釜屋建て ― 住まいと火を別棟に分けた民家

望月家住宅(愛知県新城市黒田)は、愛知県新城市黒田字高縄手7番地にある江戸後期十八世紀後半の民家で、昭和49年(1974年)2月5日に国の重要文化財に指定された。指定番号は01917、員数は2棟。住まいの棟である主屋と、炊事と作業を引き受ける釜屋がまとめて一件を構成している。

主屋の特徴は、備えていないものの方にある。竈がない。土間がない。馬屋も風呂もない。それらはすべて隣の釜屋に収まっている。二棟は約1間(1.8メートル)離れて建ち、棟の方向は直角に交わる。豊川流域の大工はこの形式を釜屋建てと呼び、建築史では分棟型民家に分類される。結果として、住まいの棟は煤けなかった。煙も、家畜の匂いも、籾摺りの湿った作業も、隣に置かれていた。

望月家は、天正3年(1575年)の長篠の合戦に敗れた武田家の家臣が信濃の望月へ戻らずこの地に土着した家と伝えられる。初代は四郎左衛門と呼ばれ、その名は代々受け継がれた。家に伝わる墓石と位牌は正徳3年(1713年)以降のものが残り、建物そのものより先に、この場所での暮らしが十八世紀初頭にはあったことを示している。

指定の理由 ― 古さではなく型としての完全さ

文化庁の解説は、静岡県西部から愛知県東部にかけて分布する、主屋と釜屋を別棟に作る形式の民家の一つと位置づけたうえで、率直な但し書きを添える。この家はそれほど古くはないが、昔の姿をよく保っている、と。

この一文に指定の眼目がある。古さではなく、型としての完全さが評価されている。釜屋建ての民家は、かつて豊川流域から天竜川流域にかけて相当数が建っていたが、その大半は二十世紀のうちに改造されるか取り壊された。望月家住宅は二棟構成をそのまま残したまま伝わり、同種の現存建物としては最も古いとされる。他の遺例を読み解くときの基準になる建物、という位置づけである。

建立年代については、資料ではなく推定が根拠になっている。家伝は元禄2年(1689年)頃の建築とするが、それを裏づける棟札も墨書も文書も見つかっていない。文化庁は構造形式から主屋を十八世紀後半、釜屋を十八世紀末と判断する。作業の棟が住まいの棟よりやや遅れて建てられた、あるいは建て替えられた可能性を示す記述である。新城市は、建物の規模、間取り、柱の密度を他の民家と比べたうえで、およそ300年前の建造と推測している。現地の説明にはこの両方の数字が現れるが、これは資料の不足を正直に示したものと受け取るのが妥当である。

主屋 ― 田の字に並ぶ四つの部屋

主屋は桁行8.1メートル、梁間7.2メートル、寄棟造の茅葺で、平入りに出入口を構える。内部は整型四間取りで、ほぼ同じ広さの四室が二列二行に並ぶ。漢字の田の形にそのまま重なるので、田の字型とも呼ばれる。

四室にはそれぞれ土地の呼び名がある。おおえは日常の居間。おかっては隣から運ばれた食事を扱う場。おでいは仏間であり客間でもある。おへやは寝室にあたる。合わせて十数坪、三十五平方メートル余りで、重要文化財の民家としては小さい。この家がどれほどの規模の農家であったかが、面積からそのまま読める。

間仕切りの作りも見どころになる。固定された壁ではなく、板戸と紙障子で仕切られていて、外すことができた。葬儀、婚礼、寄合、あるいは養蚕の季節には、間仕切りを取り払って床全体を一つの大部屋として使った。四間取りの民家は、四つの部屋として使われている時間の方が短かったとも言える。

小屋組は簡素である。棟木が短く、棟幅も狭い。この型の家ではくらぼねを三本から五本入れるものが多く、隅叉首だけで棟木を支えるため棟束を必要としない。現存する例のほとんどが棟束を使っていない。

