中国電力株式会社澄川発電所本館 ― 中国山地の山あいに残る戦時下のモダニズム建築

島根県西部、広島県との県境に近い匹見川の中流域。日本最西端の豪雪地帯として知られるこの山深い地に、ひっそりと佇むモダニズム建築があります。中国電力株式会社澄川発電所本館は、昭和18(1943)年7月に運転を開始して以来、80年以上にわたり電気を生み出し続けている現役の水力発電所です。それと同時に、戦時下という極めて特殊な時代に建てられた装飾を排した近代建築として、平成27(2015)年に国の登録有形文化財に登録された貴重な建造物でもあります。

中国山地の山中に現れるモダニズム

澄川発電所本館は、太平洋戦争の真っ只中、昭和18年7月に竣工しました。日本の建築史において注目を集めるのは東京・大阪・京都といった大都市の建築物が中心ですが、この建物は別の意味でひときわ印象深い存在です。それは、ヨーロッパに端を発するモダニズム建築が、中国山地の最も奥深い谷の一つにいち早く到達したことを今に伝える、生きた証だからです。

構造は鉄筋コンクリート造モルタル塗で、二つのボリュームを雁行配置(ずらして並べる手法)で構成しています。南側には平屋一部地下二階建の発電機室が建ち、内部には高い天井をもつ広大な空間が広がります。地下二階分には水車をはじめとする発電機械が収められています。北側には少しずらした位置に二階建の事務室を配置。建築面積は346平方メートルとさほど大きくはありませんが、堂々とした存在感を放っています。

本建物の最大の特徴は、装飾を一切排した姿にあります。彫刻や歴史的様式の引用、装飾的な軒蛇腹といったものは見当たりません。代わりに、量塊そのもののプロポーションと整然と並ぶ矩形の窓のリズムだけで建築の表情を作り出しています。この簡素さは、大正末期から昭和初期に日本に入ってきた国際モダニズム建築の影響と、戦時下の「質実を旨とする」設計思想の双方を映し出しています。

登録有形文化財に指定された理由

平成27(2015)年3月26日、澄川発電所本館は文化庁の登録有形文化財(建造物)に登録されました。この登録の背景には、相互に関連する三つの価値があります。

第一は、戦時下のモダニズム建築としての希少性です。昭和18年といえば、鋼材は配給制となり、装飾的な建築資材は禁じられ、大規模な建設工事の多くはすでに中止されていた時期にあたります。そのような状況下で、これだけの規模の鉄筋コンクリート建築が完成したこと自体が極めて珍しいことです。さらに、当時の官庁建築を席巻していた「帝冠様式」と呼ばれる国家主義的なデザインではなく、堂々と国際的なモダニズムの意匠で設計されているという点でも特筆すべき存在といえます。

第二は、地域の電化史における位置付けです。匹見川流域は西日本でも早くから水力発電開発が進んだ地域で、澄川発電所は上流の匹見発電所(昭和3年)、下流の豊川発電所(昭和3年)に続く三番目の発電所として建設されました。この三発電所が連なって、広大な石見地方の電力供給を支えてきました。

第三は、その保存状態の良さです。竣工から80年以上が経った今もなお、本建物は出力約10,100キロワットの発電所として現役で稼働を続けています。外観・空間構成・発電機室の内部いずれも竣工当時の姿をよく留めており、戦時下の建築家が目指した設計意図を今もはっきりと読み取ることができます。

見どころ

匹見川沿いの細い山道を進むうち、突如として現れる白い壁面のシャープな建築。その第一印象は、思いがけないほどの洗練された都会的な気配です。装飾のない白壁、水平線を強調するパラペット、雁行配置による絶妙な非対称性 ― これらはいずれも1940年代の山村集落とはおよそ縁遠いはずの建築言語です。幾何学的なボリュームが、川の流れと急峻な森に包まれた山々の有機的な景観と美しい対比をなしています。

雁行配置の妙

この建物のデザインを決定づけているのは、二つの建物棟を斜めに少しずつずらして配する雁行配置です。発電機室と事務室を一直線に揃えるのではなく、軸線をずらすことで、外観に動きのある角度や陰影を生み出しています。この構成手法は初期のヨーロッパ・モダニズムでもよく用いられたもので、決して大きくはない建物にも豊かな存在感を与えています。

発電機室の高い空間

南側に位置する発電機室は、外観からは平屋に見えますが、実際には床下に地下二階分を備えた縦に伸びやかな空間です。控えめな外観の高さと、内部の堂々とした天井高との対比は、この建物の隠れた見どころの一つです。

三発電所めぐり

産業遺産に関心のある方には、澄川単体ではなく「匹見三兄弟」としての鑑賞をおすすめします。小さな教会堂のような姿の匹見発電所、欠円アーチ窓やデンティル蛇腹といった洋風意匠で飾られた豊川発電所 ― この二つも澄川と同日の平成27年3月26日に登録有形文化財となりました。三つを訪ね歩けば、同じ匹見川流域の発電所建築が、大正末期の折衷様式から戦時下のモダニズムへとわずか15年で変遷していった様子を実感できます。

