切幡寺大塔——廃仏毀釈の危機を越え、阿波の山に甦った唯一無二の二重塔
徳島県阿波市の切幡山の中腹、標高およそ155メートルの高みに、日本の他のどこにも存在しない一基の塔が佇んでいます。四国八十八ヶ所霊場の第十番札所・切幡寺の大塔です。高さ約24メートル、堂々たる二重の塔婆は、吉野川平野から見上げる旅人の目を自ずと引き寄せますが、この塔が真に比類なき存在であることは、近づいてその構造を見たときに初めて明らかになります。初重を方五間、二重を方三間とする塔の平面形式は、現存するものとしては全国でここ一基のみ。しかも、この塔がいまこの場所に立っていること自体が、ひとつの奇跡のような物語に支えられているのです。
武将の祈りを込めて建てられた塔
大塔の物語は、四国ではなく大坂の住吉から始まります。江戸時代初期、この塔は住吉大社に付属する神宮寺・新羅寺の西塔として建立されました。発願したのは豊臣秀頼、豊臣秀吉の嫡男であり、亡き父の菩提を弔うことを願っての造営でした。慶長12年(1607年)に造営が始まったとされ、文化財の登録情報では、塔として現在の姿にまとまった時期を元和4年(1618年)と記しています。徳川家康の勧めによる建立であったとも伝えられます。
それから約二百五十年もの間、塔は神仏習合の時代を象徴する住吉の神宮寺の一角に静かに立ち続けました。しかし明治維新期、新政府が発した神仏分離令に続いて全国で廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、新羅寺もまた廃寺となります。塔は解体・散逸の危機に瀕したのです。
海を越えた十年がかりの移築
この塔を救ったのは、切幡寺の僧侶たちの執念ともいうべき判断でした。当時の第45世住職・天祐上人は、廃寺となった新羅寺から二基あった塔のうち残っていた西塔を買い取り、これを解体して瀬戸内海を越え、阿波の山中まで運ばせたのです。運び込まれた部材は、切幡寺本堂のさらに一段高い山腹で丹念に組み直されました。移築工事は明治6年(1873年)に着手され、明治15年(1882年)ごろまで、実におよそ十年の歳月をかけて完成したと伝えられます。
その労苦は、やがて思いがけぬ形で報われることになります。明治42年(1909年)、切幡寺境内は大火に見舞われ、一山23棟の伽藍が一夜にして失われました。その中にあって、山腹に立つ大塔のみは焼失を免れたのです。そのため大塔は、元和4年の再興時の姿を、ほぼそのままに今日まで伝えています。
なぜ重要文化財に指定されたのか
切幡寺大塔は、昭和50年(1975年)6月23日に国の重要文化財に指定されました。その指定理由には、この塔が備える比類のない価値が明確に示されています。
もっとも決定的なのは、その構造形式です。日本の二重塔(多宝塔とその近縁形式)は、通常、方形の初重の上に円筒形の「亀腹」を置き、その上にさらに方形の上層屋根を載せる構成をとります。しかし切幡寺大塔は、初重を方五間、二重を方三間とする二階建ての塔であり、上下とも明確な方形の平面を持ちます。この「五間二重塔婆」と呼ばれる形式は、現存する日本の塔としてはこの一基のみ。研究者は、かつて天台宗系の寺院にこのような塔が存在していたのではないかと推定しており、失われた日本の塔建築の多様性を考える上で、きわめて重要な手がかりとなっているのです。
加えて、豊臣家と深く結びついた由緒、廃仏毀釈の混乱の中を命がけで救い出された歴史、明治の大火を奇跡的に免れて初期の姿をよく留めていること——こうした要素が総合されて、この塔は単なる地方の古塔ではなく、江戸初期建築の優品であり、一人の大武将への鎮魂の祈りの証であり、そして失われた塔形式を今に伝える貴重な遺構として位置づけられているのです。
見どころ
三百三十三段の石段を登る
大塔に至る道そのものが、このお寺の体験の大切な一部を成しています。麓の山門をくぐり、「是より三百三十三段」と刻まれた石段を登り始めると、途中で「女厄坂」「男厄坂」と呼ばれる二つの急坂が行く手に現れます。石段を登り切ったところに本堂が立ち、本尊の千手観世音菩薩が祀られています。大塔はそこからさらにもう一段高い山腹の平地に、静かに聳えているのです。
塔そのもののたたずまい
高さ約24メートル、屋根は本瓦葺。細身に天へ伸びるというより、どっしりとした量感を湛えた姿が特徴です。他の二重塔をご覧になったことのある方ほど、初重と二重のあいだに亀腹を置かず、上下とも方形の身舎が直接重なる様に驚かれるでしょう。境内の説明板にも「初重方五間、二重方三間の二重塔婆で、現存する塔として全国唯一」と記されています。
機織りの娘と空海の伝説
大塔そのものとは別に、切幡寺に参拝するうえで欠かせないのが、寺の名の由来となった伝説です。寺伝によれば、弘仁6年(815年)、弘法大師空海がこの地で修行をしていたところ、綻びた僧衣を繕う布を求めて近くの民家を訪ねます。すると機織りをしていた娘は、織りかけの布を惜しげもなく断ち切って差し出したといいます。この行いが寺号「切幡」の由来とされます。空海は娘の志に感じ入り、願いはないかと尋ねました。娘は、亡き両親のために仏門に入りたいと答え、空海は一夜のうちに千手観音像を刻んで得度灌頂を授けたところ、娘はたちまち即身成仏したと伝えられます。
山腹から望む阿波平野
切幡寺の境内は標高約155メートル。大塔が立つ一段高い平地からは、吉野川を挟んで広がる阿波北部の平野が眼下に広がります。大塔を仰ぎつつ振り返れば、四国遍路のなかでも屈指と言われる眺望がご覧いただけます。春には境内の梅や桜が彩りを添え、歴史的建造物と自然の取り合わせを味わえる季節となります。