釜屋 ― 火を引き受けた棟と、二棟をつなぐ樋

釜屋は桁行8.1メートル、梁間5.4メートル、寄棟造の茅葺、妻入りで、南面・東面・北面に庇が付く。住まいの棟が引き受けなかったものは、すべてこちらに集められている。竈と火。籾摺りや脱穀を行う土間の作業場、庭。風呂。馬屋。茅葺の下の空間には、次の葺替えに使う茅と薪が積まれていた。面積は概ね10坪、三十三平方メートルほどで、その全域が働く場所だった。出入口もこちら側にある。この家を訪ねる者は、居室の側からではなく、火のそばを通って家に入った。

床を張った部分はほとんどない。大半は土間である。この一点が建物の使われ方を決めていた。水をこぼしてよい。藁を叩いてよい。馬を引き入れてよい。内部は、建物の長手方向に沿って湿った作業と乾いた作業が分けられていた。竈を据えた炊事の区画、開けた作業場である庭、そして馬屋。風呂場と流しは二棟の接続部に置かれ、前と後ろに突き出す形で作られている。火からも居室からも数歩の位置にありながら、どちらの棟にも完全には属さない場所である。

文化庁データベースにおける釜屋の構造形式の記載は、注目に値する一句で終わる。主屋、釜屋取合部を含む、とある。二棟が接する部分が、付随的な工作物ではなく指定対象の一部として扱われている。

この一句が置かれているのは、取合部こそがこの形式にとって最も難しい箇所だからである。二棟は約1間離れて左右に並び、棟の方向が直角に交わるため、正面から見ると二つの屋根はT字を描く。両者の軒はほとんど接する。その狭い谷に落ちた雨は逃げ場を持たない。解決策は、杉の丸太を縦半分に割って刳り貫き、内側に銅板を張った樋を二つの屋根の間に渡し、前庭へ排水する方法だった。丸太の長さは8メートルを超える。この樋が働いていることの上に、家の他のすべてが成り立っている。ここが破れれば、二棟とも接合部から腐る。

2棟で一件である理由と、いま訪ねるとき

主屋だけを見れば、竈も土間もない小さな四間取りの民家である。釜屋だけを見れば、土間ばかりの作業小屋である。どちらも単独では説明がつかない。生活の機能を二棟に分け、その間を1間の隙間と1本の樋でつないだという構成こそが、この文化財の中身にあたる。指定が取合部まで対象に含めているのは、そこが二棟を一件たらしめている場所だからである。

外へ出て、二つの屋根を並べて見てほしい。主屋の棟は釜屋の棟より必ず高い。地元ではその理由を体裁と縁起の両方で説明する。直角に交わる二棟の姿が打出の小槌に似ているというのである。同じT字の形から、この形式には撞木造りというもう一つの呼び名も生まれた。主屋は平入り、釜屋は妻入りで、二つの入り方が直角に組み合わさることによってT字の姿が生まれる。

平成30年(2018年)から令和元年(2019年)にかけて、新城市は二棟の屋根の葺替えと耐震補強を実施した。工期は15か月、令和元年8月25日に竣工検査を終えている。この工事の重点課題は樋だった。調査の結果、刳り貫かれた杉丸太に腐食の進行が認められたため取り換えが行われ、あわせて落下防止用のワイヤーが設けられた。耐震補強は主屋と釜屋を合わせて3か所にとどまり、既存の壁の内側に合板をはめ込む方法が採られている。構造を組み直してはいない。

望月家住宅の一般公開は当面の間休止されており、新城市はその告知を文化財のページに掲げ続けている。観光情報の一部には以前の条件、土曜・日曜・祝日の9時から17時30分、大人300円、高校生以下150円という数字がまだ残っているが、現在は適用されない。訪問を計画する場合は、事前に新城市教育部歴史文化課へ確認するのが確実である。撮影の可否も同課の判断によるもので、事前に公表されてはいない。

