饗茶庵花蓮店舗(旧安生家住宅主屋)──根古屋路地に佇む大正の和洋折衷住宅

栃木県鹿沼市の市役所北東、わずか数十メートルの細い路地「根古屋(ねこや)路地」に足を踏み入れると、どこか懐かしく、それでいて洗練された空気が流れていることに気づきます。古い住宅を改装したカフェや菓子店、雑貨店がひっそりと並ぶこの裏路地の一角に、大正5年(1916)に建てられた一軒の平屋があります。地元では「花蓮(はなれ)」の名で親しまれてきた旧安生家住宅主屋──令和6年(2024)3月、国の登録有形文化財に登録された、和洋折衷の住宅建築です。

大正時代の空気をいまに伝える一軒家

この建物が竣工したのは大正5年(1916)。日本が西洋の建築技術や生活様式を積極的に取り入れながら、同時に伝統的な和の住まい方も大切にしていた時代です。欧米風の応接室と畳敷きの座敷が一つの屋根の下に同居する──そうした中流住宅のあり方が各地で模索されるなか、地方都市の鹿沼でも、この旧安生家住宅のような住まいが静かに生まれていました。

建築面積はわずか76平方メートル。決して大邸宅ではありませんが、むしろその親密なスケールこそが、大正初期の住まいの質感をいきいきと今に伝える魅力となっています。昭和37年(1962)に増築、令和2年(2020)に改修を経ていますが、建物の本質的な性格は大切に保たれてきました。

なぜ文化財に登録されたのか

旧安生家住宅主屋は、令和6年(2024)3月6日に国登録有形文化財(建造物)として登録されました。その理由は、大きく三つの点に集約されます。ひとつは和洋を巧みに折衷した設計思想、ひとつは洋風部分に用いられた卓越したモルタル仕上げ技術、そしてもうひとつは、鹿沼中心部の歴史的景観を形づくる存在としての価値です。

登録有形文化財は、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」を守り伝えるための制度で、地域に根差した日常の風景を支える建物が対象になります。旧安生家住宅主屋は、見上げるような壮麗さを誇る建築ではなく、路地の佇まいにすっと溶け込みながら、その場所の記憶と品格を静かに担っている──まさにそのあり方が評価されたといえるでしょう。

建築の見どころ

南は和、北は洋──一棟に共存する二つの顔

建物は敷地の中央に東面して建てられています。屋根は寄棟造で、亜鉛鉄板を瓦棒葺(かわらぼうぶき)とした、いわゆる「鉄板瓦棒」の仕上げ。瓦の軒並みを思わせる細いリブが等間隔に走る優美なもので、大正期にしばしば採用された意匠です。正面中央には切妻造の玄関が付いており、この玄関を境に南北で性格の異なる空間が展開します。

玄関から南側は、和風の意匠でまとめられた空間です。壁は柱を表にみせる真壁(しんかべ)造で、奥には床構えを備えた座敷が設けられています。縁側には丁寧に仕上げられた榑縁(くれえん)が廻され、現在はアルミサッシの内側に隠れてはいるものの、当時の丁寧な大工仕事をしっかりと残しています。

洋室外壁に息づく大正の左官技術

一方、玄関北側には洋室が配されています。注目すべきはその外壁です。こちらは柱を隠して壁で覆う大壁(おおかべ)造とし、表面にはモルタル塗の「洗い出し」仕上げが施されています。洗い出しとは、モルタルに種石(たねいし)を混ぜて塗り、表面を洗い流して石の粒を浮き立たせる技法。さらに目地を切って石造のように見せることで、木造建築でありながら重厚な洋館の趣を生み出しています。

この洗い出し仕上げには、職人のこだわりが随所に表れています。壁の主面と、腰壁・窓周りとで種石を使い分けるという手の込んだ施工が行われており、一見均質に見える外壁にも微妙な質感の変化が与えられているのです。そして何より驚嘆に値するのは、90年以上を経た現在でも、ほとんどひび割れが見られないこと。大正初期の優れた左官技術の水準を物語る、貴重な実例として高く評価されています。

根古屋路地という舞台

この建物の魅力は、建物単体ではなく、それが立つ場所と一体となって花開いています。根古屋路地が今日のような姿になった起点は、平成11年(1999)に一軒のカフェが開店したこと。近隣の自宅を改装して始まった「CAFE饗茶庵(きょうちゃあん)」──現在の「日光珈琲 饗茶庵本店」です。以来、この路地にはベジタリアンのフレンチレストラン、焙煎所を併設した珈琲・パン・雑貨店、花屋など、個性豊かな店舗が少しずつ増え、今では「全国のカフェ好きが訪れる路地」として知られるようになりました。

旧安生家住宅主屋は、路地のやや奥まった位置で、こうした動きのなかに静かに佇んでいます。大正期から変わらない落ち着いた外観は、新旧が交わるこの路地にあって、どこか全体の品格を底支えしているようにも感じられます。

訪問の際の案内とマナー

旧安生家住宅主屋は個人所有の建物であり、原則として内部の一般公開は行われていません。建物を鑑賞する場合は、路地から外観を眺める形でお楽しみください。敷地内への立ち入りや、窓越しに室内を覗き込むことはお控えいただき、近隣の住民や店舗への配慮を大切にしていただければと思います。

