佐賀・武雄に残る三つの村の踊り

武雄の荒踊(たけおのあらおどり)は、佐賀県武雄市のわずか三つの地区にだけ受け継がれてきた民俗芸能である。毎年九月、秋の彼岸の中日にあわせて、踊り手たちが地元の氏神社の境内に集まり、円陣を組んで踊る。およそ四百七十年にわたって伝えられてきた芸能で、文化庁は昭和五十二年(一九七七年)五月十七日、高瀬・中野・宇土手の三地区に残る荒踊を重要無形民俗文化財に指定した。

伝承を支えているのは、各地区にひとつずつ置かれた三つの保存会である。高瀬荒踊保存会、中野荒踊保存会、宇土手荒踊保存会。この三団体の名が、文化財の指定にあわせて記録されている。

かつての荒踊は、もっと広い範囲で踊られていた。第二次世界大戦の前までは、旧武雄領のおよそ二十の集落に伝わっていたという。現在も踊り続けているのは、この三地区だけである。

起こりをめぐる二つの言い伝え

荒踊がどこから来たのかは、はっきりしていない。伝承を守る人々自身がそう語る。土地に残る話は一つではないからである。

一つの説は、起源を享禄三年(一五三〇年)に置く。島原の有馬氏が武雄に攻め込み、住吉城に迫ったとき、第十八代武雄領主の後藤純明が夜襲によってこれを破った。その戦勝を祝い、足軽たちがその場で即興的に踊ったのが始まりだという。

もう一つの説は、やや陰のある話である。永禄六年(一五六三年)、有馬氏は第十九代領主の後藤貴明を島原に招き、暗殺をたくらんだ。貴明は備えをして向かった。家臣たちに踊りの装束を着けさせて同行させ、一通りの礼式が終わったところで一同が踊りを披露する。貴明自身も踊りながら座を抜け出し、難を逃れたと伝わる。このとき演じられた踊りが荒踊だという。話の通りであれば、十六世紀の半ばには、踊りとしての一定の形がすでに整っていたと考えてよい。

「荒踊」という名そのものが、勇壮な性格をよく表している。踊り手は腰に大小の刀を差し、武家の従者のいでたちで踊る。荒踊は奴踊(やっこおどり)の系統に数えられる芸能で、奴踊とは、大名行列に従った下級の供人の姿を写した踊りをさす。

なぜ国の指定を受けたのか

重要無形民俗文化財は、日本人の生活の推移を理解するうえで欠かせない風俗慣習や民俗芸能に与えられる区分である。荒踊の指定理由は、文化庁が二つの点を明確に挙げている。

一つは、伝承の確かさである。踊りの構成、踊り手の役割、そして謡われる詞章が、ぶれの少ない形で受け継がれてきた。なかでも歌詞は古いものとされ、資料としても貴重である。もう一つは、地域的な特色である。力強く軽快な所作、人垣をなす円陣の隊形、情緒のこもった歌詞は、佐賀のこの一帯に固有のものといってよい。指定では、荒踊の力強い振りと、あわせて演じられる優雅な踊りとが、よく調和している点も評価されている。

踊りの組み立て

荒踊は二つの役で組み立てられている。中心に立つのが「もっしょ」で、踊りの調子を決め、振りを指揮する。漢字をあてれば「猛将」とも書き、踊りの背後にある武の記憶をうかがわせる呼び名である。もっしょはさらに分かれていて、二、三人の先もっしょと、一、二人の後もっしょからなる。その周りを残りの踊り手「かき」が囲む。かきとは垣のことで、文字どおり、もっしょを取り巻く人垣をつくる。

囃子は、笛、鉦、地元で「モリャーシ」と呼ぶ締太鼓、大太鼓からなり、これに謡い手が加わる。踊り手は決まった拍ではなく、謡い手の唄にあわせて体を動かす。

二つの地区を並べて見ると、踊りの違いがよくわかる。宇土手と高瀬の踊りは素朴で力強く、武道の型を思わせる。これに対して中野の踊りは優美で、手の振りに独自の持ち味がある。同じ荒踊でありながら、二つの気質をもっている。

