貝塚寺内町に残る、両替商・吉村家の衣装蔵

南海本線の貝塚駅から内陸へ数分歩くと、街路の様子が少し変わる。道がわずかに折れ、低い土塀の先に格子戸が現れ、瓦屋根の上に白い妻壁が立ちあがる。かつて自らを治めた町の名残である。その町の内側で暮らしを営んだのが、屋号を和泉屋といった吉村家だった。

主屋の奥に、観光客がふだん足を止めることのない、小さく頑丈な建物が建っている。家の衣服をしまった衣装蔵である。厚い土壁を白漆喰で仕上げた土蔵造の二階建、屋根は本瓦葺の切妻、建築面積はおよそ44平方メートル。江戸時代も末期、1830年代から60年代のどこかで建てられ、以来ずっとこの場所に立ち続けてきた。

寺でも城でもない。むしろそこにこの建物の意味がある。裕福とはいえ一商家がどのように身代を守り、働く町がどのように形を保っていたのか。それを今に伝えるのが、こうした蔵である。

和泉屋・吉村家という商家

吉村家が貝塚寺内に居を構えたのは江戸時代の中頃にさかのぼる。屋号は和泉屋、泉久とも記し、代々の当主は名前に「久」の字を継いだ。生業は油と金融で、油屋を営むかたわら両替商を勤めた。両替商とは、周囲の商人にとっては小さな私設の銀行のような存在である。

家に伝わる文政三年(1820)の「諸用記」を見ると、この家がただ羽振りのよい店ではなかったことがわかる。吉村家は町年寄の格式を持ち、町の西側にあたる西之町の中老役を勤めていた。住民自治の町にあって、これは実際の権限を伴う立場だった。地味なたたずまいの衣装蔵は、町の運営に携わった家の蔵なのである。

なぜ蔵が文化財なのか

吉村家住宅は、平成15年(2003)7月1日に国の登録有形文化財となった。主屋、道具蔵、そしてこの衣装蔵の三棟が、まとめて登録されている。国宝や重要文化財と違い、登録有形文化財は何より「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として評価される。吉村家の建物が登録された基準も、これにあたる。

衣装蔵が見どころとなるのは、建築史をたどる者がすぐに気づく一点による。貝塚の町家では、客をもてなす座敷は家の上手側の背後に増築されるのが通例だった。ところが吉村家はその逆をいく。幕末になって、下手にあたる南側へ座敷を継ぎ足したのである。この珍しい増築座敷は、意匠の優秀さでも知られる。衣装蔵は、その新しい座敷部の南端に接続するかたちで建てられた。

蔵の造りを見れば、その理屈が読み取れる。入口は北側の妻に開き、茶室の南を走る廊下に直接つながる。西側には、座敷で使う便所が庇でひと回り張り出している。桁行四間、梁間二間半、およそ七メートル四方に近い比較的大きな蔵で、しまうべきものを多く抱えた家の規模に見合っている。

前を通るとき、何を見るか

この種の蔵、すなわち土蔵は、内へ向かって閉じた建物である。壁は木ではなく土でできている。竹で組んだ下地に粘土を幾重にも塗り重ね、厚みが三十センチを超えることもある壁を、白漆喰でなめらかに仕上げる。狙いは火である。木造家屋が密集する町で、家の衣類や帳簿、家財を、炎が容易には届かない箱の中に収めた。

路地からは、黒瓦の切妻の下に立つ白い塊として蔵が目に入る。その一区画でもっとも重く、もっとも長持ちする建物だ。屋敷全体のなかでの位置を思い描くと、いっそうよくわかる。主屋は西を向いて通りに面し、その右手から付属屋が奥の座敷へと延びる。奥座敷の両脇を土蔵が固め、北側の蔵の前には二間四方の中庭が開いて、間口の狭い深い敷地の奥に光と風を導いている。

この中庭が、裕福な商家の家のありようをよく語っている。通りに向けては、飾り気のない働く顔を見せる。茶室、手の込んだ座敷、よく手入れされた小さな庭といった洗練は、家族と客人のために、内へとしまわれていた。