見学情報

澄川発電所は中国電力株式会社が所有する現役の発電施設です。内部の一般公開は行われていませんが、外観は周辺の公道から眺めて鑑賞することができます。稼働中の発電所であることをご理解いただき、敷地内への立ち入りはお控えください。

所在地は島根県の南西端、益田市匹見町。山あいの地域で公共交通機関は限られており、レンタカー利用がおすすめです。JR益田駅から車で約1時間20分、匹見川沿いの一般道を遡るルートとなります。益田駅前のバスロータリーからは匹見峡温泉行きの匹見線が運行しており、温泉地からはタクシーを利用するとよいでしょう。

南側からアクセスする場合、中国自動車道戸河内インターチェンジから国道191号線・県道経由で約1時間ほどです。山道は道幅が狭く曲がりくねっており、特に冬季は積雪が多いため、スタッドレスタイヤやチェーンの装備が必須です。

周辺の見どころ

匹見の最大の魅力は、西日本屈指の景勝地として知られる匹見峡です。匹見峡は前匹見・奥匹見・表匹見・裏匹見の四つのエリアに分かれており、それぞれに異なる表情を見せてくれます。表匹見は約4キロにわたって緩やかな渓谷美と透き通った川の流れが続き、裏匹見は切り立った断崖と五段の滝などが連なるダイナミックな景観が魅力です。奥匹見には落差53メートルの大竜頭の滝とシャクナゲの群生地があります。

最も人気があるのは紅葉の季節で、周囲の広葉樹林が真紅と黄金に染まる10月下旬から11月中旬にかけて、多くの観光客が訪れます。春の新緑、夏の涼しい清流、冬の雪景色やスキー・スノーボードと、四季を通じて楽しめる地域でもあります。匹見峡温泉は宿泊・入浴施設も整っており、周遊の拠点として便利です。

その他、匹見町内には江戸時代に浜田藩匹見組の割元庄屋を務めた美濃路家の屋敷「美濃地屋敷」があり、主屋と米蔵が登録有形文化財となっています。少し足を延ばせば、南へ約1時間で城下町・津和野、石見神楽の伝統、日本海沿岸の夕景など、石見地方ならではの魅力を堪能できます。

Q&A

Q澄川発電所本館の内部を見学することはできますか?
Aいいえ、見学はできません。中国電力株式会社が所有する現役の水力発電所であり、内部の一般公開は行われていません。外観は周辺の公道から眺めることができますが、敷地内への立ち入りはご遠慮ください。
Qいつ建てられた建物で、その時期にはどのような意味がありますか?
A昭和18(1943)年7月に竣工しました。第二次世界大戦下のこの時期は、資材不足のため大規模建設工事の多くが停止しており、また当時の主流は国家主義的な「帝冠様式」でした。そのような時代に、これほど辺境の地にモダニズム建築が完成したこと自体が極めて稀有な事例です。
Q建築様式は何ですか?
A大正末期から昭和初期にかけて日本に伝わった国際モダニズム建築の流れを汲む、初期日本モダニズムの一例です。装飾を排し、幾何学的なボリュームの構成と鉄筋コンクリートという新しい素材の特性を活かした設計が特徴です。
Qこの地域を訪れるのにおすすめの季節はいつですか?
A最も人気があるのは、周辺の匹見峡が紅葉に染まる10月下旬から11月中旬です。春の新緑や初夏の清涼感も魅力的です。冬季は積雪が多いため、訪問の際は道路事情に十分ご注意ください。
Q近くに見学できる歴史的な発電所はありますか?
Aはい。同じ匹見川水系の上流に位置する匹見発電所本館(昭和3年)と、下流の豊川発電所本館(昭和3年)も、澄川と同日に登録有形文化財に登録されています。三発電所をめぐることで、産業遺産としての匹見川流域を堪能できます。

基本情報

名称 中国電力株式会社澄川発電所本館(ちゅうごくでんりょくかぶしきがいしゃすみかわはつでんしょほんかん)
指定区分 登録有形文化財(建造物)/登録年月日:平成27年3月26日
所在地 島根県益田市匹見町澄川イ1097
竣工 昭和18(1943)年7月
構造 鉄筋コンクリート造平屋一部2階及び地下2階建
建築面積 346平方メートル(1棟)
出力 約10,100キロワット(水路式水力発電所)
所有者 中国電力株式会社
公開状況 内部非公開/外観のみ周辺道路から見学可

参考文献

中国電力株式会社澄川発電所本館 ― 文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/235731
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00010503
歴史的電力遺産検索 ― 中国電力株式会社
https://www.energia.co.jp/isan/search.html
匹見峡 ― 島根県益田市観光公式サイト
https://masudashi.com/kankouspot/kankouspot-1217/
アクセス情報 ― 島根県益田市観光公式サイト
https://masudashi.com/access/
匹見町観光協会
http://hikimichou.com/

最終更新日: 2026.04.21