おつぼ山神籠石──論争に決着をつけた佐賀の古代山城
昭和38年(1963年)、佐賀県武雄市橘町の小さな丘に発掘の鍬が入った。確かめようとしたのは、半世紀以上にわたって決着のつかなかった一つの問いである。神籠石とは、神を祀る霊域なのか、それとも敵を防ぐ城なのか。掘り進んだ地中からは、列石の前面に並ぶ柱穴と、谷をまたぐ二つの水門が現れた。答えは城だった。
神籠石は、九州から瀬戸内にかけて十数か所が知られる遺跡群でありながら、どの文献にも記録が残っていない。その沈黙が長い論争を生んだ。おつぼ山での調査は、その論争に一つの区切りをつけ、以後この遺跡は日本考古学の歩みのなかに名を残すことになった。
「神籠石論争」とおつぼ山
神籠石という言葉そのものが謎めいている。明治期、丘をめぐって切石が長い列をなす遺跡が各地で見つかり、この名で呼ばれるようになった。文字の印象からは「神を籠める石」とも読める。だが文献には一切現れない。そこから二つの説が立った。一方は霊域、すなわち聖なる場の境界を示すものだとし、もう一方は山城の遺構だと主張した。
おつぼ山が世に知られたのは昭和37年(1962年)のことである。全国で8番目に確認された神籠石だった。翌年の発掘で、霊域説では説明のつかない遺構が次々と現れた。列石の前には等間隔の柱穴が連なり、谷には水門が組み込まれていた。いずれも防御施設の部品である。
おつぼ山の調査を境に、山城とする見方が定着した。規模の大きさよりも、この遺跡はそうした学史上の役割で知られている。
史跡に指定された理由
丘そのものは大きくない。おつぼ山は標高約62メートル、水田に囲まれた独立丘陵である。それでも丘を取り巻く列石は総延長およそ1,866メートルに及ぶ。現在も1,313個ほどの石が残るが、北端から南西部にかけては石が抜き取られ、あるいは失われ、約873メートルの区間で列石が途切れている。
残る石は一つあたり高さおよそ70センチメートル、厚さ40センチメートル。これらは丘で拾い集めたものではない。安山岩質の凝灰角礫岩で、近くの杵島山一帯で見られる石材である。原石の採集と加工は、ほど近い立岩付近で行われたとみられる。千個を超える石を運び、整え、据えた作業は決して小さなものではない。
列石の上には幅約9メートルの土塁が築かれていた。石列は城壁そのものではなく、その基礎である。突き固めた土を支える土台として、丘の地形に沿ってあらゆる曲線を描いた。国はこの遺跡を昭和41年(1966年)6月21日に史跡に指定し、平成16年(2004年)9月30日に指定範囲を追加した。
現地で読み解く城壁
おつぼ山を一周すると、ふつうは50分から1時間ほどかかる。道は列石に沿って続き、「史跡 おつぼ山神籠石」と刻んだ道標が点々と立つので、進路に迷うことは少ない。
足を止めて見たいのは第一水門である。谷を流れる水を、石を積んだ樋によって土塁の下にくぐらせている。その周囲の石組みの曲がり方が際立って大きい。水門の部分でこれほど曲線を描く例は、ほかの神籠石には見られない。
第一土塁の前面では、平行する二つの遺構が見つかった。一つは3メートル間隔で並ぶ柱穴で、それぞれ約10度内側へ傾く。土塁を突き固める際、型枠となる板を押さえた柱の跡と考えられている。柱穴と列石の間には、1メートル間隔で小礎石が据えられていた。柱穴の柱と小礎石の柱を上で合わせ、合掌式に組んで防御の柵としたとする解釈がある。
第一水門の前からは、この遺跡で唯一の遺物が出土した。3本の柱根である。先端は尖り、深さ約0.8メートルの柱穴を掘ったうえで、さらに1メートルほど打ち込まれていた。約10度、列石の側へ傾いており、その角度は水門の石積みの傾きと一致する。出土後は長く地元の小学校の防火水槽に保管され、のちに保存処理が施された。
訪ねるために
おつぼ山は武雄市橘町にある。最も分かりやすいのは車での訪問で、武雄温泉駅からおよそ10分。丘の南麓、国道498号沿いに無料の駐車場がある。駐車場から第一水門までは歩いてすぐで、そこから一周の遊歩道が始まる。