参拝情報
境内の拝観時間は7時から17時まで、拝観料は不要です。山門前の無料駐車場には普通車が約20台停められます。石段を登るのが難しい方や時間の制約がある方のために、境内の納経所脇まで車で上がれる細い道も用意されています(約10台分、普通車のみ可、傾斜が急で中・大型車は通行不可)。大塔は本堂より一段上にあり、短い坂道を上がると正面に立ちます。
切幡寺は四国八十八ヶ所霊場の第十番札所で、同じ阿波市内の第七番・十楽寺、第八番・熊谷寺、第九番・法輪寺と合わせてお参りされる方が多く、あわせて一日で巡ることができます。歩きやすい靴と、季節によっては十分な水分をご持参ください。
アクセスと周辺のみどころ
切幡寺へは自動車でのアクセスが便利です。徳島自動車道の土成インターチェンジから約8キロ、県道139号線を経由して山の麓まで進みます。公共交通機関を利用される場合は、JR徳島線の阿波川島駅(約6.3キロ)または学駅(約6.5キロ)から、タクシーで向かうのが現実的です。地元の路線バスの便は限られますので、ご注意ください。
周辺の見どころとして、まずは同じ阿波市内にある第七番・十楽寺、第八番・熊谷寺、第九番・法輪寺をあわせて巡拝することをおすすめします。それぞれに個性ある伽藍と本尊をお持ちです。南方の吉野川流域には、木桶に入れてふるまわれる名物「たらいうどん」のお店が点在し、さらに足を延ばせば、国の天然記念物・阿波の土柱も比較的近く、自然の造形美と宗教空間とを併せて味わう旅を組むことができます。
Q&A
- 切幡寺大塔は、建築としてなにが特別なのですか。
- 初重を方五間、二重を方三間とする二重塔で、上下とも方形の平面を持つ塔としては現存する日本唯一の遺構です。かつて天台宗系の寺院にこのような塔があったと推定されていますが、現存例は他になく、失われた塔建築の姿を伝える貴重な一基です。
- なぜ大坂から徳島へ塔が運ばれたのですか。
- もとは豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うため、大坂の住吉大社神宮寺(新羅寺)の西塔として建立された塔でした。明治初年の神仏分離にともなう廃仏毀釈で新羅寺が廃寺となった際、解体・散逸の危機を憂えた切幡寺の住職が買い取り、1873年から約10年がかりで現在地に移築したものです。
- 拝観料はかかりますか。
- 境内の参拝・大塔の拝観は無料です。拝観時間は午前7時から午後5時までとなっています。
- 333段の石段は必ず登らなければなりませんか。
- いいえ。境内の納経所脇まで細い舗装路が通じており、石段をショートカットして上まで車で上がることができます。ただし道幅が狭く傾斜も急なため、普通車のみが通行可能です。山門からのぼる伝統的なお参りの道が、やはり印象に残るという声も多く寄せられています。
- 豊臣家と、この塔にはどのような関係があるのですか。
- 豊臣秀吉の嫡男・豊臣秀頼が、亡き父の菩提を弔うために、徳川家康の勧めを受けて住吉大社神宮寺に寄進した塔とされます。いわば、日本史上もっとも名の知られた武将の一人への鎮魂の祈りが込められた建造物であり、それが時代の波を越えて阿波の山に救い出されたのです。
基本情報
| 名称 | 切幡寺大塔(きりはたじだいとう) |
|---|---|
| 所在地 | 〒771-1623 徳島県阿波市市場町切幡字観音129 |
| 所属寺院 | 得度山 灌頂院 切幡寺(高野山真言宗、四国八十八ヶ所霊場第10番札所) |
| 本尊 | 千手観世音菩薩 |
| 建立年代 | 江戸前期。慶長12年(1607年)に大坂で造営開始、元和4年(1618年)に塔として完成 |
| 移築時期 | 明治6年(1873年)〜明治15年頃(1882〜1883年) |
| 構造 | 五間二重塔婆(初重方五間・二重方三間)、本瓦葺 |
| 高さ | 約24.17メートル |
| 指定 | 国指定重要文化財(昭和50年6月23日指定) |
| 拝観時間 | 7:00〜17:00 |
| 拝観料 | 無料 |
| 駐車場 | 無料。山門前に普通車約20台、境内上部(納経所脇)に約10台(細道のため普通車のみ) |
| 電話 | 0883-36-3010 |
| 最寄り駅 | JR徳島線・阿波川島駅から約6.3km、学駅から約6.5km |
参考文献
- 切幡寺大塔 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/157805
- 国指定文化財等データベース 切幡寺大塔(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3268
- 得度山 灌頂院 切幡寺 – 四国八十八ヶ所霊場会
- https://88shikokuhenro.jp/10kirihataji/
- 第10番札所 切幡寺 - 阿波ナビ(徳島県観光情報サイト)
- https://www.awanavi.jp/archives/spot/2799
- 第10番札所 切幡寺 – 阿波市観光協会
- https://www.awa-kankou.jp/odekake/10banhudasyo/
- 切幡寺 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/切幡寺
- 切幡寺の大塔 豊臣秀頼が建立、明治初期に移築 - 徳島新聞 とくしま雑学事典
- https://www.topics.or.jp/articles/-/593693
最終更新日: 2026.04.22