長母寺本堂 ― 濃尾大地震ののちに再建された禅寺の中心建築

明治24年(1891年)10月28日の夜、岐阜・愛知の濃尾平野を約80キロメートルにわたって断層が走り、内陸地震としては国内最大級とされる濃尾大地震が起きた。一瞬のうちに数万棟の建物が倒壊し、その被害は広範囲に及んだ。名古屋市東区矢田にある臨済宗東福寺派の長母寺も、創建から七百年を超える歴史を持ちながら、中心の本堂を失った。いま境内に建つ本堂は、その三年後の明治27年(1894年)に建てられたものである。低く落ち着いたその構えの背後には、震災からの復興という時間が刻まれている。

長母寺の本堂は、規模で人を圧倒するような建築ではない。木造平屋建、瓦葺で、建築面積はおよそ202平方メートル。地域に根ざした寺院の、簡素で堅実な一棟である。その価値は、禅寺の方丈建築を明治期に忠実に建て直した遺構であること、そして中世日本を代表する説話僧がここで暮らし、筆を執った場所であることに重なっている。

建物より古い寺の歴史

長母寺の創建は治承3年(1179年)にさかのぼる。尾張国山田郡の領主であった山田重忠が開いた寺で、寺伝によれば亡き母の菩提を弔うために建てたといい、「長母寺」という寺号もその由来に結びついている。当初は天台宗に属し、亀鐘山桃尾寺と称していたと伝わる。

寺の性格が一変するのは13世紀半ばである。僧・無住一円(1226〜1312)がこの地に入り、禅宗の寺へと改めた。入寺の年については弘長2年(1262年)とする説と翌弘長3年(1263年)とする説があり史料によって異なるが、無住が禅寺としての開山に数えられること、現在まで続く山号・寺号「霊鷲山長母寺」を定めたことでは一致する。無住は当時の諸宗を広く学び、なかでも禅を円爾に師事した。円爾の法系がのちの東福寺派にあたり、長母寺は今もこの派に属している。

無住とその後継のもとで寺は栄え、一時は九十を超える末寺を擁したという。やがて勢いに陰りが差す。文禄年間(16世紀末)の検地で寺領を失い、長く衰退したのち、天和2年(1682年)に尾張藩二代藩主・徳川光友の命を受けた禅僧・雪渓恵恭が再興した。立地そのものも移り変わっている。かつて長母寺は矢田川の北岸にあったが、長い年月のあいだの河道の変化により、現在は南岸に位置している。

寺を有名にした僧・無住

長母寺を訪ねる人の多くが目当てにするのが、開山の無住一円である。嘉禄2年(1226年)に梶原氏とゆかりのある武家に生まれ、18歳で出家した。その後は一つの宗派に偏らず、八宗を兼ね学んだことで知られる。諸宗はいずれも釈迦へとつながるものであり、自分の宗だけが正しいと考えるのは誤りである、というのが無住の立場であった。

この長母寺に落ち着いてから、無住は後世まで読み継がれる『沙石集』を編んだ。弘安2年(1279年)に起筆し、弘安6年(1283年)ごろに成立、その後も生涯にわたって加筆を重ねた、仮名まじり文による全10巻、約150話の仏教説話集である。書名は「沙(すな)から金を、石から玉を引き出す」という意で、世俗的で時に滑稽な話題のなかから仏教の要諦を導く、という無住の方法そのものを言い表している。僧俗の逸話、怪異譚、笑話、地方の暮らしの観察、和歌や言葉遊びまでを収めたその軽妙な語り口は、のちの狂言や落語にも影響を与えたとされ、無住は「話芸の祖」と呼ばれることもある。

寺には今も『沙石集』の版木が残り、名古屋市の指定文化財となっている。さらに、無住の等身大の木造坐像が開山堂に安置され、こちらは国の重要文化財に指定されている。本堂が登録有形文化財であるのに対し、この坐像は一段高い区分での保護を受けている点に注意したい。

「登録」とは何か、なぜ本堂が対象なのか

本堂は登録有形文化財(建造物)であり、この区分は国宝や重要文化財とは異なる。日本の文化財保護には二つの仕組みがある。古くからある「指定」の制度は、国宝・重要文化財という最も手厚い保護を、特に価値が高いと認められたものに与える。寺内の無住坐像がこれにあたる。一方、平成8年(1996年)に始まった「登録」の制度は、主に築五十年以上、とりわけ明治期以降の建造物を対象とした、より緩やかで裾野の広い枠組みである。歴史的な景観に寄与する建物に、指定ほど厳しい制約を課さずに一定の保護を及ぼすことを目的としている。

長母寺本堂は平成11年(1999年)、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準で登録された。境内で登録されたのは本堂だけではない。庫裡と山門もあわせて登録されており、三棟がそろって、明治から大正にかけて建て直された寺院境内のようすを残している。

