東山荘蔵 ― 世界的な美術館の礎を育んだ、小さくも貴重な蔵

静岡県熱海市の高台、相模湾を一望する閑静な丘の上に、東山荘(とうざんそう)と呼ばれる昭和初期の優雅な別荘建築群があります。その敷地の南西の一角にひっそりと佇む小さな建物――それが「東山荘蔵」です。建築面積わずか17平方メートルほどの控えめな蔵ですが、ここにはかつて、後にMOA美術館の核となる美術品コレクションが収められていました。建築・宗教・近代日本文化に関心をお持ちの方にとって、東山荘蔵は意外なほど豊かな歴史の物語を秘めた、訪れる価値のある文化財です。

東山荘蔵とは

東山荘蔵は、熱海市春日町の東山荘の敷地内にある、木造一部鉄筋コンクリート造2階建ての小規模な蔵です。本館の南西側に東西棟で建ち、寄棟造の屋根を桟瓦で葺いています。1階は敷地の高低差を巧みに活かした半地下状の構造で、土間一室の物置として用いられ、2階は北側を出桁状に張り出した畳敷きの居室となっています。外壁は伝統的な簓子下見板張で仕上げられ、出入口は西妻に設けられています。

規模こそ小さいものの、この蔵は東山荘内の7棟の建造物群とともに、平成28年(2016年)8月1日に国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。本館・別館・茶室・正門・離れ・物置と並んで、昭和初期の別荘建築群の保存状態の良い貴重な遺構を構成しています。

三人の所有者と三つの時代を物語る歴史

東山荘の歴史は、それぞれ性格の異なる三つの所有者の時代を経てきました。各時代がこの土地に独自の足跡を残しています。

第一期:銀行家の別邸として(昭和8年・1933年)

東山荘の歴史は昭和8年頃、第一銀行第三代頭取であった石井健吾氏が、約1,000坪の敷地に別邸を構えたことに始まります。設計施工を手がけたのは、現在の清水建設の前身である清水組。正門・本館・離れ・物置からなる第一期の建物群が、相模湾の大海原を望む絶景の借景庭園とともに整えられました。

第二期:海運王の社交の場として(昭和15年・1940年)

昭和14年4月頃、別邸は山下汽船(現在の商船三井)創業者・山下亀三郎氏の手に渡ります。翌年には別館と茶室が増築され、本館玄関の間奥にも6畳間が加えられました。設計施工は引き続き清水組が担当。山下氏の時代、東山荘は政財界の交流の場として、また国賓を迎える迎賓館としても活用されました。

第三期:宗教家・美術蒐集家の拠点として(昭和19年・1944年〜)

昭和19年10月頃、東山荘は宗教法人世界救世教の創始者・岡田茂吉氏に譲り受けられます。地名の「旧東山」(現春日町)にちなんで「東山荘」と命名されたのも、この時のことです。岡田氏は熱海市内へ転居する昭和23年10月までの約4年間、冬季(10月〜5月)を東山荘で、夏季(6月〜9月)を箱根強羅で過ごしました。本館を生活の場としつつ、別館では信徒との面会や論文の執筆を行い、文化的・宗教的な活動の中心としました。そしてこの時期、蔵は次第に増えていく美術品コレクションを保管するという、特別な役割を担うようになっていきます。

なぜ文化財に登録されたのか

2016年に文化庁が東山荘の7棟を一括して登録有形文化財に登録した際、これらの建物群は、戦前の熱海に花開いた別荘文化――財界人や文化人が相模湾沿いに第二の住まいを構え、独自の建築美を競った時代――を伝える貴重な遺構として高く評価されました。蔵については特に「別荘の保守管理の様相を伝える付属施設」として位置づけられ、控えめな規模ながら、別荘地での暮らしを支えた日常的なインフラの姿を今に伝えています。

しかし、東山荘蔵の価値はそれだけにとどまりません。この蔵に保管されていた美術品の数々が、後に世界的に著名なMOA美術館の礎となるコレクションへと発展していったのです。MOA美術館は今日、国宝3点・重要文化財67点を含む約3,500点もの美術品を所蔵しており、その出発点を物語る建物として、この小さな蔵には特別な意味が宿っています。

魅力と見どころ

素朴な民家風意匠との出会い

東山荘蔵の魅力は、まさにその控えめな佇まいにあります。本館や茶室に見られる洗練された数寄屋風意匠とは対照的に、蔵は実用的で堅牢な蔵らしい意匠を体現しています。1階は傾斜地を巧みに利用した半地下構造、2階は北側に張り出した出桁を備えた畳敷きの居室となっており、付属施設でありながらも、随所に質の高い別荘建築ならではの繊細な配慮が感じられます。

美術コレクションが芽吹いた場所

蔵の中に身を置くと、岡田茂吉氏が昭和19年以降に本格的に蒐集を始めた美術品の数々――蒔絵をはじめ、琳派の絵画、日本陶磁、浮世絵、後の中国・朝鮮の陶磁器類など――を、ここに大切に納めていた往時の情景を想像することができます。近年では、蔵から発見された当時の照明器具を、風合いをそのままに修復・LED化する事業も行われ、創建当時の空間の雰囲気が丁寧に継承されています。

