開状況 | 外観は路地から見学可能。内部は非公開。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「吉村家住宅道具蔵」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003454
- 一般社団法人貝塚寺内町保存活用事業団「寺内町に残る町家」
- https://jinaicho.org/machiya/
最終更新日: 2026.06.20