本堂の形式は「方丈」である。禅寺における方丈とは住持の居所となる建物で、襖などで仕切られた部屋を中央の仏間のまわりに並べ、庭に面して開く、横長の構えをとる。「方丈」とは一丈四方の意で、維摩居士の小さな住まいの故事に由来し、狭い空間にも広大な世界が宿るという含意を持つ。木造平屋・瓦葺で建つこの本堂は、震災で失われた旧本堂に代わり、明治期に方丈建築がどのように再建されたかを示す好例である。

見どころ ― 何に注目するか

長母寺の魅力は、ひとつの華やかな見せ場よりも、ゆったりとした境内そのものにある。登録された山門をくぐると、本堂が低く幅広く正面に構え、瓦屋根が木組みの上に広がる。その前で立ち止まると、すぐ近くまで迫る市街の喧噪が遠のいていくように感じられる。

開山堂は本堂とは別の建物で、重要文化財の無住坐像を安置する。ただし現役の寺院であり、堂内の拝観は住職の判断によるため、坐像や内部が常に公開されているとは限らない。庫裡で尋ねるのが礼にかなった方法で、御朱印もここで受けられる。長母寺は尾張三十三観音の第28番札所、城東西国三十三所の第18番札所でもあり、巡礼の途中の人々と境内をともにすることもある。

もう一つ、目には見えないが訪ねる手がかりになる歴史がある。正月の祝福芸として知られる尾張万歳は、地元の伝承では無住とこの寺を起源とするといわれる。扇子を持つ太夫と鼓を持つ才蔵が一組となって家々を回り、祝言を述べるこの芸能は、現在は国の重要無形民俗文化財に指定されている。その源は、13世紀末にこの地で始まったとされる法華経万歳にあるとされ、のちに知多半島から各地へと広まっていった。

アクセスと周辺

長母寺は、名鉄瀬戸線の矢田駅から徒歩でおよそ5分の場所にある。JR・地下鉄・名鉄が乗り入れる大曽根駅からは、バスで10分ほどである。境内の拝観は無料。

名古屋市東部を歩く一日に組み込みやすい立地でもある。大曽根駅からは、南西に名古屋城、そして尾張徳川家ゆかりの名品を収める徳川美術館・徳川園が射程に入る。この地に生まれた芸能に関心があれば、尾張万歳に触れる好機は正月の時期で、知多半島を拠点とする保存団体によって演じられる。知多市には専門の保存会も置かれている。

Q&A

Q本堂は国宝や重要文化財ですか。
Aいずれでもありません。本堂は登録有形文化財で、平成8年(1996年)に始まった、主に明治期以降の建造物を対象とする別枠の、比較的緩やかな保護区分です。寺には国指定の重要文化財もありますが、それは建物ではなく、僧・無住の木造坐像です。
Qいまの建物はいつのものですか。
A現在の本堂は明治27年(1894年)の建築です。それ以前の本堂が明治24年(1891年)の濃尾大地震で失われ、その三年後に再建されました。寺院そのものはさらに古く、治承3年(1179年)の創建です。
Q堂内に入れますか。
A長母寺は現役の寺院で、堂内の拝観は住職の判断によります。境内を歩き、登録された建物を外から眺めることは自由です。内部の拝観や御朱印については、庫裡で丁重に尋ねてください。
Q『沙石集』とはどういう関わりがありますか。
A僧・無住一円が長母寺に住み、13世紀後半にこの地で『沙石集』を編みました。中世日本で広く読まれた仏教説話集です。寺には今もその版木が残り、名古屋市の指定文化財となっています。
Q電車での行き方を教えてください。
A名鉄瀬戸線の矢田駅で降りると、徒歩約5分です。より大きな乗換駅である大曽根駅からは、バスで10分ほどになります。

基本情報

名称長母寺本堂(ちょうぼじほんどう)
所在地愛知県名古屋市東区矢田町字寺畑2161
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 23-0036
登録年月日平成11年(1999年)11月18日(告示 同年12月2日)
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
員数1棟
建築年明治27年(1894年)
構造・形式木造平屋建、瓦葺、建築面積約202㎡、方丈形式
寺院臨済宗東福寺派/山号 霊鷲山/本尊 阿弥陀如来
所有者宗教法人長母寺
アクセス名鉄瀬戸線・矢田駅から徒歩約5分/大曽根駅からバス約10分
拝観境内は無料/堂内の拝観は寺院の判断による

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース:長母寺本堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001417
文化遺産オンライン(国立情報学研究所):長母寺本堂
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/114497
文化庁 文化遺産オンライン:尾張万歳(重要無形民俗文化財)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/136964
名古屋市:霊鷲山 長母寺
https://www.city.nagoya.jp/kita/miryoku/1020066/1020067/1020088/1020095.html
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ:沙石集
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012947/explanation/shaseki

最終更新日: 2026.06.17