敷地の外からでも、並んだ二つの茅葺屋根の関係はよく見える。周囲は農地が開け、南に少し下れば豊川が流れる。行き方は単純で、JR飯田線の新城駅から豊鉄バス富岡線に乗り、黒田で降りて徒歩約15分。車なら新東名高速道路の新城インターチェンジから20分ほどである。

Q&A

Q望月家住宅の釜屋建てとはどのような形式ですか。
A住まいの棟である主屋と、炊事や作業を行う釜屋を別棟に建てる形式です。二棟は約1間(1.8メートル)離れ、棟の方向が直角に交わります。豊川流域から天竜川流域にかけて分布し、建築史では分棟型民家に分類されます。主屋に竈も土間も馬屋も風呂もないのはこのためです。
Q望月家住宅が重要文化財に指定された理由は何ですか。
A古さではなく、型としての完全さです。文化庁の解説はこの家がそれほど古くないと明記したうえで、昔の姿をよく保っていると評価しています。釜屋建ての民家の大半は二十世紀のうちに改造か取り壊しに遭いましたが、望月家住宅は二棟構成を保ったまま伝わり、同種の現存建物としては最も古いとされます。
Q望月家住宅で2棟の間の取合部が指定に含まれているのはなぜですか。
Aそこがこの形式で最も難しい箇所だからです。二棟の軒はほとんど接し、狭い谷に落ちた雨は逃げ場を持ちません。杉の丸太を縦半分に割って刳り貫き、内側に銅板を張った長さ8メートル超の樋を二つの屋根の間に渡して前庭へ排水しています。ここが破れれば二棟とも接合部から腐ります。
Q望月家住宅はいつ建てられましたか。
A棟札も墨書も文書も見つかっておらず、推定に拠ります。文化庁は構造形式から主屋を十八世紀後半、釜屋を十八世紀末とし、家伝は元禄2年(1689年)頃、新城市はおよそ300年前と推測しています。現地の説明に複数の数字が現れるのは、資料の不足を正直に示したものと受け取るのが妥当です。
Q望月家住宅は見学できますか。
A一般公開は当面の間休止されています。観光情報に土曜・日曜・祝日の9時から17時30分、大人300円という以前の条件が残っていますが、現在は適用されません。訪問前に新城市教育部歴史文化課へ確認してください。敷地の外からでも、並んだ二つの茅葺屋根の関係はよく見えます。

基本情報

名称望月家住宅(愛知県新城市黒田)(もちづきけじゅうたく)
所在地愛知県新城市黒田字高縄手7番地
指定区分重要文化財(建造物)/指定番号01917/種別 近世以前・民家
指定年昭和49年(1974年)2月5日
員数2棟(主屋1棟、釜屋1棟)
寸法主屋 桁行8.1メートル、梁間7.2メートル、寄棟造、平入、茅葺(十八世紀後半)/釜屋 桁行8.1メートル、梁間5.4メートル、寄棟造、妻入、南面・東面及び北面庇付、茅葺、主屋・釜屋取合部を含む(十八世紀末)
所有者個人所有。文化庁データベースに所有者名の記載はない
公開状況当面の間、一般公開を休止(新城市)。外観のみ見学可。訪問前に新城市教育部歴史文化課へ確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 望月家住宅(主屋)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1264
文化庁 国指定文化財等データベース 望月家住宅(釜屋)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1265
文化遺産オンライン 望月家住宅 主屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/189103
文化遺産オンライン 望月家住宅 釜屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/122074
新城市 重要文化財 望月家住宅
https://www.city.shinshiro.lg.jp/kanko/minzokugeino/mochidukike.html
愛知県教育委員会 郷土学習資料 望月家住宅
https://apec.aichi-c.ed.jp/kyouka/shakai/kyouzai/2018/syakai/tousan/005/005.htm

最終更新日: 2026.08.31

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