当日、荒踊だけが演じられるわけではない。荒踊のまわりには、より軽やかな浮立(ふりゅう)の曲目が配される。芸能に由来する祝いの踊りである三番叟や、銭太鼓を用いた優雅な踊りなどである。組み合わせには意図がある。荒踊のまっすぐな力強さは、それを取り巻く踊りの優美さがあってこそ際立つ。

奉納の日に訪ねる

荒踊が奉納されるのは秋分の日、すなわち彼岸の中日で、九月二十三日ごろにあたる。各地区はそれぞれの氏神社で踊る。高瀬は松尾神社、中野は磐井八幡社、宇土手は正一位神社である。三つの神社はいずれも車で短い距離に収まっており、時間をうまく見計らえば、一日のうちに複数の地区の踊りを見ることもできる。開催時刻は年によって変わり、雨天の場合は会場が屋内に移ることもあるため、訪問前に武雄市の観光担当窓口で当年の詳細を確かめておきたい。

三つの神社はいずれも、JR武雄温泉駅から車でおよそ十分、長崎自動車道の武雄北方インターチェンジからも同じくらいの距離にある。武雄は古くからの温泉地で、重要文化財に指定されている朱塗りの武雄温泉楼門は、同じ行程に無理なく組み込める。樹齢を重ねた大楠で知られる武雄神社や、池泉をめぐる御船山楽園も近く、もう一時間を割く価値がある。

Q&A

Q武雄の荒踊はいつ見られますか。
A年に一度、九月下旬の秋分の日、おおむね二十三日ごろに奉納されます。三地区が同じ日に踊るため、見学にはあらかじめ時間配分を考えておく必要があります。
Q誰でも見学できますか。
A見学できます。神社境内での奉納行事として公開されており、自由に観覧できます。開始時刻や雨天時の対応は年によって変わるため、事前に武雄市の観光担当窓口でご確認ください。
Q三つの神社はどこにありますか。
Aいずれも武雄市内にあります。高瀬地区の松尾神社、中野地区の磐井八幡社、宇土手地区の正一位神社です。互いに近く、半日で複数の地区の踊りを見ることもできます。
Q三地区の踊りに違いはありますか。
Aあります。宇土手と高瀬の踊りは素朴で力強く、武道の型に近い所作です。中野の踊りはより優美で、手の振りに特色があります。同じ日に二地区を見ると、違いがよくわかります。
Q周辺に見どころはありますか。
A武雄は温泉のまちです。朱塗りの武雄温泉楼門はそれ自体が重要文化財で、大楠で知られる武雄神社や御船山楽園も車で短い距離にあります。

基本情報

名称武雄の荒踊(たけおのあらおどり)
指定区分重要無形民俗文化財(民俗芸能/風流)
指定年月日昭和五十二年(一九七七年)五月十七日
所在地佐賀県武雄市 朝日町中野・東川登町宇土手・西川登町高瀬
奉納場所松尾神社(高瀬)、磐井八幡社(中野)、正一位神社(宇土手)
公開時期毎年、九月下旬の秋分の日に奉納
保護団体高瀬荒踊保存会、中野荒踊保存会、宇土手荒踊保存会
アクセスJR武雄温泉駅、または長崎自動車道・武雄北方インターチェンジから車で約十分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/137
武雄市の文化財-武雄の荒踊(武雄市教育委員会)
https://www.city.takeo.lg.jp/kyouiku/bunkazai/pages/bunkazai/bunkazai-107.htm
武雄の荒踊(中野・宇土手・高瀬)(武雄市観光協会)
https://www.takeo-kk.net/sightseeing/001304.php

最終更新日: 2026.05.22