寺内町を歩く

吉村家住宅は、それが建つ町を知ると、ぐっと理解しやすくなる。貝塚は、地元で貝塚御坊と呼ばれ「ぼっかんさん」として親しまれる願泉寺を核に発達した寺内町である。天正11年(1583)から13年(1585)までのおよそ二年余り、本願寺第十一世の顕如がこの地に座を移し、この海辺の町が浄土真宗の本山となった時期があった。願泉寺は今日、重要文化財に指定され、江戸期の本堂や鐘楼が古い街区の中心に残る。

江戸時代を通じて、町は卜半家のもとで諸役免許の地として営まれ、大坂・堺から紀州へ南下する紀州街道がその只中を貫いて商いを支えた。吉村家はこの街道から西へ一筋入った、西之町の交差点の北東に建つ。あたりを歩けば、石畳の小路、格子の構え、白い蔵の壁が街区のあちこちに散らばり、その幾つかは吉村家と同じく登録文化財となっている。

町は祭りに古いリズムを保っている。毎年七月、海の日の前の週末には、感田神社の貝塚太鼓台祭りが立つ。三百年近く続く、泉州でもっとも古い太鼓台の祭りである。七つの町が太鼓台を担ぎ出し、そのなかには西町も加わって、「ベーラ ベーラ べラショッショッ」の掛け声とともに町を練る。十月になれば秋のだんじりが街角を駆け、この地方の名物であるやりまわしを見せる。すぐ近くで知られる岸和田に比べ、人出はずっと穏やかだ。

Q&A

Q衣装蔵の中を見学できますか。
Aいいえ。吉村家住宅は個人が所有する住まいであり、博物館ではありません。内部は通常公開されていません。建物は、寺内町を歩く道すがら、公道から外観を眺めて味わうのがよいでしょう。臨時の公開や最新情報は、駅近くの貝塚の観光案内所でお尋ねください。
Q日本初の民家指定で有名な「吉村家住宅」と同じものですか。
A別の建物です。混同しやすいのですが、有名なのは羽曳野市の吉村家住宅で、茅葺の大和棟をもつ大庄屋の農家であり、重要文化財に指定されています。こちらの貝塚の吉村家は、それとは無関係な商家の町家で、登録有形文化財です。
Q行き方を教えてください。
A南海本線の貝塚駅で降りると、内陸へ数分歩いたところから寺内町が始まります。吉村家住宅は、旧紀州街道のすぐ西、西之町の一画にあります。貝塚駅は、水間鉄道の起点でもあります。
Q「衣装蔵」とは何ですか。
A衣装蔵は、衣類や織物をしまうための蔵です。裕福な家では、道具や品物を入れる蔵と衣類の蔵というように、用途ごとに蔵を分けて持つことがありました。いずれも、木造の町をたびたび襲った火事から中身を守る、耐火性の土の蔵です。
Q訪ねるのに良い時期は。
A町並みは一年を通して見ごたえがありますが、町がもっとも活気づくのは七月の太鼓台祭りと十月のだんじりです。春には、古い町家をめぐる雛めぐりが催され、いくつかの内部が公開されることもあります。

Basic Information

名称吉村家住宅衣装蔵(よしむらけじゅうたくいしょうぐら)
所在地大阪府貝塚市西町12-7
指定区分登録有形文化財(建造物) 平成15年(2003)7月1日登録
員数1棟(主屋・道具蔵とともに登録)
時代江戸時代末期(1830〜1867年)
構造土蔵造二階建、切妻造、本瓦葺/建築面積 約44㎡/桁行4間・梁間2間半
所有者個人
公開状況個人の住宅につき非公開(外観は公道から見学可)
アクセス南海本線「貝塚駅」から徒歩数分

References

国指定文化財等データベース「吉村家住宅衣装蔵」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003455
吉村家住宅(貝塚市 文化財保存活用室)
https://www.city.kaizuka.lg.jp/bunkazai/bunkazaidata/bunkazai/kuni_sitei/tourokubunkazai/yosimurake.html
吉村家住宅主屋(文化遺産オンライン)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/183363
願泉寺(貝塚市)
https://www.city.kaizuka.lg.jp/kanko/rekishi/gansenzi.html
太鼓台祭り(貝塚市)
https://www.city.kaizuka.lg.jp/kanko/dento_gyoji/taikodai_maturi.html

最終更新日: 2026.06.20