旧高原ビル:徳島の歴史を見守り続ける「戦禍の生き証人」

徳島市東船場町の通りに面して静かに佇む旧高原ビルは、昭和7年(1932年)に竣工した鉄筋コンクリート造3階建ての洋風建築です。昭和20年(1945年)の徳島大空襲を奇跡的に生き延び、「戦禍の生き証人」として今なお当時の姿を伝えています。平成9年(1997年)に国の登録有形文化財に登録され、徳島市中心部に残る貴重な近代建築として、地域の歴史と記憶を後世に繋ぐ役割を担っています。

歴史的背景

高原ビルは、石油と食用油の卸売業を営んでいた旧高原商店(のちの高原石油株式会社)が昭和6年(1931年)に着工し、翌年3月に竣工した建物です。当時の徳島市において鉄筋コンクリート造の建物といえば、徳島県庁や徳島市役所、銀行、百貨店のみであり、民間の建物としては徳島市初の鉄筋コンクリート造建築でした。

設計を手がけたのは、名古屋における近代建築の開祖とされる建築家・鈴木禎次(1870年〜1941年)です。鈴木は帝国大学工科大学造家学科を卒業後、イギリス・フランスに留学し、名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の建築科教授を務めました。生涯に約80棟の建築物を設計し、そのうち44棟が名古屋市内に集中していることから「名古屋をつくった建築家」と称されています。また、文豪・夏目漱石の妻の妹と結婚した、漱石の相婿としても知られています。

高原ビルが最も劇的な歴史の局面を迎えたのは、昭和20年(1945年)7月4日未明の徳島大空襲です。100機以上のB-29爆撃機が徳島市上空に飛来し、約1時間55分にわたって焼夷弾を投下。市域の約62%が焼失し、約1,000人の命が奪われました。周辺一帯が焦土と化す中、高原ビルは当時としては極めて珍しかったドイツ製亀甲網入り防火ガラスのおかげで、一階の一部を除き戦火を免れました。窓ガラスには大火による熱割れや縦横に走る亀裂が今なお残されており、戦争の悲惨さを無言で語り続けています。

戦後も高原石油の本社ビルとして使用されてきましたが、平成19年(2007年)の同社廃業に伴い、翌年に徳島市の総合建設業者・株式会社国際が所有者となりました。ビル名は「国際東船場113ビル」と改称され、平成10年(1998年)に増築された新館と合わせて、新旧ふたつの顔を持つ複合ビルとして現在に至っています。

文化財としての価値

高原ビルは平成9年(1997年)7月15日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました(登録番号:36-0007)。通りに面して建つ鉄筋コンクリート造のビルで、一部を塔屋風に3階建てとし、他は2階建てとする特徴的な構成を持っています。スクラッチタイルの外壁、パラペットの装飾、塔屋風の部分の窓廻りの装飾等に特徴があり、昭和初期の都市部における洋風の意匠を持つ小規模なビルの好例として評価されています。

さらに平成22年(2010年)には「とくしま市民遺産」にも選定され、建築的価値のみならず、徳島大空襲の記憶を伝える歴史的証人としての重要性も認められています。

建築の見どころ

高原ビルは建築面積87㎡、延べ床面積194㎡の鉄筋コンクリート造3階建ての建物です。一部を塔屋風に3階まで立ち上げ、残りの部分を2階建てとすることで、街並みの中に変化のあるシルエットを生み出しています。

外壁にはスクラッチタイルが用いられています。スクラッチタイルとは、焼成前の粘土の表面を引っ掻いて筋目をつけたタイルで、昭和初期の建築に多く用いられた素材です。屋根のパラペットには上品な装飾が施され、塔屋部分の窓周りにはロマネスク風の意匠が見られ、ヨーロッパ建築の風格を感じさせます。

最も心に残るのは、徳島大空襲の傷跡を今に伝える窓ガラスです。ドイツ製の亀甲網入り防火ガラスには、大火の熱による割れや亀裂がそのまま残されています。あえて交換されることなく保存されたこれらの窓は、戦争の悲惨さを訪れる人々に静かに、しかし力強く語りかけています。

旧館2階は「新町川文化ギャラリー」として一般に公開されており、個展や展示会などの文化イベントに利用されています。建物の躯体やコンクリートの質感がそのまま活かされた空間は、歴史の重みと現代的なギャラリー空間が融合した独特の雰囲気を醸し出しています。