車のない場合は、武雄温泉駅から祐徳神社方面行きのバスに乗り、郷の木で降りて15分ほど歩く。遺跡は開かれた土地で、入口の門も入場料もない。博物館を見るというより、丘の散策と考えるのがよい。歩きやすい靴があると安心で、道は場所によって荒れる。列石は夏草が刈られた時期に最もよく見える。
武雄のまわりで
武雄は温泉の町として知られる。その湯のまちの入口もまた見ものである。朱塗りの楼門と、その奥に建つ新館は重要文化財で、東京駅を手がけた建築家・辰野金吾の設計による。歴史ある浴場には今も入ることができる。
少し足をのばせば、御船山楽園がある。切り立った岩壁を背に、19世紀初めに造られた広い庭園で、春のツツジと秋の紅葉で知られる。武雄神社の境内には、樹齢3,000年とも伝わる大楠が立ち、空洞になった幹は人が入れるほど広い。おつぼ山は、武雄に泊まる旅程に半日ほどで組み込める。
Q&A
- 「神籠石」とはどういう意味ですか。
- 明治期に名づけられた呼び名で、丘をめぐって切石が列をなす遺跡を指します。字の印象から神を籠める場所とも読め、当初は霊域と考えられました。おつぼ山の発掘によって、少なくともこの遺跡では石列が城の基礎であったことが明らかになりました。
- いつ、誰が築いたのですか。
- 築造者も年代も記録には残っていません。多くの研究者は7世紀後半の構築と推定し、663年の白村江の戦いののち、ヤマト政権が九州の防備を固めた時期と結びつけています。近年は百済の大型山城を参考にしたとする見方も示されています。
- 見学にはどのくらい時間がかかりますか。
- 列石に沿って丘を一周すると、ゆっくり歩いて50分から1時間ほどです。道沿いに道標が立つため、進路を見失う心配は少なくなっています。
- 入場料や開館時間はありますか。
- ありません。門も料金もない開かれた丘です。明るい時間の訪問が向いており、列石は季節の草が刈られたあとが最も見やすくなります。
- 実際には何を見ることができますか。
- 加工された基礎石の長い列、石積みの二つの水門、そして土塁の前面で確認された柱穴の列です。なかでも石組みの曲線が大きい第一水門は、最も分かりやすい見どころです。
基本情報
| 名称 | おつぼ山神籠石(おつぼやまこうごいし) |
|---|---|
| 所在地 | 佐賀県武雄市橘町 |
| 指定区分 | 国指定史跡 |
| 指定年月日 | 昭和41年(1966年)6月21日/平成16年(2004年)9月30日 追加指定 |
| 時代 | 7世紀後半(飛鳥時代)と推定 |
| 種別 | 古代山城(神籠石) |
| 規模 | 列石 総延長 約1,866メートル、残石 約1,313個、土塁 幅 約9メートル |
| 管理 | 武雄市 |
| アクセス | 武雄温泉駅から車で約10分、国道498号沿いに無料駐車場 |
| 公開状況 | 常時開放・入場無料 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「おつぼ山神籠石」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2722
- 武雄市「武雄市の文化財-おつぼ山神籠石」
- https://www.city.takeo.lg.jp/kyouiku/bunkazai/pages/bunkazai/bunkazai-106.htm
- 武雄市観光協会「おつぼ山神籠石」
- https://www.takeo-kk.net/sightseeing/001371.php
- 文化遺産オンライン「おつぼ山神籠石出土柱根」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/182684
最終更新日: 2026.05.22