より賑わいのある雰囲気を味わいたい方は、毎月第一日曜日に根古屋路地と天神長屋(てんじんながや)で開催される「ネコヤド商店街」の日に合わせて訪れてみてください。食のブースや雑貨、音楽などが路地に集い、普段とはまた違う表情を楽しめます。平日の静かな路地歩きもまた格別で、建物や看板、小さなしつらえの一つひとつに目を留めながら、ゆっくり散策するのがおすすめです。

アクセス

旧安生家住宅主屋は、鹿沼市の中心部、鹿沼市役所の近くに位置しています。最寄り駅は東武日光線の新鹿沼駅で、そこから徒歩15分ほど。JR日光線の鹿沼駅からはタクシーや路線バスでのアクセスが便利です。お車の場合は、東北自動車道・鹿沼インターチェンジから20分ほど。根古屋路地には無料の来訪者用駐車場が整備されています。

周辺の見どころ

路地から少し足を延ばせば、鹿沼の総氏神・今宮神社があります。毎年10月に執り行われる例大祭「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」は、精緻な彫刻を全面に施した20台以上もの彫刻屋台が境内に集結する全国有数の山・鉾・屋台行事で、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。建築装飾としての木彫りの粋を間近に感じられる絶好の機会です。

根古屋路地そのものにも、日光珈琲 饗茶庵本店をはじめとするカフェ、手しごとの雑貨店、季節のスイーツが楽しめる店など、ゆっくり過ごせる場所がいくつもあります。旧安生家住宅主屋を眺めた後は、近隣のカフェで一杯の珈琲を味わい、かつての宿場町が二十一世紀にどのように甦りつつあるのか──その静かな変化を肌で感じてみてはいかがでしょうか。

Q&A

Q建物の内部を見学することはできますか?
A旧安生家住宅主屋は個人所有の建物で、原則として内部の一般公開は行われていません。路地(公道)から外観を鑑賞する形でお楽しみください。周囲の根古屋路地には入店可能なカフェや店舗が多数ございます。
Q「花蓮(はなれ)」という名前にはどんな意味がありますか?
A「はなれ」は、本来母屋から切り離された別棟の「離れ」を意味する日本語です。この建物では、近隣のカフェ「饗茶庵」の離れ的な存在として位置づけられ、その「はなれ」に優美な響きの漢字「花蓮」をあてるという洒落た命名がなされています。
Q訪問に最適な時期はいつですか?
A通年で訪れられますが、特におすすめは10月。鹿沼今宮神社祭が開催され、町中が祭りの熱気に包まれます。晩春から初夏は散策に適した穏やかな気候で、また毎月第一日曜日には「ネコヤド商店街」が開かれ、路地ならではの賑わいを楽しめます。
Q洋室外壁のモルタル仕上げは、なぜ特に評価されているのですか?
Aモルタルに種石を混ぜて塗り、表面を洗い流して石を浮き立たせる「洗い出し」仕上げで、目地を切って石造風に見せています。さらに、壁面と腰・窓周りで種石を使い分けるという手の込んだ施工が行われており、90年以上経ってもほとんどひび割れが生じていないことから、大正初期の左官技術の高さを今に伝える貴重な実例として評価されています。
Q訪問に入場料はかかりますか?
A根古屋路地は公道のため、通行料や入場料はかかりません。建物の外観鑑賞も自由にお楽しみいただけます。各カフェや店舗での飲食・買物については、それぞれの価格に準じます。毎月の「ネコヤド商店街」も入場無料です。

基本情報

名称 饗茶庵花蓮店舗(旧安生家住宅主屋)
所在地 栃木県鹿沼市上材木町1686-1
指定 国登録有形文化財(建造物)
登録年月日 令和6年(2024)3月6日
建築年 大正5年(1916)建築/昭和37年(1962)増築/令和2年(2020)改修
構造 木造平屋建/寄棟屋根/亜鉛鉄板瓦棒葺/建築面積76㎡
様式 和洋折衷(南側:真壁造の和風座敷/北側:大壁造の洋室)
所有者 個人蔵
最寄駅 東武日光線 新鹿沼駅より徒歩約15分
駐車場 根古屋路地来訪者用駐車場(無料)あり

参考文献

饗茶庵花蓮店舗(旧安生家住宅主屋) | 鹿沼市公式ホームページ
https://www.city.kanuma.tochigi.jp/0511/info-0000009928-1.html
文化遺産オンライン(文化庁・NII)──饗茶庵花蓮店舗(旧安生家住宅主屋)
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/583312
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014734
文化審議会の答申(令和5年11月24日)──登録有形文化財(建造物)の登録
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai//shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/94080301_02.pdf
鹿沼カフェ|鹿沼市観光情報サイト「鹿沼日和」
https://kanuma-kanko.jp/feature/鹿沼カフェ/
今宮神社|鹿沼市観光情報サイト「鹿沼日和」
https://kanuma-kanko.jp/purpose/今宮神社/

最終更新日: 2026.04.21