アクセス・周辺情報

高原ビルは徳島市東船場町1丁目13番地、東船場通りに面した場所にあります。JR徳島駅からは南へまっすぐ延びる新町橋通りを歩き、新町川に架かる新町橋を渡ると新町地区に到着します。徒歩約10〜15分です。

建物の外観は通りからいつでも見学可能です。1階の通路は通り抜けができ、東船場通り側からボードウォーク側へ抜けることができます。2階の新町川文化ギャラリーは展示開催時に見学可能で、空襲で損傷した窓ガラスを間近に見ることができます。

建物の川側には「しんまちボードウォーク」が整備されており、新町川沿いの快適な遊歩道として親しまれています。週末にはマーケットやイベントが開催されることもあり、水辺の風景を楽しみながら散策できます。新館にはカフェやクリエイティブ企業のオフィスが入居しており、歴史と現代が共存する独特の空間を体験できます。

周辺の見どころ

高原ビルが位置する新町地区は、江戸時代から町人街として栄えた歴史ある地域です。周辺には徳島の魅力を感じられるスポットが数多くあります。

ビルのすぐそばを流れる新町川沿いの「しんまちボードウォーク」は、水の都・徳島を象徴する親水空間です。徳島市のシンボル・眉山(びざん)は市街地のすぐ南にそびえ、山頂からは徳島市街と吉野川流域の壮大な眺望が楽しめます。ロープウェイで山頂まで手軽にアクセスできます。眉山のふもとにある「阿波おどり会館」では、徳島名物の阿波おどりの通年公演を鑑賞でき、併設の博物館で400年の歴史に触れることができます。

ボードウォーク付近からは「徳島県郷土文化会館」も望め、地域の文化財や徳島大空襲に関する資料を見ることができます。徳島中央公園や徳島城跡も徒歩圏内にあり、緑豊かな空間と歴史的遺構を楽しむことができます。

Q&A

Q高原ビルはなぜ歴史的に重要なのですか?
A高原ビルは、昭和20年(1945年)7月4日の徳島大空襲で市域の約62%が焼失する中、奇跡的に焼失を免れた数少ない建物の一つです。窓ガラスには空襲時の大火による熱割れや亀裂が今なお残されており、戦争の記憶を伝える貴重な歴史的証人です。また、昭和7年(1932年)の竣工当時、徳島市初の民間鉄筋コンクリート造建築でもありました。
Q設計者はどのような建築家ですか?
A設計者の鈴木禎次(1870年〜1941年)は、「名古屋をつくった建築家」と称される近代建築の巨匠です。帝国大学造家学科を卒業後、英仏留学を経て名古屋で教鞭をとりながら約80棟の建築を手がけました。文豪・夏目漱石の相婿(妻同士が姉妹)としても知られています。
Qなぜ空襲で焼け残ることができたのですか?
A当時としては非常に珍しかったドイツ製亀甲網入り防火窓ガラスが大きな役割を果たしました。周囲が猛火に包まれる中、このガラスは熱で亀裂が入りながらも割れ落ちることなく耐え、上階への延焼を防ぎました。
Q建物の内部は見学できますか?
Aはい。現在は商業テナントビル「国際東船場113ビル」として利用されており、1階の通路は通り抜けが可能です。旧館2階は「新町川文化ギャラリー」として一般に公開されており、展示会やイベントの際に空襲で損傷した窓ガラスを間近にご覧いただけます。
Qこのビルとアニメ産業の関係は?
A旧高原ビルに隣接する新館には、人気アニメ制作会社ufotableの徳島スタジオが平成21年(2009年)に開設されました。歴史的建造物と最先端のクリエイティブ産業が共存する、ユニークな複合施設となっています。

基本情報

名称 高原ビル(旧高原ビル)
現在の名称 国際東船場113ビル 旧館
設計 鈴木禎次
竣工 昭和7年(1932年)3月
構造 鉄筋コンクリート造3階建、建築面積87㎡、延べ床面積194㎡
所在地 徳島県徳島市東船場町1丁目13番地
所有者 株式会社国際
文化財登録 国登録有形文化財(建造物) 登録番号:36-0007
登録年月日 平成9年(1997年)7月15日
その他の認定 とくしま市民遺産(2010年選定)、光の八十八ヶ所めぐり選定
アクセス JR徳島駅から南へ徒歩約10〜15分(新町橋経由)

参考文献

最終更新日: 2026.03.29