相模湾を望む借景庭園と一体の景観

東山荘の敷地全体は、相模湾の眺望を最大限に活かす設計となっています。手前には初島、遠くには大島が浮かび、左右には真鶴半島と伊豆半島が広がる雄大なパノラマ。建物・庭園・自然の風景が一体となった、戦前の日本建築家たちの空間構成の妙を体感できる場所です。

見学の方法・アクセス情報

東山荘の敷地は宗教法人世界救世教が所有しており、現在は主に同教団の研鑽の場や文化行事に活用されています。一般公開は限定的で、東山荘保存会によるガイド見学会や季節の催し(観月会など)の形で、令和3年(2021年)頃から段階的に公開が進められています。蔵を含む敷地全体の見学を希望される方は、事前のお問い合わせ・予約をおすすめします。

JR熱海駅からはタクシーで約10分の距離。隣接地には、ドイツの建築家ブルーノ・タウト設計による国指定重要文化財「旧日向家熱海別邸」(熱海市所有)が建っており、両文化財の一体公開も将来的に視野に入れて整備が進められています。

周辺の見どころ

熱海は文化的な見どころが豊富な街です。東山荘訪問にあわせて、以下のスポットも組み合わせると、より充実した滞在となるでしょう。

  • MOA美術館:岡田茂吉氏の蒐集の集大成。尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」をはじめ、国宝3点・重要文化財67点を含む3,500点超の美術品を所蔵し、相模湾を一望する高台に位置します。
  • 旧日向家熱海別邸:東山荘の隣に建つ、ブルーノ・タウトが日本で残した唯一の現存建築(地下室部分)。国指定重要文化財。
  • 起雲閣:かつての別荘・旅館を市の文化施設として活用。戦前熱海の別荘文化を伝える名建築です。
  • 熱海梅園:日本でも早咲きの梅で知られる名所。1月下旬から3月初旬が見頃です。
  • 來宮神社:樹齢2,000年を超えるとされる御神木「大楠」で全国に知られるパワースポット。

Q&A

Q東山荘蔵を自由に観光で訪れることはできますか?
Aいいえ、敷地は宗教法人世界救世教の私有地であり、自由に立ち入ることはできません。見学は東山荘保存会による特別見学会や季節行事の形で行われていますので、必ず事前にお問い合わせ・予約をお願いいたします。
Q蔵とMOA美術館にはどのような関係がありますか?
A岡田茂吉氏が東山荘で生活していた時期に蒐集した美術品が、この蔵に保管されていました。そのコレクションが後に発展し、1982年に開館したMOA美術館の中核的な所蔵品の礎となりました。
Qなぜこのように小さな建物が文化財に登録されているのですか?
A東山荘蔵は単独ではなく、東山荘の7棟の建造物群の一部として登録されています。控えめな付属施設も、戦前の別荘がどのように維持・運営されていたかを物語る、貴重な歴史的資料として評価されています。
Q東山荘の建設に携わった建築会社はどこですか?
A第一期工事(昭和8年)と第二期工事(昭和15年)を担当したのは清水組(現在の清水建設)です。日本でも最も古い歴史を持つ建設会社の一つによる、丁寧な仕事が今に残されています。
Qいつ訪れるのが最もおすすめですか?
A秋の中秋の名月には保存会による「観月会」が開催されることがあり、特に趣のある時期です。また、熱海の梅や桜が咲く春先も大変美しい季節となります。事前に開催予定をご確認のうえ、お訪ねください。

基本情報

名称 東山荘蔵(とうざんそう くら)
指定区分 登録有形文化財(建造物)
登録年月日 平成28年(2016年)8月1日
建築年代 昭和前期(1933年頃/その後の改修・増築は1940年代中頃に行われたとされる)
構造・形式 木造一部鉄筋コンクリート造2階建、瓦葺(寄棟造桟瓦葺)
建築面積 約17㎡(1棟)
所在地 静岡県熱海市春日町1712-3(東山荘敷地内)
所有者 宗教法人世界救世教
当初の設計施工 清水組(現・清水建設)
アクセス JR熱海駅よりタクシー約10分/見学は事前予約制

参考文献

文化遺産オンライン ― 東山荘本館(関連項目)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/280476
承・ブルーノ・タウト連盟 ― 「東山荘」の概要
https://atami-taut.com/1941/
世界救世教 ― 文化財紹介ページ
https://sekaikyuuseikyou.or.jp/culture
株式会社YAMAGIWA ― 東山荘 照明器具復元事例
https://www.yamagiwa.co.jp/case/result/57202/
熱海経済新聞 ― 国登録有形文化財「東山荘」での特別講座
https://atami.keizai.biz/headline/187/
東方之光 ― 聖地・地上天国のひな型とゆかりの地
https://tohonohikari.or.jp/sacred

最終更新日: 2026.05.06